るりとうわた

日常をつづる

京都歩き(銀閣寺ー哲学の道ー南禅寺ー清水寺)


        銀閣寺)
4月に入りようやく春めいてきました。
3月末に京都歩きと比叡山巡りをしてきました。
関東に来て、もうじき40年近くになりますが、鎌倉散策等をするようになって、大阪時代に何故もっと京都を歩いておかなかったのかと後悔するばかりでした。
もっとも地元は大阪ですが、娘時代に遊びに行くといえば京都、神戸が多く、灯台下暗しで地元こそ知らない口です。
ここ数年、年代的に暇になったので、帰省のついでに、醍醐寺平等院金閣寺東大寺薬師寺法隆寺などの世界遺産巡りをしてきました。
今回は昨年の晩秋に京都に行く予定があったのが取り止めになったので、そのリベンジです。(笑)
夫が銀閣寺も清水寺も知らないと言うので、そこへ南禅寺を加えて、半日の洛東巡りです。
銀閣寺と清水寺世界遺産になっています。


新幹線で12時過ぎに京都駅着、まず市バスの一日乗車券を買い、バスで銀閣寺前まで40分以上掛かりました。
阪急の駅と京阪の駅前が混んでいたからでしょう。
もうすでにこの辺から天気が怪しくなり、黒雲が来ると雨がパラパラ、通り過ぎると太陽が顔を出すを繰り返しています。
銀閣寺道から銀閣寺に至る長い参道がありますが、さらに銀閣寺の総門(右の写真)まできれいな石畳が続いています。

正式名を慈照寺という。 文明14年(1482)、足利8代将軍義政が、山荘として東山殿を造営した。山荘・東山殿は義政の死後、臨済宗相国寺派の寺に改められ慈照寺と名付けられた。この東山殿は、後の文化に大きな影響を与え、ここから東山文化が誕生した。なかでも銀閣は二層からなり下は心空殿、上は潮音間と呼ばれ、国宝に指定されている。また池泉回遊式庭園は、義政と善阿弥が指導にあたり造営された。 さらに東求堂の一室である同仁斎は、初めての四畳半茶室として注目されている。東求堂も国宝に指定されている。


本堂(方丈)前には砂を波形に盛り上げた銀沙灘(ぎんしゃだん)と円錐型の向月台(こうげつだい)があります。

銀閣寺の広大な庭園の全景を見渡すには、少し高いところから眺めるのがいいので、庭園の東の山から銀閣寺庭園を望みました。


哲学者の西田幾多郎らが好んだことから、"思索の小径"と呼ばれていたのが、いつしか"哲学の道"と呼ばれるようになった、その哲学の道南禅寺まで下ります。


"哲学の道"の横を流れるせせらぎは、琵琶湖疏水からの流れ。南禅寺境内までつづいているそうです。
南禅寺の手前にあるのが永観堂(創建は平安時代の初期、弘法大師の弟子・真紹による。 その後、浄土宗西山禅林寺派の総本山として、平安末から鎌倉期に栄えた。)
永観堂は門の前から中を覗きながら通り過ぎました。
それからすぐに南禅寺の横側に着きます。

 (三門)

臨済宗南禅寺派大本山京都五山のひとつに数えられる。 三門(写真)は、2層からなり高さ22mもある。歌舞伎の中の石川五右衛門のセリフ、「絶景かな、絶景かな」で知られる。 国宝の方丈は、大方丈と小方丈からなっており、ともに狩野元信や狩野探幽狩野派の筆による襖絵がみられる。 また方丈庭園は、俗に「虎の子渡し」と呼ばれ、江戸初期の禅宗枯山水であり小堀遠州の作である。 境内には、総門、放生他、勅使門、三門、法堂、方丈の大伽藍が並ぶ。 境内の南東には、疏水の流れる水路閣もみられる。

今年は南禅寺が700年ということで、そのまつりごとのため、この日から内部の拝観が出来なくなっていたのは残念でした。

「絶景かな、絶景かな」の三門には上ることが出来たので(¥550)セリフを言うために上りました。
急激な傾斜で、また台幅が狭く足のかかりが不安定ながら、ロープを手にして上ります。

その景色やたしかに、「絶景かな、絶景かな」、京都市内と、歩いてきた東山の方が一望できます。
 (絶景の三門上)
 (法堂) 
三門の奥に法堂があります。
その後は、一度は生で見たかったサスペンスドラマによく登場する水路閣を見て歩きました。満足、満足(笑)

ここまで良く歩いたので、停まっていたタクシーがあったので、これで清水寺の近くまで行ってもらいました。
道中観光案内もしてもらいながら、2年坂の近くで下りました。

ここでもう3時半だったのでちょっと休憩とお茶にしました、抹茶と豆乳プリンのセットです。
私たちが入ると着物姿の若い女性たちが10人ほど出て行きましたが、その姿かたちが一般とは違う雰囲気でとても華やかでした。

店の前でお互いに写真を撮り合ったりしていて、店主の方が「宝塚の花組の方です」と教えてくれました、夫は綺麗だ綺麗だと感心していました。
その女性たちが店主の方に、写真を撮って欲しいと戻ってきたので、夫も一緒に出て、「写真をとってもいいですか?」と聞いていました。
「それを使われ(公開)なければいいですよ」と言われて写真を撮らせてもらっていました。(笑)
綺麗なだけでなく品があって、さすが選ばれた人たちというオーラがありましたね。
着物は今風で、店主さんがレンタル着物だと言っていましたので、女性の私はこちらにも興味が沸きました。(笑)

八坂の塔も見えました。
2年坂、3年坂はみやげ物店がいっぱいで、京らしく漬物店や扇屋なども多かったです。

坂を上りきった、まだその上に清水寺がありました。


清水寺は伝承によると坂上田村麻呂が780年(宝亀11)、延鎮を開山として東山の音羽山中に堂宇を建てたのが始まりといわれている。

仁王門や三重塔、また、清水の舞台で有名な本堂、それぞれが四季の彩りとともに美しい。

「清水の舞台から飛び降りる」という言葉は、物事の決断をする時、思いを決して身の振り方を決めるときに使われてきた言葉。この清水の舞台は斜面の上に建てられ、139本の支柱に支えられており、これより眺める市街の眺めは見事である。


ここで、ばらばらと雨に打たれてしまい、音羽の滝(右の写真)は見て通るだけにしました。
今日の天気は本当に変わりやすい荒れた天候でした。

帰りは満杯のバスで5時過ぎに京都駅に戻ることが出来ました。
半日観光で目標達成で計画通りでした、次の日は比叡山を目ざします。