るりとうわた

日常をつづる

舞台観劇

下谷万年町物語

昭和23年。上野と鴬谷の真ん中に位置する<下谷万年町>。住みついた男娼たちでにぎわい、電蓄から鳴るタンゴの曲で、ハエの飛び交う八軒長屋造りの町。上野を視察していた警視総監の帽子が盗まれる。犯人は不忍池雷魚と呼ばれるオカマのお春率いる一味らしく、お春のイロだった青年・洋一(藤原竜也)が帽子を持って逃げている。それを追う破目になったのは、洋一と同じ6本目の指を持つ不思議な少年・文ちゃん(西島隆弘)。洋一と文ちゃんが出会った時、瓢箪池の底から男装の麗人、キティ・瓢田(宮沢りえ)が現れる。彼女は戦争中にはぐれた演出家の恋人(もう一人の洋一)を探していた。キティは、洋一、文ちゃんと共にレヴュー小屋「サフラン座」の旗揚げを決意する。それぞれの物語は、瓢箪池の中で時空を越えて交錯し、思わぬ結末に向かっていく。


作◇唐十郎
演出◇蜷川幸雄
出演◇宮沢りえ 藤原竜也 西島隆弘
 六平直政、金守珍、大門伍朗、原康義井手らっきょ、柳憂怜、大富士
 沢竜二、石井愃一唐十郎 他

三幕構成でたっぷり3時間の舞台でした。

3幕から蜷川幸雄さんも指定席の音響の後に座って観劇、監督?です。
舞台の前に池(瓢箪池)が作ってあり、緑色の水が満々と張ってありました。

透明だと客席からは見えないので、きっと色をつけたのでしょう。

オカマたち登場の後、中一の文ちゃん(唐十郎の少年期)の説明で始まり、途中その水の中からリュックを背負った洋一が登場です。
文字通り水の中から出たというのだけでも驚きなのに、洋一と文ちゃんはじめ何人もが何度も池に飛び込み、這い上がっては演技してまた飛び込むハードさに、びっくりです。
観客はのんきなもので、最初文ちゃんの言い回しが単調で、セリフが私の脳みそに入っていかないと思っていました、そこへ登場の洋一役の藤原君の台詞回しはさすがで、メリハリがきいて引き締ります。
文ちゃんがこの洋一との絡みのセリフになると不思議なもので俄然文ちゃんも良くなる、すると今度は洋一の台詞回しがずっとこの調子じゃ重い、疲れるから、少し緩めてと、(笑)

好き勝手言っている間にも、俳優は大変、水に入ったり出たり、前の席の方たちは大きなビニールをかぶり顔だけ出しています。
また初演に100人のオカマが登場し、その再演は実現不可能として語り継がれていました、というアッピールだったので、今回も舞台上に100人も乗るのかと期待したのですが、ざっーと数えて40人越えという感じで、これは残念でした。(笑)

それに綺麗なオカマが一人もいないと思っていたら、1幕最後に洋一が水の中から男装の麗人キティ役の宮沢リエさんを抱えて出てくるのですが、そのシーンがまた綺麗で印象的でした。

まさに掃き溜めに一羽の鶴という言葉がぴったりでした。
そこで20分の休憩があり、池が片付けられて、正面に8軒長屋の棟が立並びます。
2幕キティの独白があり、赤色の着物(襦袢)から真っ白の男装のステージ衣装へと、

1幕の文ちゃんの現在の大人の文ちゃんが登場したように、ここでも時空を超えたり、どこまでがリアルで夢想か?というシーンを何度も繰り返します。
演出家の恋人・洋ちゃんを探し歩き、その姿を追って瓢箪池に飛び込んだキティは、同じ名前の洋ちゃんが演出家となり、文ちゃんと3人でサフラン座を立ち上げます。
それからヒロポンで収容所に入ったり、洋一が途中姿が消えてしまったり・・・この辺とっちらかって(私の頭が?)よく分らなかったです。、

オカマもいっぱい出るのですが、なんと言っても迫力があり印象に残るのが六平直政さんで、他の人はセリフと顔が余り印象に残らなかったです。

上野の男娼たちに奪われた警視総監の制帽をめぐる芝居を一座が取り上げようとする、バイタリティに溢れる逞しさ、また実際洋一からキティに手渡された帽子を、キティが指し「権力はここにある」というセリフに戦後の時代を強く感じさせられました。

その私が経験していない時代が郷愁となって蘇る不思議?これが唐十郎の演劇の力なのでしょうか・・・

2幕の終わりに10分の休憩があり、その後にまた池が登場します。
途中で姿が見えなくなった洋一をキティがその池に飛び込んで引き上げますが、すでに死んでいます。
キティは洋一を担ぎ、文ちゃんと3人で舞台を続けると・・・

哀切漂う美しいキティがもう儚げで、切なくて、2度も洋ちゃんを失うなんて・・・

もっと過激というかギトギトした舞台を想像したのですが、シアターコクーン風蜷川演出なのか、また主役級3人の演技のせいなのか、はたまた男装の麗人のキティが中和してしまったのか、スマートな舞台に、仕上がっていました。
宮沢さん、2〜3度歌うのですが、これがあんまり印象に残らない・・・、もっと上手くなると、また魅力が増しますね。

踊り子・キティ瓢田は本来初演時の李礼仙に書き下ろされた役と聞きますから、この役をやる人によってこの芝居の印象は大きく変わるだろうなと思いました。