るりとうわた

日常をつづる

お彼岸と昨今のお葬式事情


写真は吾亦紅にアメジストセージの花です。雨が降る前に撮りました。
”暑さ寒さも彼岸まで”という言葉がありますが、関東の今日はまさにその気候でした。
雨が一日中降り、気温が19度ぐらいでしたから前日とは10度も下がり、半袖では寒いぐらいでした。
かと言って、これが続くとも言えず、また今年も極端な温度変化がありそうで、風邪をひかないように注意したいです。

先日17日の日に近所に救急車が来ました。
途中までサイレンを鳴らし、我が家の前の道を入る時にはサイレンの音を消して通りました。
近所のSさん宅ですが、もう3度か4度目です。
これまでは転んで骨折したり、階段から落ちて頭を打ったりだったのですが、ここ最近はもう寝たっきりのようで、入院しても数カ月で退院され、自宅に介護士の方が来られて入浴されたり保健婦さんもみえていました。
その後どうされたか気になりましたが、金曜日の日に隣の奥さんとミニコミ会で公園に行こうとしたら、Sさんの奥さんがいつもはモノトーンの色合いの服装ばかりでしたが、その日に限り真っ赤なTシャツを着て、門の前で業者さんと話しておられました。
2人で「ご主人はいかがですか?」とお聞きしたら、「もう亡くなりました。」「17日に救急車で病院に行きすぐでした。それで19日にお葬式をしてもうすべて終わりました。」と言われたのでびっくりしました。
心臓がどきどきしました、亡くなられたこともそうですが、すべて終わったということも、あまりにもあっけなくて、言葉が続かなかったです。
そこにもう一人すでにご主人を亡くし一人住まいの方が来られ、話を聞き唖然という感じです。
亡くなられて4日目ということですが、真っ赤な色のTシャツを着て、「それがちっとも悲しくないの」と仰り、「気が張っているからでしょう」と私たちは・・
、またその方は1人暮らしの方に「○○ちゃん(犬の名前)死んじゃったんですって、かわいそうに」と、おしゃるので、1人暮らしの方は「犬のことなんて、どうでもいいです」と・・・
元気を装っておられるのか、あったことそのものを受け入れたくないのかもしれませんので、それ以上深くお聞きすることなく、私たちはその場を立ち去りました。
それからそのお宅に接する両隣、裏と集まってもらい6人で相談しました。
もちろん皆さん、それとなく気にしておられたようで、ご主人が戻られたことも親戚の方の姿を見たこともなく、その気配さえ感じなかったと。
きっと病院から火葬場へ直接行かれたのでは?親戚の方も呼ばれなかったのではないでしょうか?
30数年のお付き合いですから、そのご主人(85歳)とも挨拶したり、元気なときはよく散歩をされていて、必ず声を掛ける方でしたから、皆さん、お線香の一本も上げたい、お参りしたい気持ちがありましたが、何事もなかったように振る舞われ、迷惑を掛けたくないということでしょう、すべて終わったことですからと仰るのですから、そうーっとしておいてあげましょうと、言うことになりました。
すでに自分たちのお葬式等に香典をいただいた3人の方が、それでは気が済まないという風でしたが、各自でということにしました。
その後同じ街区の方に私からお知らせをして回りました。

昨年は別の街区ですが、私に踊りを紹介してくれた方で、私と同じ年で、一緒にお稽古に通ったのはたったの1か月でしたが、1年半の闘病生活を送り癌で亡くなられました。
その時もご主人は隣近所に一切言われず、お葬式も断わられ、組長さんだけに「私はここしか話をしていないので、話が広がったらあなたが言ったことになります」と固く口止めされたそうです。
一言「家族葬にしますのですべてお断りします」と伝えられたら皆さん納得できたのだと思います。
その後この話はみんなに知れ渡りました、いずれわかることですから。
でもそれだけ頑なに拒否されるのは、やはり身内の方が大変だからでしょう。
一番悲しい思いをしている人の気持ちに沿って上げるのが一番だとも思います。
ただ彼女の場合は踊りの先生を目指して修行をされていたので、先生やそのお仲間との結びつきが強く、ご主人がもう居場所を言ってくれないからと自力で探し回り、ホスピスにいらした時に会いに行かれ、再度訪れたときには病院の方の「家に帰られた」の言葉で、亡くなられたことが分かったのです。
それで先生はすぐに修行中の写真を数枚持って訪れ、「彼女はこんな素敵な笑顔だった」と話され、ご主人の固い壁も少しほぐれたようで、そのすぐ後に、私もお参りすることが叶いました。
今年も先生は「石(お墓)なんかと話したくない」と頑張ってご主人に会い、彼女の思い出話をされたそうです。

本当に難しい時代になりましたね。
20年前はほとんどが自宅からのお葬式で、近所の組でお手伝いもしました。
それが10年前からホール(葬儀社)を使用し、自宅を使う方は少なくなりました、今は家族葬か、密葬という感じでしょうか。
人間関係がどんどん希薄になり、門は閉ざされ家の中が見えなくなり、義理も人情も消えていくようです。
人間は交われば摩擦も増えます、そのストレスも増えるでしょう、でも触れ合うことで楽しいことも分かり合えることもあるでしょう、ストレスの解消になることもあるでしょう。
そういえばミニコミ会も、途中で一人の方が突然「私退会します」と言われ、「別に会に入っているわけでないので、来たくないときは来なくていいだけなんです」と話したのですが、良くその意味が分かりませんでした。
後日、何か宗教の会に入って時々通っておられるということが分かりました。
その後お会いした時には「水を差すようなことを言ってごめんなさい」と、また
今回のことをお話に行った時には「また何かあったら、助けてくださいね」と「お願いしますね」と言われました。
私は「お互い様ですから、助け合いましょう」と言いました。
豊かになるということはどういうことなのか?と、ふと思います。
百人百様、人それぞれなんですが・・・、こうして老人は孤独を選ぶ・・・
また自分たちにもあることですが。