るりとうわた

日常をつづる

9条戦争放棄と96条(自民党憲法草案と現行憲法の違い)

昨日は自治会の公園清掃の日で、毎年梅雨の期間に行われるので、延期して次の日曜日になると予定が…、と心配するのですが、
今年はその天気の心配をすることもなく、晴天の下午前中に行われました。
やはり雨が少ないのでしょう、草を抜くと砂埃がおきるほど土が乾いていました。
女性は器用ですから?草取り鎌を忙しく動かしながらも、口も動かしながらと、大忙しでした。(笑)

しかし、これは梅雨に入っているのでしょうか?
10日ほど早い入梅でしたが、そもそもこれが違っていたのでは?と、思ってしまいます。
穴埋めのためと言わんばかりの大雨、ゲリラ豪雨は止めていただき、穏やかで順調な天気で推移して欲しいですね。

さてここで、いよいよ自民党が本当に憲法を変えたがっている第9条戦争の放棄の削除に関してです。

その前に、私たちは小学生の5年か6年生の時に日本国憲法を教わりました。
その日本国憲法の特徴として、国民主権基本的人権の尊重、平和主義の3本柱があります。

これまで自民党草案を見て来て、自民党が変えようとしているのは、この国民主権を取り除き、基本的人権に制限を加え、ということですでに2本柱が崩されてしまいました。
そしてこの平和主義を削除してしまえば、日本国憲法の3大特徴(長)の全てを取っ払うということです。まさに恐るべしですね。
これでは、また来た道にもどるのか?ということですが、
では、日本国憲法以前の大日本帝国憲法というのが、どういうものだったかというと、順序をたどって見て行くと。
参考資料「憲法をわかりやすく」http://consti.web.fc2.com/index.html#01
    「日本国憲法について学ぼう」http://ai.rku.ac.jp/et06/nagayama/
当時、国外では他の先進国は皆憲法を持っていて、日本も遅れをとらないように憲法を作ろう、という動きがあり、国内では明治政府に対する反政府運動の高まりがあったため、それを鎮圧するため憲法を作ろう、そこで明治憲法大日本帝国憲法)を1889年(明治22年)に作りました。

第1条:大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス

第3条:天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラズ

第4条:天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

これに尽きるわけで、天皇は、立法権・行政権・司法権の全てを統括する者という位置付けで、国民は「天皇の臣民」であり、「人権は天皇が臣民に恩恵的に与えたものに過ぎない」という発想でした。
だから、大日本帝国憲法では居住・移転の自由、信書の秘密保障、信教の自由、言論の自由、集会・結社の自由などの自由権が認められていたものの、実質、帝国議会が制定した法律によってその自由が奪われていきました。
ようするに国民を臣民と位置づけ、立法による人権制限を認めた内容であったため、その後の政治が悪政(1900年の治安警察法、1938年の国家総動員法)であっても、国民はそれに従わざるを得ず、国政は政府の思いのままであり、ファシズムが合法的に台頭したのも無理はないと言える状態となりました。
そして、軍部が暴走して戦争に突き進んでしまい、それを議会も内閣総理大臣も止めることができませんでした。

1945年(昭和20年)、日本は敗戦し、ポツダム宣言を受諾します。
ポツダム宣言の内容は「軍国主義排除、民主主義、基本的人権の尊重」、の確立を要求するものでありました。
このポツダム宣言を受諾してから、日本国憲法が制定されるまでの経過には、様々な紆余曲折がありました。

まず、ポツダム宣言の内容の一つである国民主権を政府(ときの内閣、幣原喜重郎内閣)はとても嫌がりました。
政府は天皇主権のままにしたかったのです。

そこで、松本蒸治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会を開いて「憲法をこのように改正します」と、松本案を作成しました。

1946年2月8日
天皇主権は原則維持する
・軍隊は存続させる
基本的人権の考え方はない
・「臣民の権利」は法律で自由に規制できる

その内容は今までの明治憲法と、ほとんど変わらない内容でした。

このため、GHQはマッカーサー3原則を示しました。

マッカーサー3原則、
天皇は国のヘッドである。天皇憲法に従う。
封建制度華族など)を廃止する
・戦争を放棄する

これらをもとに日本国憲法が制定されました。
日本にはまだ自国で作る民主主義の素地がなかったということです。
こうしてできたのが日本国憲法で、1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されました。

これらを踏まえておいて、自民党の草案を見ていきます。

参考ブログ
日本国憲法改悪草案 日本の未来にふさわしくない 憲法改悪阻止を今こそ」
http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm#0
青字はこの方の意見です。

日本国憲法

第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


自民党草案

第二章 安全保障

(平和主義)
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。

2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない

国防軍
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。

  を、これらがきれいさっぱり削除され、その代わりにトンデモない集団的自衛権行使・可能を捻込んできた! 2005年版よりもっと過激になった。

2この自衛権とは集団的自衛権のことを指し、安倍氏もそうゆっているし、それしかゆってない。対となっている個別的自衛権にはついては一切触れてない。
※「集団的自衛権とは」を、2003年9月 と 2005年4月 にアップしている。

このように改訂されたら、アメリカからの要求に対して「拒否できていた理由」があったのに、そのものが消滅してしまう。だから、「さっさと行けっ!」と要請されたら、日本国は従うほか無くなってしまう。
アメリカはイラクで懲りているので兵士を温存しようとする。自衛隊国防軍)がその代わりに戦場に飛ばされる事態がでてくる。「戦闘地域でない」などの縛りは端からない。
そもそも、アメリカと軍事同盟を結んでいるので、もともと逃げられない。が、これまでは憲法を盾に、憲法9条があったから、のらりくらりとやり過ごすことが可能だった。とてつもなく強力な盾だった。アメリカにとっては邪魔で邪魔で仕方なかった。それを、完全に取っ払うという。
この同盟とは、「血の同盟」だと、安倍晋三氏は著書でゆっている。

〔新設(国防軍)〕
<-- 現行憲法第九条二項がバッサリ削除され、その代わりにこの第九条の二を新規に拵え、突っ込んできた。この第九条の二、2〜4項は2005年版の第9条の2(自衛軍)をそのまま嵌め込んだだけ。自衛軍だけを国防軍にすり替えて。
2005年版の時にも解説したが、この条文で戦闘、戦争をさせないという明確な歯止めが現行憲法から消滅することになる。

「国際的に協調して行われる活動」と称して、米軍下請けの戦闘が海外で可能な根拠となる。飛ばされたら、もう、そこは戦場。非戦闘地域などの縛りは、勿論、端からない。
実際の根拠法は「海外派兵を恒久的に自衛隊の本来任務とする国際平和協力法案」がすでに準備されている。<-- もともと公務員には、守秘義務が課せられている。現行の裁判制度に掛けるだけで必要十分。
これだと、公務員が国防軍の審判所、軍法会議にかけられ処罰されることになる。ひとたび軍が設置されたら、すべてに優先されるのが世界の常。 裁判所への上訴権保障とあるが絵空事となる怖れ大。

この方が言っているように、自衛権とは集団的自衛権を指すので、同盟を結んでいるアメリカが日本に、戦闘地域に行けと言われたら、これまでのように9条があるということが盾にならず、即行かねばならず、アメリカにとっての好都合ということです。
やはり、日本は、「② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」を堅持するほうが、世界からもそういう国として扱われ、アメリカの勝手に使われないということでしょう。
自民草案では軍国主義へまっしぐらと言えます。
日本国憲法は、何よりも、これまでの戦争の反省の上に立っている姿だと言えると思います。
国家の権力、つまり国家権力は放っておくと暴走して、好き勝手なことをしてしまいます、過去そうであったように。
そこで、国家権力が好き勝手しないように歯止めをかけるのが憲法で、それが立憲主義ということです。
以前は、戦争反対と自らの意見をいう表現の自由も権利もありませんでしたが、今は民主主義の世の中で、それは憲法によって、国家権力の暴走から国民の自由が守られています。
元来た道へ戻らぬように、今声を上げなければいけないと思います。

自民党はこの自民草案ではボロが見え、あまりのひどさに支持されそうにないので、さらに皆の反対の声が上がる前に、こららを手っ取り早く改悪しようと、96条を先に変えようとしています。

日本国憲法

第九章 改正

第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。


自民党草案

第十章 改正

第百条 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。

憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、直ちに憲法改正を公布する。

<-- 「有効投票の」を追加して敷居を下げた。この「有効」がクセモノ。その気になれば、まず投票率を下げる、つぎに無効票として弾く・・を駆使すれば分母をいくらでも小さくすることができ、「過半数」を創り出すことが容易に可能となる。
これが本音か。
選挙のついでに国民投票をやれば今回の総選挙のように投票率が6割切ることもありその中の有効投票に絞れば、さらに改定しやすくなる。
権力側には、矢継ぎ早に改訂したい思惑があるので、あからじめ通し易くしておきたいという都合のいい論理。そんな意図が見え隠れする。
そもそも権力側から仕掛けるのは立憲主義にそぐわず、筋違いといえよう。-<-- 「国民の名で」が、消えている。
ここでも天皇が一番エライ(文字では書いてないが天皇に主権を持たせたい)ことを強調か。すでに主権でぶつかっているのでそれを打ち消すには、「国民の名で」を削る必要があるという彼らなりの理屈だろう

本当に知れば知るほどひどい話です。
国民の何分の1かで、この重要な憲法を容易に変えられるようにしようとしています。
政権が交代するたびにころころ変えられるような、軽いものが憲法ではありません。
自民党草案では、一番上に書いた3本柱をなし崩しに壊してしまい、また戦前のように国民から自由と権利を奪い去り、戦争の弾や、弾除けにしようとしているのではないでしょうか。

憲法は国家権力を縛るものであって、国民を縛るためのものではありません。
憲法改悪を阻止しましょう。