るりとうわた

日常をつづる

旧白州邸「武相荘」

白洲次郎しらす・じろう)「従順ならざる唯一の日本人」。
戦後の占領統治時代、最高権力者マッカーサーを叱りつけ、暗躍するGHQの政治工作に正面から抵抗を続けた男がいた。

NHKの「白洲次郎」が佳境に入ったところの2話(3月放送)でストップし、3話が8月になりました。
3話の最終話まで間があるうちにこれは、チャンスと、同じ沿線上にある旧白州邸「武相荘」に見学に行くことにしました。
ただ娘宅へ行く道中で、これは車のほうが都合が良いということで車にしました。
武相荘」とは武蔵国相模国との間に位置することと、無愛想を掛けてあり、次郎さんのお気に入りの命名とか・・・
今もその通り、東京都と神奈川県の境目にあります。
私が関東に来た頃は、36年ほど前ですが、この鶴川近辺はまだまだ自然が残り、家は極少ない土地でした。
HPの道案内にあるように、青葉IC で下車して向かいましたが、今はもう畑はありませんが、緑の残った住宅街に変貌です。

http://www.buaiso.com/annai.html

小田急線を越えると住宅街の中に、郊外型の店舗が並びます。
ユニクロコメダコーヒー、HOTーMOTO、すき屋モスバーガー、周りはすべて新興住宅地です。
そこに一部分だけ小高い岡に緑が残っていて、あれしかないと直ぐにわかりました。
そこを目指そうと道路を入ると、即案内係の高齢な方に止められました。
武相荘へは進入禁止で、向かいの駐車場に入れるようにと、 5台分ぐらいの駐車場に、ちょうど1台分のスペースがあってうまく駐車できました。
バス停には、もう一人、高齢な方が案内係をされていました。
回りは個人の家が建ち並んでいますが、ここだけ緑が残っていました。

入り口にある案内板です。

入り口正面に見える長屋門です。


長屋門を入ると、母屋が見えてきました。

母屋の全景を撮るために庭の端に寄りました。
母屋の茅葺は、HPに紹介があるように、2006年に葺き替えられ、今はとても綺麗です。
やはり民家だったので、家は小ぶりです。
でも回りの木々や横の小高い山のまとまりは、とても落ち着いた感じで趣があります。

玄関前です、ここでくつ袋にくつを入れ中に上がります。
中に入ると、ここは撮影禁止となっているので残念ながら写真は撮ることができませんでした。
中にはビーストローフの食事風景や、およそこの家には似つかわしくない豪華な内容です。
また正子さんの趣味で集められた硝子小物や器類が和食器とともに並べられています。
そして部屋を進むと着物や小道具の展示があり、和の世界が広がります。
海外へ出て、日本文化の良さや美しさに一層深くなったということでしょう。
こういう住まい方に、美意識が表れているようです。

なかでも一番興味深かったのは、次郎氏が書斎として使用された奥の間です。
ほぼ当時のままと言われるから、タイムスリップすることが出来ます。
奥の3畳間の前の部屋から、次郎氏の書籍がびっしりと並びます。
その重さで床が傾いているように感じるぐらいです。
岩波全集とか小林秀雄全集や小説類、ドストエフスキーとか、海外物もあります。
原稿を書いた机の下が掘りごたつのようになっていました。

昭和18年にこの地へ来て、60年近く一度も引越しせずに暮らしたと言うことですから、この日本家屋とこの地を愛されていたと言うことでしょう。
和建築とお二人のモダニズムが上手く融合されていた結果でしょう。

庭の端にある竹林と鈴鹿峠命名した散歩道です。
小高い山を一回りすると5分とかかりませんでしたが、山百合が咲いていて季節を感じることが出来ます。


竹林の向こう側は以前は川だったのかも知れませんが、今は空堀になっています。
その堀の向こう側は住宅地です、上手くこの堀と竹林が、都会の喧騒をさえぎっているようです。


中2階のところにも展示場がありますが、母屋の隣の中2階の下は、畑仕事の道具類や耕運機がありました。
その中に、手作りでしょうかシラスと抜いた箱がありました。

長屋門の手前に設けてある休憩所です。
次郎さんの大きな写真に、ポルシェの写真、氷掻き器が置いてありました。

NHKの3話も楽しみです。http://www.nhk.or.jp/drama/shirasujirou/

白洲次郎の流儀 (とんぼの本)

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風の男 白洲次郎 (新潮文庫)

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