るりとうわた

日常をつづる

NODA MAP第15回公演「ザ・キャラクター」(ねたばれ)

東京芸術劇場中ホールで観劇してきました。
町の書道教室の修行とギリシャ神話を絡めて進むのですが、日本語へのこだわり、言葉遊びも面白く、題材も忘れてはいけない問題であり、意欲作だと感じました。

作・演出:野田秀樹

出演:宮沢りえ(マドロミ)、古田新太(家元)、橋爪功(古神筆の助/クロノス)、野田秀樹(家元夫人/ヘーラ)、藤井隆(会計・小金田文鎮/ヘルメス)、美波(ダプネー)、池内博之アルゴス)、チョウソンハ(アポローン)、田中哲司(新人)、高橋惠子=銀粉蝶の代役(オバちゃん)

あらすじ;町の小さな書道教室、そこに立ち現われるギリシア神話の世界、それが、我々の知っている一つの物語として紡がれていく。
物語全てが、ギリシア神話さながらの、変容(メタモルフォーゼ)をモチーフとしたお話になっています。信じていたものが、姿を変え、変化を遂げていく物語。その最後に立ち現われる、我々が知っている物語とは…。

そしてこれは6月23日の読売新聞に野田さん自身のコメントも入れて記事が載りましたので、それも紹介します。

野田秀樹が、池袋の東京芸術劇場で新作「ザ・キャラクター」を上演している。漢字の言葉遊びを多用し、ギリシャ神話の変身の物語を重ねつつ、現代社会の落とし穴を射抜いた問題作だ。(山内則史)

 2006年の「THE BEE」、08年の「THE DIVER」とロンドン公演が続いた。

 「海外での仕事は、翻訳の問題もあって言葉遊びが通じないから、構造とか身体性の方向でやってきた。今回は日本語の特性に戻って、日本語の作家として性根が据わりました。シェークスピアの韻の素晴らしさも、漢字の面白さも、外国人に説明しても理解されがたい局部的な文化だと思います」

 「キャラクター」には「文字」の意味もある。「俤(おもかげ)」の中には「弟」がいて「儚(はかな)さ」の中に「夢」がある。漢字がバラバラにされて別の字が現れ、そこから新しいイメージが開かれていく驚き、ギリシャ神話を絡めた展開は、夢の遊眠社時代の「野獣降臨(のけものきたりて)」(1982年)を思い出させるが、もちろん単なる原点返りではない。

 始まりは、どこにでもありそうな町の書道教室。なんの変哲もない場所は、狂気を帯びた怪しげな教団の密室に変わる。「集団というものが、どういう風に踏み外し、どこまで堕(お)ちていけるのか。『BEE』は個人の暴力性でしたが、今度は集団の暴力性。集団は監視し合うし、逃げられない」

 書を指導する古神(橋爪功)は「感じたら信じろ」と生徒たちに命じる。「『感じる』と『信じる』の間にあった『考える』を日本人が失ったのは1980年ごろから。『考える』ことを過剰にやった学生運動の失敗が総括されないまま、経済の繁栄もあって考えることが忌み嫌われるようになり、思想も宗教もない国の幼稚性が進んでいった」。時代を見る作家の鋭利な眼(め)が、この作品には投影されている。

 多摩美術大で教え、同劇場の芸術監督を務め、1000円で高校生に芝居を見せるなど、このところ演劇の将来を見据えた動きが目立つ。「以前は自分が作品さえ作っていれば、演劇は面白くなると思っていましたが、考えの違う若い世代と往復運動をしない限り、文化は広がっていかない。若い人間って何であんなに閉じてるのかなと勝手に思っていたけど、おれも結構閉じてたなと気づきました」

「人が山にいるので『仙』人、人が木にもたれて『休』む。人に武士が『仕』え、犬がひれ『伏』し、主となって『住』む。と文字を腑分けして、文字の魂がみえてくる。」
「書くことでしか僕らは救われない、書く、書き、書け、書こ、過去を書こ。」

マドロミは自分の袖を引っ張ったまま空から落ちていった弟を探しにこの書道教室に来るのですが、家元に袖と書いてもらうのですが、ころもへんをしめすへんで書いてしまい、絶対間違いを認めない家元は都合よく「神」と書いたと言い、自らをゼウス神として神格化して突き進むキッカケとなります。
「人の言葉と書いて『信』です、家元を信じろ。」『信』の大乱舞
最後の方には「穴を大きくすると書いて『突』く」、家元に「突くは限りなく『空』に近い」と言われ、空を突きに、世の中に大きな穴を空けに行く弟に、マドロミは「空を突いても、空しいばかりよ。」というなど舞台のポイントとなる言葉遊びが多くあります。

親や兄弟殺しの惨劇や変容をギリシャ神話に掛けながら、またテレビ報道を無数の映像として白い紙に映し出す。それに反発するように狂気は一気に加速します。
弟が今の心として『幻』と書くのですが、姉のマドロミは黙って1本の線を書く、それは『幼』という字に変わります。
そして「幼さ」が見た幻は余りにも無残な3月20日の事件となるのです。
マドロミは「お前は何にしがみついていたつもりなの?それは神じゃないよ、ただの袖。臆病な幼い心がしがみつく袖。」と気がついた時には・・・すでにサイレンが。

新潮 2010年 07月号 [雑誌]

新潮 2010年 07月号 [雑誌]