るりとうわた

日常をつづる

吾亦紅の花は咲いたけれど

ただいま〜♪
暑いですね!!日本!
9日間ポーランドに居たのですが、気温は12℃から14℃と低く、毎日雨が降り寒いぐらいでした。
岩塩坑の地下を2時間ぐらい見学しましたが、その地下にいる時間のほうが温かい感じがしました。
成田の前泊を入れると10日経つので、もういくらか日本も涼しいだろうと期待したのですが、がっかりの暑さに、がっくりと疲れました。(笑)

庭に咲いた吾亦紅(われもこう)

ヴィエリチカ岩塩坑を案内してくれた現地ガイドさんは若い女性で、すべてが珍しいと日本に興味を持ち、大学の日本語学部に行き、上手な日本語を話されます。
日本には1ヶ月ホームスティをして、広島、京都、大阪、東京と回り、美しい国との感想で、また行きたいと話してくれました。
今は小学校で英語を教える先生で、夏休みや土日に、この岩塩坑のガイドをしているという可愛い女性でした。
また是非日本へ来て欲しいと思いました。
ヴィエリチカ岩塩坑は創業が1044年と古く、1978年にユネスコ世界遺産に最初に登録された12件のうちのひとつです。

私たちはワルシャワに2泊し、生誕200年のショパンの生家を訪れたり、ショパンコンサートとショパン尽くし、ヴロツワフに2泊、クラコフに3泊し、ポーランドにある13の世界遺産のうち5つの世界遺産をめぐり、毎日1万歩を超える街歩きをしてきました。
もちろん、アウシュヴィッツ(ポーランドではオシフィエンチム)と第二収容所となるビルケナウ(ポーランドではブジェジンカ村)も見学してきました。
原爆ドームと同じく人類の負の世界遺産ですが、決して忘れてはならない、2度と同じ過ちを犯してはならない遺産として、見ておきたいものでした。

私は興味がないわけではなかったのですが、単位の取り方か、高校から一度も西洋史を学ぶことなく来たので、西洋史に疎いことが悔やまれますが、ポーランド西洋史上からも2度(3度かも?)、ポーランドの国自体が消滅すると言う歴史を辿っています。
ほぼヨーロッパの中央に位置し、列強国に挟まれ、ドイツ、ロシア、またはスウェーデンやハプスブルグ等に分割されます。
最後は120年間にも渡り、国は分割されポーランドの国はなかったのですが、きちんとポーランド語は伝えられ、ワルシャワの街は壊滅的ダメージを受けたのですが、新しい街ではなく、写真や絵を元に、元通りの街に復興され、当時の壁のひび割れまで忠実に復元されたそうです。
民族の熱い誇りを感じることが出来ました。
ポーとは平らな意味で、ランドは台地、まさに緑の平原が広がる中に、美しい都が残り、心優しく強い国、ポーランドという印象で、また訪れてみたい国です。

携帯でメールは出来たのですが、この掲示板に書き込むのに、中々動かず、こんなに時間が掛かるのなら料金が掛かると恐ろしくなり辞めました。(笑)
沢山の写真を撮って来ましたので、写真に添って街の紹介をしたいと思います。