るりとうわた

日常をつづる

未来の世代のために


北海道や日本海側で、35℃の真夏日と言うので、やはり異常気象ですね。
その異常なのも気象だけでなく、日本では100歳以上の高齢者の所在不明は18都道府県で71人となったようで、その存在が把握できていないという異常事態です。
わかったケースでは、もう20年前から消息がつかめないとか、30年前に亡くなっていたという話で、100歳以下も検討するとこの数字はもっと大きくなると思います。
前回は子供が放置されていた話でしたが、子供だけでなくお年よりも同じく放置され、孤独死する方も居ると考えると、いかに命が軽んじられているのかと、寒いものを感じます。
最も一番軽い使われ方は戦争だと思います、日本でも戦争中は赤紙で召集され、そのハガキ代「一銭5厘の命」という時期がありました。
戦争で多くの尊い命が失われていくのは、もちろん日本だけの話ではありません、世界で今現在も続いています。

そして、広島、長崎の原爆投下から65年が経ちました。8月6日

広島市中区平和記念公園で午前8時に始まった平和記念式典には、過去最多となる74カ国から駐日大使らが参列した。オバマ大統領が「核兵器なき世界」を提唱した米国からはルース駐日大使が出席し、「未来の世代のために、わたしたちは核兵器のない世界の実現を目指し、今後も協力していかなければならない」とのコメントを出した。

 

潘事務総長は「平和のために広島に参りました」と日本語を交えてあいさつし、「被爆者の方々が生きている間に、核兵器のない世界を実現しよう」と呼びかけた。
 式典には約5万5000人が参列。秋葉市長と遺族代表2人が、この1年間に死亡、または死亡を確認した被爆者5501人の名簿2冊を原爆慰霊碑下の奉安箱に納めた。原爆死没者名簿は計97冊、死没者数は計26万9446人になった。

テレビでは「徹子の部屋」でアナウンサーの山本文雄さんが、医師だったお父さんが召集され広島の陸軍病院に勤務。その6日後に被爆し、当時小学校5年生だった山本さんはすぐに父の入院先に駆けつけたが、そこには全身黒焦げになったお父さんの姿が。敗戦の二日後に亡くなられたそうです。
自分がその父の体験を語り継ぐこと、それが使命であり、父の遺言でもあるというように述べておられました。

本当に戦争のない、核兵器のない世界を、未来の世代のために、急がなくてはいけないと実感しました。


話は突然変わるのですが、写真の甚平、可愛いでしょう。(笑)
踊りのお仲間で、着付けがプロ並みで、着物も自分で仕立てる方がいて、いつも帯を直してもらっています。
その方が、下の孫にと手作りで作ってくださったものです。
上手く出来ていてビックリです、10ヶ月になりますが、ちょうど来週来るので着せてやろうと思います。