るりとうわた

日常をつづる

七夕

今日踊りのお稽古で公民館に行くと、七夕のお供えがしてあり、その前に笹が立ててあり、願いを書く紙も置いてありました。
もう7月ですものね、すぐに七夕です。

ここの公民館は、いつもいろんな日本行事を展示したり、市民参加に力を入れているところです。
それで、お仲間と、大根や、ニンジンの収穫物を供えてあるのを見て、「こういうお供えの仕方だったのね」「知らなかった」等話していたら、
公民館の方に、「写真を撮らせて下さい」と言われ「お着物姿と飾りを是非」と言われ、え?モデル?
と言っても、どこへ出すということではなく個人的にと言われ、了承しました。
それを後から来た方に言うと、「私も撮って欲しい」と6人ほど大挙名乗り出ていました。
私たちはオファーを受けたのよね、と威張って?おきました。(笑)
日本の行事も着物姿も珍しくなりましたから。

七夕と言えば、現在は笹飾りばかりが残っていますが、本来、宮中で行われていた形式はこのようだったそうです。

日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(お盆)に、中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)や佛教の盂蘭盆会(お盆)などが習合したものと考えられている。そもそも七夕は棚幡とも書いたが、現在でもお盆行事の一部でもあり、笹は精霊(祖先の霊)が宿る依代である。

唐の玄宗のときは盛んに行われた。この行事が日本に伝わり、宮中や貴族の家で行われた。宮中では、清涼殿の東の庭に敷いたむしろの上に机を4脚並べて果物などを供え、ヒサギの葉1枚に金銀の針をそれぞれ7本刺して、五色の糸をより合わせたもので針のあなを貫いた。一晩中香をたき灯明を捧げて、天皇は庭の倚子に出御して牽牛と織女が合うことを祈った。また『平家物語』によれば、貴族の邸では願い事をカジの葉に書いた。二星会合(織女と牽牛が合うこと)や詩歌・裁縫・染織などの技芸上達が願われた。江戸時代には手習い事の願掛けとして一般庶民にも広がった。


たしかに織姫ですから、機織りに関係しています、それで世の女性が針仕事の上達を願ったということで、この時代針仕事は大事だったことでしょう、五色の糸が飾られています。
それがのちに五色の短冊になったようです。
江戸時代には、もう今の願掛けを書いたようで、特にお稽古事や字が上手になるようにと願ったそうです。

今年の七夕のお天気はどうでしょうか、
願い事ならいっぱいありますね、「福島の復興を」「平和で安定した社会を」「原発の無い安全な国へ」等々