るりとうわた

日常をつづる

鎌倉ぶらり(2)

鎌倉文学館
二日目です。
この日は、名前は良く聞くのですが、私もまだ行ったことのない鎌倉文学館へ、行きました。
前日が北鎌倉の山側に対して、この日は江ノ電沿いの海側めぐりという感じです。
ホテルが由比ガ浜大通に面した好位置で、荷物を預けてぶらり歩きです。
山側に向かって6、7分も歩けば、住宅地の中に、山に向かう軽い傾斜があり、すでにそこから山一つがこのお屋敷の敷地というのがわかり雰囲気が一変します。

鎌倉文学館鎌倉市景観重要建築物)は、加賀百万石前田家の別邸として、1890年頃に侯爵 前田利嗣の時に建てられたが、1910年(明治43年)に火事により失われ現在の建物は16代当主侯爵 前田利為が1936年(昭和11年)に洋風に全面改築した建築物です。渡辺栄治が設計し、竹中工務店が施工しているそうです。
戦後の一時期、デンマーク公使や内閣総理大臣 佐藤栄作の別荘として使用され、多くの鎌倉文士が訪れ、三島由紀夫が「春の雪」の一舞台としても描かれているところです。
1983年(昭和58年)に前田利建から鎌倉市に寄贈され、1985年(昭和60年)、「鎌倉文学館」として開館された鎌倉を代表する洋風建築物です。
鎌倉文学館では、鎌倉ゆかりの文学、特に鎌倉文士をテーマにした資料館として、鎌倉ゆかりの文学者の直筆原稿・手紙・愛用品などが展示されています。
足を踏み入れるとそこはもう別世界です、都会の喧騒を離れまさに森閑とした森の中です、写真の洞門をくぐると、重厚な洋館が現れます。(一番上の写真です)
 
鎌倉文学館のバラ園は有名ですが、今は写真の白いランが道の脇に咲き乱れていました。
中に入るとその眺望が素晴らしい、食堂に使われていた部屋からは街並みと由比ガ浜が一望できます。
入ったところは2階になっているので、公開されていないのですが、3階からの眺望はさらに素晴らしいことでしょう。
鎌倉にゆかりのある文学資料がある部屋に、鎌倉の地図上に、鎌倉にゆかりのある小説家、歌人俳人、評論家などの文学者の住まいが貼り付けてありました。
300人以上いるそうですが、本当に知っている名前ばかりで、こんなにも多くの文士がこの地域に親しみ住んだことに感心しました。
山あり海ありと、歴史もあるし、都心にも近いからでしょうか。
名前を全部挙げたいところですが、夏目漱石芥川龍之介川端康成大佛次郎里見紝(とん)、与謝野晶子高浜虚子小林秀雄宮本百合子等々300人以上の著書や、原稿、愛用品などを収集保存し、展示してあります。
そしてこの期間の特別展は「かこさとしの世界」でした。
夏休みも含めてですから、子供から大人まで親しみを感じる展示でした。
かこさとしさんは東大の工学部卒で工学博士で児童文学者です。
未来を生きる子どもたちの知識を育てるため、お話から化学、遊びまで幅広い分野の作品は500点にのぼり、主な作品に「だるまちゃん」シリーズ。「からすのパンやさん、科学絵本「ならの大仏さま」「クラゲのふしぎびっくりばなし」「宇宙」また「あそびの絵本」85歳「万里の長城」刊行です。
それらの本の出来る行程、細かい絵図や文章を貼り付けた手作りの段階のものが展示されていました。
それらを見学しながら友人と、「天はニ物を与えずは、大嘘だよね」「持っている人はニ物どころか、三物も五物もあり、ない者には見かけもなにもない。」と
頷きあって、同じ思いの人がいて良かったと、大笑いしました。(笑)
青い芝生の広がる庭に出ると、大きな木があり、その下のほうにバラ園がありました。
木々に巣箱があり、穴が大き過ぎて「これでは外敵にやられるから、鳥は来ない」「自分の身体すれすれの穴を巣にする」と友人が教えてくれました。
帰り道を下ると、数匹のリスに出会いました、あの巣箱はリス用だったのかも〜と、話し合いました。
写真の小屋は入場料の300円を払った場所です。


下りの光景も自然で素晴らしいです。

この写真はこの建物から芝生、両脇がバラ園、そして出口に続くまっすぐの道で、別荘への近道ですが、今は門が閉ざされています、柵から覗き込んで撮りました。
次は鎌倉大仏を目指しますが、その道中にまた女子(私たちのこと)の目を引く雑貨屋、手ぬぐいや洋服の店が並び、出たり入ったりしながら、修学旅行生のグループと何組もすれ違いました。
せっかく来たからにはと、大仏の堂内に入ったのですが、細い階段で顔ぐらいは登れるのかと思いましたが、まさに胴の中でした。(笑)
皆で入場料が20円のはずだわ〜と。(笑)

昨日同様日差しは真夏です。
今回もかき氷はなく、行くときにすでに目星をつけておいた「鎌倉ジェラード」に立ち寄りました。(笑)
それから長谷寺に寄り、この前の両側が門前町のようになっていて、土産物店や古着屋、新しいところではオルゴール館があり、ぶらり旅ですからぶらりぶらりと寄りました。(笑)
長谷寺では鎌倉サイダーを試飲、回し飲みし、お土産に鎌倉サイダーと鎌倉ビールを買った人と、シールだけ剥がしてしおりに貼った人がいました。
ここから江ノ電に乗り、稲村ガ崎を目指しました。


稲村ガ崎は有名な古戦場で、元弘3年(1333)5月の新田義貞の鎌倉攻めの際、鎌倉への突破口となった所です。北条軍の強固な守りにより、新田軍は鎌倉へ攻めあぐんでいた。5月21日の深夜に稲村ガ崎に至り、岩頭に立って、竜神に祈ったと言う場はここです。義貞は潮の引いたのを見て、6万騎を率いて稲村ガ崎の岸壁沿いに鎌倉へ突入し、源頼朝以来150年続いた鎌倉幕府は滅亡したのです。
これで、私たちの鎌倉めぐりも終了です、記念撮影をしました。
この写真は反対側ですが、海岸とと江ノ島の間に富士山が顔を出せば最高だったのですが残念、恥ずかしかったのでしょう。
1時過ぎにこのすぐそばのレストランに入り海を見ながら昼食をとりました。
ランチメニューがすべて1800円で、全品サラダとスープ、飲み物つきですが、場所代込みという感じです。(笑)
私を含む3人は「人気のカツサンド」の、この人気という文字に引かれて注文したのですが、先に来たカツカレーのカツの大きさにビックリして、嫌な予感がしたのですが・・・
まあ大きなお皿に、ポテトもいっぱいなら、分厚いカツサンドがドーンと、まるでハワイへ行った気分です。(笑)
店員さんに1人が「凄い量ですね」と言うと、「ここはサーファーも多いし、そういう人も満足してもらえる」と、な〜るほど、アメリカンサイズ、いや今の若者サイズということでしょう、これなら1800円もありです。
写真を撮らなかったのが残念です。

団塊の世代は食い気より、お喋り大会です。
今の政治から原発の問題、本当にこの原発問題さえなければ、ひたすら復興目指せば結果はついてくるのですが、原発問題がその道を塞いでいますよね。
私たちの世代では20年後30年後には、いるかいないか分かりませんが、やはり孫世代には切実な問題です。
息子さんが関東にいる方は「お嫁さんが気にして一切の牛乳断ちをしている」とか、「どこの原乳が使われているかわからないからと、気持ちはわかるけど、逆にそこまですると栄養に問題がないのかしら?」と気にしているようです。
1人が「お嫁さんに聞いてみれば?」「駄目!それだけは絶対に言わない」他の人が「じゃ自分の息子にそれとなく言ってみれば?」「すぐ嫁さんに言うから、それも駄目」と、そこから息子娘談義です。
「家に家族で泊まりに来ても、私が布団を敷こうが、洗いものしようが、息子は気にしないけど、お嫁さんがしに来ると息子が後を付いて来て手伝う」(笑)
「息子に親は逃げないけれど、お嫁さんは逃げるから」と釘を刺されたそうです。
皆そうだそうだで、娘ばかりの私は耳が痛い。(笑)
私は「娘のところへ行くと、婿さんがコーヒーを入れてくれ、彼の両親の時はどうしているのか?とヒヤヒヤする」と娘親の心情を吐露。
そういやぁその時、娘に「今日は特別よね?」と聞いたら、娘「いつものこと」と、澄ました顔で言ったっけ。(笑)
最近の男性は本当に優しいですよね、いいことだけど。
何せ、親世代も若い世代には一切口出ししない現実で、それが上手くいく秘訣のようです。
団塊の世代は親の世話して(すでに送った方も、同居の方もいます)、子供の世話して、子供には世話してもらえない世代と、再確認です。
そうである以上、自分たちのことは自分で出来る生涯でありたいよね、頑張ろう〜ということで、来年の約束をしました。

荷物を取りにホテルに戻り鎌倉発3時27分の電車に乗りました、するとまもなく電車は停止しました。
「異常音がしたので緊急停止します、15両確認作業をします」とのアナウンスです。
停まった所が踏み切りの上だったので、一向に上がらぬ遮断機に、バックする車や不思議そうに話し合っている踏み切り待ちの人たちで、電車の中は説明がありますが、それこそ訳が分からないことでしょう。
最後にどんな”落ち”がつくのかと思いましたが、15分停止して「置石とわかりました。異常がないので発車します」で、ほっとしました。
でも心無い人がいるものですね、自然災害だけでも大変なのに。
楽しい2日間でした、写真は私が買った手ぬぐいとお箸です。(私はいつでも買いに行けるのですが(笑))