るりとうわた

日常をつづる

まだ、これから〜


今年は素晴らしい紅葉便りが聞かれますが、我が家の紅葉もそれなりに素晴らしいです。
上のドウダンツツジは言うまでもなく、紅葉も綺麗に色づきました。

さらにこちらは

ブラックベリーの葉です。
今日は天気が悪く、今週は真冬並みの気温とかで、冬本番を迎え、ますます厳しい寒さとなりそうです。
こういう時は、せめて心ぐらいは温かくありたいのですが、自民の特別秘密保護法案の強行採決で、寒さ倍増です。
朝日新聞の一面ですが、7日に全国緊急世論調査(電話)を実施したところ、国会での議論が不十分が76%に達し、十分だは11%。
賛否については賛成24%、反対51%となり法案が成立してもなお反対が多数を占めた、とあります。
さらに安倍内閣自民党に国民の声を聴こうとする姿勢を「感じない」も69%となり、「感じる」の16%をあわせると大きくなったと載っています。
しかしこうなることは分かっていたのですから、終わってから気がついても遅いのですが、気が付かないよりはまだましということです。

みんなの党江田憲司前幹事長は、9日に離党届を提出する意向を固めた。年内に新党の立ち上げをめざす。江田氏は渡辺喜美代表と野党再編への路線で対立していた。同党は現在35人が所属するが、結成から約4年で分裂することになった。今後、野党再編につながる可能性がある。
とありますが、公明党自民党と同じ方向でいいのでしょうか・・・ただ内部分裂はしないのかな。

国民も、政治に無関心や、これで諦めるのではなく、見続けて行かなくてはならないと思います。
朝日新聞の一面ですが、これは朝日新聞の決意でしょう、「知る権利支える報道続けます 」として載っています。

知る権利支える報道続けます 
ゼネラルエディター兼東京本社編成局長・杉浦信之

2013年12月7日05時00

特定秘密保護法が成立した。私たちは、この法律の危険性を指摘してきたが、今後も問題点を追及していきたいと思う。それは、国民一人一人の生活を脅かす恐れがあるからだ。

 どんな組織にも公開できない情報はあり、日本にはそれを守らせる法律も現にある。しかし、新たな法律は(1)秘密の範囲を際限なく広げ(2)官僚や政治家の都合のいいように秘密を指定できるようにした。さらに(3)秘密を扱う人たちのプライバシーの把握は家族にまで及び(4)秘密の指定を監視する独立した機関もない。

 2011年の東日本大震災原発事故で、政府は国民の生命財産を守るのに必要な情報さえ隠し、活用もできなかった。今回の法律は、一般人を何が秘密かわからない状態に置いたまま、その秘密を漏らせば懲役10年の罰を科す。動く方向が正反対ではないのか。

 私たちは、この法律が施行されたときに一般市民が罪に問われる可能性を、専門家の助言や過去の事例をもとに何回も報じてきた。こうした懸念を非現実的と批判する人たちがいる。しかし、治安維持法を含め、この種の法律は拡大解釈を常としてきた。

 税金によって得られた政府の情報は本来、国民のものだ。それを秘密にすることは限定的でなくてはならない。わたしたちは、国民に国民のものである情報を掘り起こして伝え、国民の知る権利に奉仕することが報道の使命であることを改めて胸に刻みたい。

 戦後の日本社会は、権力闘争も政策対立も、暴力ではなく言論で解決する道を選んだ。ときに暴力で言論を封殺しようという動きも、自由な言論を支持する国民がはねのけてきた。言論の基となる情報の多くを特定秘密という箱の中に入れてしまう法律は、70年に及ぶ戦後民主主義と本質的に相いれない。

本当に廃案を願いたいです。
さらに、音楽家富田勲さんのコメントも載せています。

(どうする 特定秘密保護法)重大な責任、まさにこれから 冨田勲さん
2013年12月8日05時00分
■作曲家・冨田勲さん


ぼくの少年時代は「箝口令(かんこうれい)」の世の中でした。大戦末期、愛知の三河地震に遭遇しました。けが人をリヤカーに乗せてガタガタ道を運び、寒さに震えながら、誰もが情報を待っていた。どこで手当てしてもらえるのか。援助物資はいつ来るのか。しかし、我々の思いとは逆に、国は報道管制を敷きました。日本が弱っているように外国に思われるたくなかったのでしょう。結果、死ななくてもよい命が沢山死んでゆきました。

偽りの情報は、不毛な憎しみを育てます。B29から落下傘で降りてきた米兵を、人々が寄ってたかって鍬で殴り殺したことの噂も出ました。実際は手厚く看護していたのに

秘密の保持そのものは、なくてはならない局面もあるでしょう。しかし、それがひとたび歪んだかたちで漏れたとき、憶測をまとって広がり、一部の人間にうまく利用されかねないということを政府は知るべきです。正しい情報を隠すことは、デマの発生に加担することなのだと。

昨年、老体にムチ打って、宮沢賢治を素材にした新しい交響曲を世に問いました。大戦や震災を体験した人間として、自然やいのちの本質を、言葉や世代の壁を越えて伝わる音楽で残しておかねばならない、と。未来に向け、私たち一人ひとりが重大な責任をもたねばならないのは、まさにこれからではないでしょうか。情報から真実を判断し、自ら考え、行動する権利を守る。そういう責任です。

歴史は繰り返すで、同じ道に逆戻りでは困りますよね。
まさにこれから、と、廃案に持って行くようにしなくてはいけません。