るりとうわた

日常をつづる

柿葺落六月大歌舞伎

【第二部】
一、壽曽我対面
    工藤祐経仁左衛門
    曽我十郎 : 菊之助
    曽我五郎 : 海老蔵
    化粧坂少将 : 七之助
    鬼王新左衛門 : 愛之助
    小林妹舞鶴 : 孝太郎
    大磯の虎 : 芝雀

二、土蜘
    僧智籌 実は 土蜘の姓 : 菊五郎
    侍女胡蝶 : 魁春
    巫女榊 : 芝雀
    番卒 : 翫雀
    同 : 松緑
    同 : 勘九郎
    平井保昌 : 三津五郎
    源頼光吉右衛門

1幕は
「寿曽我対面」
「歌舞伎の役柄が勢揃いする様式美に満ちた華麗な一幕」と銘打たれているだけに、豪華絢爛で見応えがあります。
工藤祐経富士の巻狩りの総奉行就任の祝いの席に、曽我兄弟が体面を願い出るという、ものです。

誰がお目当てかと聞かれれば、世代的にも、仁左衛門なのですが、工藤祐経役の片岡仁左衛門ですが、若い時に見たのとは違って、やはりそれなりの年齢を感じました。(自分も年を取ったのですから当然です。)
それに動かない役で、ちょっと物足りないです。
やはり現代語でないので科白が聞き取りにくいところもあるのですが、それでも明瞭にはっきり聞こえる方もいます、長唄でもそうで、よく通る声の方と、そうでない方があり、双眼鏡でチェックしました。
曽我の兄の十郎が菊之助、弟の五郎が海老蔵で、こちらは花道から登場で、動きがあるのでやはり注目しますね、弟の方が仇を討ちたくて気がはやり、感情が露わに出ている隈取をしています。こちら荒事と、和事を演じる十郎祐成の役(菊之助)が、もう見た目から好対照となり、面白いでした。
花魁役が七之助と、もう一人は誰かな?、七之助はやはり若々しくて綺麗でした。どうしても若い方に目が行きます。(笑)
今年曽我兄弟のゆかりの地という曽我梅林へも行きましたし、舞台上の工藤家の背景も富士山に両側は紅白の梅の木でした。

この源頼朝の巻狩りというのは、権威の誇示でもあり、また軍事訓練でもあったようで、大々的に行われたので、富士山の写真撮影に行くと、富士山の景観の良い場所に、富士見塚として、頼朝やその家来が立ち寄ったと記されているところもあります。
鎌倉が世界遺産登録を逃す結果になり、最近すっかり県民愛に目覚め、さらに判官贔屓 が高じて、鎌倉時代は神奈川の文化と思うと、地元の話でもあり、日本人として、オペラより歌舞伎の方がぴたっと来る感じがしました。(笑)
これは仇討そのものの場面ではなく、工藤は、富士の裾野で行なわれる狩りの総奉行職を勤めた後で、兄弟に討たれることを約束し、年玉代わりに狩場の切手[通行手形]を渡します。
七之助の花魁姿の衣装は凄くあでやかで、ゴージャスでしたが、ただこの鎌倉時代に、花魁はいないので、静御前のように白拍子だったことでしょう。
これは江戸歌舞伎として江戸時代に書かれたものだから、花魁姿なのでしょう。
江戸歌舞伎では、毎年正月に曽我兄弟の登場する作品を上演する慣習があり、兄弟が敵の工藤と対面する場面が必ず含まれていました。さまざまな趣向によって、繰り返し上演された「対面」の場面は、登場人物の役柄や扮装などが次第に様式化されていきました。現在の『寿曽我対面』は、1885年[明治18年]上演時の演出が元になっています」とあります。


2幕は「土蜘蛛」
「土蜘蛛退治伝説を題材にした壮重な舞踊劇」で、新古演劇十種の一つです。
これは能楽でも有名な演目で、昔土蜘蛛とは大和朝廷に恭順せず敵対した古代の「まつろわぬ人々」へ向けた蔑称だったそうで、
皇室に従属しない、各地の豪族やその一門を指す言葉で、『古事記』『日本書紀』、また『風土記』など、古来の書物に頻繁に登場する、中でも大和国大和葛城山に存在した土蜘蛛が知られ、彼らは神武天皇によって討伐されたそうです。
それが時代と共に変化し、妖怪となるのですが、この話には2パターンあり、一つは、「土蜘蛛草子」では、あるとき源頼光が四天王・渡辺綱を連れて、夜を徹しての一大決戦となり女に化けた土蜘蛛を退治すると食べた骸骨が出てきたり、大きな小蜘蛛が数えきれないほど出て来て焼いて退治する話と、

もう一つは「平家物語」で、熱病を患って床に臥せている頼光の元に、奇妙な僧侶が現れ、必死で抵抗し、その傷の血の跡を、頼光と四天王とでたどり、北天満宮に行き着き、その裏手にある塚で全長四尺(1.2m)もの大蜘蛛を見つけ、退治し熱病が完治するのですが、この土蜘蛛は前述の大和葛城山の土蜘蛛の怨霊とされています。
能も歌舞伎もこの「平家物語」から来ているということです。

病に伏せる源頼光吉右衛門)の元へ、家臣の平井保昌(三津五郎)が見舞いに来たり、侍女胡蝶(魁春)が薬を持ってきて、慰みに舞います。
この胡蝶の舞が、実に基本に忠実で、中腰で、片方の膝が片方の膝の後ろに入り、どれだけ踊っても離れない、内足歩きも崩れません。それが道中着のように裾が短い着物なので足元が良く見えました。
本当に日ごろ踊りの稽古で先生に注意されることが、あまりに完璧に出来ていて、感心しました。まあプロと言えばそうですが、これもお稽古をしていないと気が付かなかったでしょうと見ながら思いました。

舞台は夜になり、比叡山の僧(菊五郎)が現れ祈念するのですが、それが土蜘蛛で、本性をあらわして消え、それを保昌が四天王(勘九郎松緑他)と退治に行きます。
吉右衛門は病気役でこれまたあまり動きませんから、これはやはり菊五郎が良かったですね。
蜘蛛の糸も見事でした、ただ一つだけ広がらずに、蜘蛛の糸が紙のかたまりのまま転がってしまうのですが、それに笑い声が起きて、あ〜こういう雰囲気なんだ、とちょっと驚きました。大立ち回りのいい場面だったのに。
舞台後ろの高い台の上に、ずらっと三味線はじめ唄い手が、鼓(つづみ)の方はその下にと、いわゆる生オーケストラ(?)の演奏でした。

これは河竹黙阿弥の作品です。

どちらも面白かったので、もう行かないと言いましたが(笑)、また近松門左衛門ものでも見に行きたいですね。