るりとうわた

日常をつづる

舞台

先日(13日)、シアターコクーンで、舞台「八犬伝」を観てきました。
渋谷はいつ行っても人で賑わっていますが、昨日は東横線東京メトロ副都心線と直通運転をスタートさせ、地上2階にあった東横線渋谷駅は、副都心線が使用していた地下5階に移動したとニュースで見ましたが、すごい混雑でしたね。
これで、あのややこしい渋谷駅も少しはすっきりするのでしょうか。
さて舞台「八犬伝」を、少し。


<キャスト&スタッフ>
原作:滝沢馬琴南総里見八犬伝
台本:青木豪
演出:河原雅彦
出演:阿部サダヲ 瀬戸康史 津田寛治 中村倫也 近藤公園 尾上寛之 太賀 辰巳智秋 二階堂ふみ田辺誠一

まだ始まったばかりのようだし、あらすじと内容はYOMIURIに載った分を拝借します。

大義のもと、同じ玉・同じあざを持つ八犬士が、里見家再建のため戦いを挑む、滝沢馬琴の伝奇小説「里見八犬伝」を阿部サダヲ主演で舞台化した「八犬伝」が、8日、東京・シアターコクーンで開幕した。

強欲な伯母夫婦の策略により父を失った犬塚信乃は、代々受け継がれてきた名刀・村雨を足利家に献上するため、許嫁の浜路を置いて旅に出る。そんな信乃の体には生まれつきのあざがあり、浜路の家の下男・額蔵(後の犬川荘助)にも同じあざが。さらに信乃は「孝」、額蔵は「義」の文字が刻まれた玉を持っていることがわかる。不思議な運命に導かれ、二人は、足利家へと急ぐが…。

映画やドラマ、歌舞伎など、さまざまなジャンルの作品が作られてきた「八犬伝」。今回の青木豪台本、河原雅彦演出版の舞台は、随所に散りばめられた笑いにほおをゆるめ、迫力満点の殺陣に息を飲み、原作とは異なるラストに人間の愚かさと愛おしさを知る。一貫して疾走感が感じられる現代的なエンターテインメント作品だ。

その大きな要因を担ったのが、やはり信乃役の阿部の存在。信乃は八犬士のヒーローだが、阿部演じる信乃はとにかくめちゃくちゃ。テンションの高さと絶妙な間で爆笑を誘い、ひとたび剣を握れば踊るように舞台の上を駆け回る。特に殺陣シーンは、阿部自身、「苦労、大変、楽しい、すべてにおいて殺陣です」と言い切るほどの力の入れようだ。

信乃以下の八犬士を演じるのは、荘助役の瀬戸康史のほか、津田寛治中村倫也近藤公園ら。それぞれにドラマがあり、物語に厚みを加えるため、しっかり芝居で見せられる巧者がそろった。また作品の鍵を握るゝ大ちゅだい法師役の田辺誠一、初舞台ながら女優としての多面性を見せた浜路役の二階堂ふみも注目だ。

さらに、もう一人の主役と言えば、幕開けとともに登場する和太鼓。音は役者たちと競演し、さらに座席を伝う振動は観客をこの物語世界にグッと引き込む。中でも緊張感あふれる殺陣シーンは、和太鼓なくして表現することはできなかっただろう。
取材・文:野上瑠美子(YOMIURI)

3階席でしたが、サイド席でなく正面向きは良かったです。
若い俳優も多く、八犬士が揃うまでに時間が掛かるし、セリフの聞き取り難い人もあり、個性がないと誰が誰だかわからないときがありました。
こういう時はつくづく前の席の人は分かりやすいだろうな〜、と羨ましくなりました。(笑)
まあ、阿部サダヲさんは、個性的ですし、セリフも明瞭でした。
時々友人と新感線風だね、帝劇のSHOCK風だね、と顔を見合わせました。
両方の公演とも長くやっているとそういう風に参考になるのでしょうね、演出は河原雅彦(役者でもある)さんなので、なるほどと思ったり、独自の物を作り上げるのは時間が掛かりますよね。

話は南総里見八犬伝とは異なりますが、台本を書かれた青木豪さんはこんなことを書かれています。
「『八犬伝を書きませんか?』とオファーをされて、すぐさま快諾させて頂いたのは、関わらせていただく皆様が魅力的だったのもあるけれど、何より原作が「過去の話」で、かつ「いくらでもデタラメが書けそう」だったからだ。震災と原発以降、世の中があまりにもデタラメになってしまって、オファーが現代ものや未来の話だとしたら、書いたそばから嘘くさくなりそうで、僕にはその時、書き終える自信がなかった。略
原作の「八犬伝」はハッピーエンドに終わるが、それは決して当時の世相がハッピーだったからではなく、むしろ「世の中があんまり酷いので、物語の中ぐらいハッピーに終わりたい」と馬琴が願ってのことだという話がある。馬琴には申し訳ないが、今回の舞台はハッピーエンドには終わらない。といってバッドエンドにもしていない。元来僕自身が馬琴様よりもスケールの小さい人間だからなのかもしれないが、今を生きるものとして、やすやすとハッピーエンドは信じられないし、といって訳知り顔で観客の後味をただ悪くするようなバッドエンドを語るのも陳腐だと思ったからだ。過去の話ではあるけれど今を生きるものとしてのエンディングを書けたと信じている。結局はだから、これは現代の物語にもなっているはずだ。」
この芝居をみていて、たしかにこのように感じることが出来ました。
震災以降エンタメの社会も影響を受けない訳がなく、観客の何を観たいか、作り手の何を見せたいかは変わってきていると思います。
あれほど皆殺しの多かった新感線の舞台も主人公は死ななくなりましたし、娯楽作品ではあるけれど「3・11後、言うべきことを持って芝居をやる意識が生まれた」と演出のいのうえひでのりさんが言われていることも同じだと思いました。
芝居も時代とともに変化していきますね、またそうでないと記憶に残るものには成らないでしょう。