るりとうわた

日常をつづる

3・11あれから3年


今日は、東日本大震災から3年が経ちました。
あの日を境に、色んな物の見方や考え方、生き方も、少なくとも変わらざる得なくなったと思っています。
甚大な被害が出て、未だその復興は進んでいません。

今朝の朝日新聞です

避難26万人、遠い復興 東日本大震災きょう3年
2014年3月11日05時00分

東日本大震災から11日で3年になる。約26万7千人が今なお、避難生活を強いられている。仮設住宅には約10万4千世帯が暮らし、岩手、宮城、福島の3県のプレハブ仮設住宅の入居率は約84%に上る。同時期の入居率が50%台だった阪神大震災と比べて、暮らしの再建の遅れが目立つ。

 警察庁によると、震災による死者は1万5884人、行方不明者は2633人(10日現在)。震災後の避難生活による体調悪化や自殺などによる「震災関連死」は3県で2973人。原発事故による避難が続く福島県では、地震津波による直接の死者数を上回った。

 住まいの復興は道半ばだ。復興庁によると、今月末までに3県で2347戸の災害公営住宅が完成する予定だが、計画戸数の9%にすぎない。自力再建者が家を建てる移転先などに造成する宅地は計画の6%、1388戸分にとどまる。

 地域再生の要となる学校でも多くの子どもらが仮設校舎や他校の「間借り」で過ごしている。被災自治体は人口流出やまちづくり、被災者の心のケアなど、様々な課題に直面している。

人材不足に資源不足で、入札が決まらないそうです。
そんな中で、東京オリンピックを進めて、その人材不足や資材不足に影響が出ないとは言えないですよね。
同じ日本人なのに、まず震災の復興を第一にやり遂げてからだと思いますが・・・
安倍首相は、原発がアンダーコントロール下にあると、嘘までついて、五輪招致をしたのですから、彼の描く「美しい日本」なんて、絵空事でしかないことが明白です。

そして、この東日本大震災は、日本という国には原発は適さないということを教えてくれました。
民主党の政権下では脱原発に向かうと思われたのですが、自民党の政権になり、再稼働の道へと進みそうです。
復興と同じく、まったく解決のめどもなく、日本を、地球を汚染し続ける原発事故ですが、すみやかな取り組みを進めてもらいたいです。
自分に何が出来るのか?と考えてしまいますが、原発NO!と言い続けたいです。

3月7日の「論点:震災復興に求められる視点」毎日新聞の記事です。

◇ムラ的民主主義の危うさ−−斎藤環精神科医、筑波大教授

 東日本大震災から3年が経過し、安倍政権のもとで、震災からの復興は一定の進展を示しつつある。民主党政権の失敗から学び、高台移転やがれき処理などについての目標設定を適宜調整しつつ、復興を進める姿勢は評価できる。

 しかし、東京電力福島第1原発の事故処理についてはいまだ問題が山積している。第一に、除染や廃炉、汚染水対策が停滞しているという現実。とりわけ汚染水についてはトラブルが続いており、安倍晋三首相が五輪招致演説で述べたような「アンダーコントロール」とはほど遠い。

 もちろん原発事故については、他の政権担当者ならばきちんと処理できたとは限らない。しかし、長期的視野に立った場合に、安倍政権は少なからぬ“思想的問題”をはらんでいる。

 私が特に懸念するのは、安倍政権が一貫して“前のめり”になっている改憲論議についてである。一昨年に提示された自民党改憲案には、立憲主義の否定になりかねない危うさがある。この改憲案は、安倍首相の思い描くポエジーの反映である。

 「自立自助を基本とし、不幸にして誰かが病に倒れれば、村の人たちみんなでこれを助ける。これが日本古来の社会保障であり、日本人のDNAに組み込まれているものです」(安倍晋三「瑞穂の国の資本主義」文芸春秋2013年1月号)

 ここで述べられる「瑞穂の国」とは、いわば理想化されたムラ社会である。改憲案の理念にも、至る所にムラ的価値観がにじんでいる。

 例えばこの改憲案は「天賦人権説」を排除する。“権利には義務が伴う”がゆえに、個人の権利は国への義務を果たすことで保障されるという思想は、戦前の大日本帝国憲法への“退行”である。

 民主主義の根幹は、個人の人権に至上の価値を置くことである。その意味で、個人の権利以上に重要なものがあると考えるこの改憲案は、民主主義に反している。

 改憲案ではしきりに「公の秩序」が強調される。福祉ではなく秩序、である。しかし、個人の活動を抑圧する「公」は「公」ではない。それは「世間」そのものだ。

 世間を構成するのは家族や地域や会社といったムラ的中間集団である。つまり改憲案では、国家や社会といった「公共」以上に、ムラ的な「世間」が重視されているのだ。

 こうしたムラ的民主主義は、短期的な地域の復興や景気浮揚においてはそれなりに効果を発揮するだろう。しかし原発廃炉をはじめとする長期的な原子力政策、あるいは復興の中で疲弊した被災弱者へのサポートについては大いに不安が残る。

 すでに安倍政権は原発再稼働を前提としたエネルギー政策を進めつつあるが、今回の事故において問題となった人災的側面(事故直後の保安院職員の逃亡など)への反省がほとんど生かされていない。

 ムラ的価値観の問題の一つは、トラブルが起きた場合の責任の所在がうやむやにされやすい点である。さらに、先般成立した特定秘密保護法のもと、今後の政策決定の過程が不透明化し記録に残されない懸念が加わる。

 「あの日」を経てきた私たちが、今度こそ「市民」たりうるのか、依然として「ムラ人」にとどまるのか。ひとまずは改憲に対する意思表示がその試金石となるだろう。(寄稿)

市民でありたいですね。