るりとうわた

日常をつづる

「ムサシ ロンドン・NYバージョン」

2009年、井上ひさし氏と蜷川幸雄氏の新作書き下ろし時代劇『ムサシ』が話題となり、2010年は、去る5/5(水)〜8(土)まで、舞台の本場である英国のBarbican Theatreで上演され、絶賛を受けた舞台です。

5/15(土)から彩の国さいたま芸術劇場で上演されている「ムサシ ロンドン・NYバージョン」を観劇してきました。

この公演は6/10(木)まで上演された後、7/7(水)〜10(土)は米国ニューヨークにあるDavid H. Koch Theaterで上演されます。

井上ひさし氏の作品はどれも人間味に溢れていて、ユーモアと温かみがあって大好きな舞台でした。

これまでにも、「もとの黙阿弥」「天保十二年のシェイクスピア」「表裏源内蛙合戦」「ロマンス」「藪原検校」「人間合格」「道元の冒険」などの舞台を見てきましたが、「ムサシ」の後の「組曲虐殺」が遺作となりとても残念です。

享年75歳ということですが、男性の平均寿命は82.6歳ですから、それまでおられたら後7作は新作が観れたかもと思うとさらに残念です。

キャスト
宮本武蔵・・・藤原竜也 佐々木小次郎・・・勝地涼 筆屋乙女・・・鈴木杏 沢庵宗彭・・・六平直政 柳生宗矩・・・吉田鋼太郎 木屋まい・・・白石加代子 平心・・大 石継太 浅川甚兵衛・・・塚本幸男 浅川官兵衛・・・飯田邦博 忠助・・・堀文明 只野有膳・・・井面猛志
あらすじ 慶長十七年(一六一二)陰暦四月十三日正午。
豊前国小倉沖の舟島。真昼の太陽が照り付けるなか、宮本武蔵佐々木小次郎が、たがいにきびしく睨み合っている。小次郎は愛刀「物干し竿」を抜き放ち、武蔵は背に隠した木刀を深く構える。武蔵が不意に声をあげる。「この勝負、おぬしの負けと決まった」。約束の刻限から半日近くも待たされた小次郎の苛立ちは、すでに頂点に達していた。小次郎が動き、勝負は一撃で決まった。勝ったのは武蔵。検死役の藩医に「お手当を!」と叫び、疾風のごとく舟島を立ち去る武蔵。佐々木小次郎の「厳流」をとって、後に「厳流島の決闘」と呼ばれることになる世紀の大一番は、こうして一瞬のうちに終わり、そして・・・・・・物語はここから始まる。


舟島の決闘から6年後の元和4年(1618年)夏。鎌倉、源氏山宝蓮寺、小さなこの寺で、寺開きの参籠禅が行われようとしています。大徳寺の長老沢庵宗彭を導師に迎え、能狂いの柳生宗矩、寺の大檀那である木屋まいと筆屋乙女、そして寺の作事を務めた武蔵も参加しています。そこへ、舟島でかろうじて一命をとりとめた佐々木小次郎が現れます。小次郎は、武蔵憎しの一念で、その行方を追いかけ、今度こそは「五分と五分」で決着をつけようと、小次郎は武蔵に「果し合い状」を突きつけます。こうして、宮本武蔵佐々木小次郎の命をかけた再対決が「三日後の朝」と約束され、この寺で、その3日間がこの舞台で繰り広げられます。

その間不意打ちが起きないように、沢庵和尚たちが小次郎と武蔵の間に入って足を結わえて寝て、一人の動作にみんなが引きずられて愉快な格好になったりと、色んな場面で笑いがおきます。
乙女の父の敵が見つかり、あだ討ちをするのですが、乙女は片腕を切り落としただけで、はっきりと「恨みが恨みを呼ぶ、黒い連鎖の鎖を断ち切る」として命を取らず、手当てをします。
このように、何とかこの二人の決闘を辞めさせようと色んな手を使って、いわゆる”芝居”が打たれます。
それもそのはず、彼らは武蔵と小次郎の2人が馬鹿な事に命を捨てようとしているので、自分達は成仏できないでいる、と迷い出た霊でした。

それぞれに死に至った結果、生きていた時にはつまらないと思ったり、辛いと思っていたが、死んでその命が眩しく輝いて見えること。
死んでしまって、もったいないことをした、やりたいことがあった、命を粗末にするなと訴えるのです。
中でも、乙女は物書きで、へたくそと言われて池に身を投げたのですが、もっと書きたいことがあったこと、ただ一番良かったことはこの大芝居の原稿を書いたのは私だからねと言い、まるで今の井上ひさしさん自身を暗示しているようでした。
武蔵と小次郎は自分達は特別でないごく当たり前の人間だと自覚し、討ちあいを辞め、身体を大事にしろよと声を掛け合い、故郷やわが道にと分かれて行きます。

井上ひさしさんの舞台は、いつも命を粗末にするな、恨みに使うな、そしてユーモアに溢れ温かい安心して観れる舞台でした。
こまつ座の舞台にはこまつ座独特の人情味溢れる味があり、蜷川幸雄氏演出にはその舞台の様式美と洗練された味があって、また大好きな舞台でした。
お亡くなりになり、新作が観れないのは本当に残念です。蜷川幸雄氏には是非とも長生きしていただいて、楽しませて欲しいと思いました。