るりとうわた

日常をつづる

京都巡り(2)上賀茂神社と下鴨神社


京都駅から地下鉄に乗り北王路でバスの乗り換えて、上賀茂神社に行きました。
上は二の鳥居の写真です。
こちらは、下鴨神社と同様に世界遺産の「古都京都の文化財」に登録されています。
そこで、調べてみると

古都京都の文化財」は、京都府京都市宇治市滋賀県大津市にある寺社などから構成されるユネスコ世界遺産文化遺産)である。1994年に日本で5件目の世界遺産として登録された。
それらは、
賀茂別雷神社上賀茂神社)・賀茂御祖神社下鴨神社)・教王護国寺(東寺)・清水寺( 現在は分離している地主神社を含む)・延暦寺醍醐寺 (院家(塔頭)寺院の三宝院を含む)・仁和寺平等院宇治上神社高山寺西芳寺苔寺)・天龍寺鹿苑寺金閣寺)・慈照寺銀閣寺)・龍安寺西本願寺・二条城  以上17か所ということです。

上賀茂神社は正式名称を「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」といい、京都市内の北部上賀茂の地にあり、神代の時代から信仰を集めています。
上賀茂神社賀茂別雷神社)は下鴨神社賀茂御祖神社)と共に、賀茂氏氏神を祀る神社で、葵祭賀茂祭)などは賀茂神社両社共同で実施されます。

上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷大神」は、母である玉依日売(たまよりひめ)が境内を流れる御手洗川に流れてきた白羽の矢を床に置いたところ懐妊したとされます。玉依日売とその父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は下鴨神社に祀られています。御祭神である「賀茂別雷大神」の「別雷」とは若い雷(神鳴り)という意味もあり、雷を神様と考えていた古来日本人の信仰を伝えています。

御祭神
賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)
創建
(伝)天武天皇の御代7年(678年)
ご神徳
厄除け 雷(いかづち)のご神威により
あらゆる災難を除く厄除けの守護神として信仰されています

方除  都が京都に遷されて以来、
皇城鎮護の神、鬼門の守り神として崇められています
文化財など
本殿 権殿(国宝)
楼門、唐門、西渡廊など多数(重要文化財
ユネスコ文化遺産古都京都の文化財」(世界遺産


二の鳥居を入り、一番最初に目に入るのが円錐形に整えられた「立砂(たてずな)」です。立砂は細殿前に作られ、神様が最初に降臨された上賀茂神社の北2kmにある神山を模して作られたと言います。
現在でも鬼門や裏鬼門に砂をまき清めるのはこの「立砂」が起源とされています。毎年9月9日に行われる烏相撲(からすずもう)は、立砂の前に土俵を造り児童などが相撲を奉納するそうです。

細殿は皇族方が行幸される際や斎王が到着されたときに使われた殿舎です。寛永5年(1628年)に造り替えられ、重要文化財に指定されています。

写真の「手水舎」の水は、上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷大神」が降臨された神山のくぐり水をくみ上げたものだそうです。

上賀茂神社の舞殿は橋殿とも言われ、境内を流れる御手洗川をまたぐように建てられています。夏越大祓(なごしのおおはらえ)のお祭りでは橋殿から御手洗川に人形が流されるそうです。(重要文化財


こちらの景色は梅の花が咲いて、朱赤の楼門に映え、春らしい風情がします。
御手洗川にかかる太鼓橋も可愛いです。

楼門を入って、右手側にあるのが、片山御子神社(片岡社)です。
上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷大神」の母君である「玉依比売命」を祀ったお社です。玉依比売命は賀茂族で最も権威の高い女性で、「賀茂別雷大神」に仕えて祭司を司っておられたと言われています。片山御子神社は第一摂社として上賀茂神社の祭礼でも、まず最初に祭りを行うのが恒例になっているそうです。
片山御子神社は「縁結びの神様」としても古来から有名で、紫式部が何度もお参りしたことでも知られています。紫式部は、片岡社にちなんでこんな和歌を詠んでいます

 ほととぎす 声まつほどは 片岡の     もりのしづくに 立ちやぬれまし
           (新古今和歌集:第三巻 夏歌)
我が家にも一人、娘がいるので、紫式部に倣って縁がありますようにと、お参りしてきました。(笑)

それで、こちらは紫式部を描いた絵馬でした。

そして、楼門の正面が「高倉殿」です。一般の参拝者が上賀茂神社本殿や権殿を拝める場所ですが、この日は、この時刻に締める用意をしていて、近づけませんでした。ここから先は写真撮影は禁止されています。
伏見稲荷よりか、見るからに格式が高いということは、こういうことなんですね、国宝の本殿や権殿が、一般の目にさらされ難いということです。
祈祷をお願いすると近くまで行けるそうです。

ご朱印帳に記帳してもらって来ました。


この後、バスに乗り、途中で乗り換えて、下鴨神社へ向かいました。

世界遺産の石碑がありました、

西の鳥居から見る敷地内はとても広い感じがします。

正式名称を「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」という下鴨神社は、京都を流れる鴨川と高野川に挟まれた三角地帯に位置します。
御祭神の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は古代の京都山城を開かれた神さまです。玉依媛命(たまよりひめのみこと)は賀茂建角身命のお子さまです。
下鴨神社の歴史は古く平安京が造営される遙か以前から神聖な場所だったのです。例えば、崇神天皇七年(紀元前90年頃)に神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録も残っています。平安京の造営に当たって、下鴨神社で造営祈願が行われました。以来、国民の平安をご祈願する神社と定められました。
玉依媛命のお子さん「賀茂別雷大神」は上賀茂神社の御祭神で、下鴨神社と共に賀茂神社と総称され、京都三大祭りの一つ葵祭賀茂祭)が両社で催されます。
御祭神賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと) 西殿
玉依媛命  (たまよりひめのみこと)  東殿 ご神徳賀茂建角身命
世界平和、五穀豊穣、殖産興業、身体病難解除
方除、厄除け、入学、就職の試験などの合格、交通、旅行、操業の安全
玉依媛命
婦道の守護神として縁結び、安産、育児
文化財など本殿 西殿、東殿(国宝)
祝詞屋、幣殿、中門など多数(重要文化財


「舞殿」は下鴨神社境内の中央に位置します。(重要文化財


舞殿の横に見えるのが、「細殿」で、歌会、茶会などが行われる殿舎です。(重要文化財
その奥に見えるのが「橋殿」で、御蔭祭のとき、御神宝を奉安する御殿です。9月のお月見の時には名月管絃祭、お正月の神事では神事芸能が奉納される社殿です。(重要文化財

て前にあるのが、「神服殿」で、、古来殿内の一室が行幸の時に玉座となった殿舎です。夏、冬の御神服を奉製する御殿であったため、神服殿という名前がついているそうです。(重要文化財

下鴨神社 中門 (重要文化財)をくぐると、本殿や言社があります。

右側が干支の守り神の言社で、左側が正面になり、本殿(国宝)があります。

この中に本殿に西殿と東殿があります、が、またすぐ見えるという状況ではありません。(国宝)

「三井神社」は山城国風土記』に「蓼倉里三身社」とある社で、本宮の若宮(若々しいご神霊)としての信仰があり、賀茂建角身命玉依媛命、伊賀古夜媛命の三神がまつられています。(重要文化財

出雲井於神社 は、「愛宕郡 出雲井於神社」で出雲井於神社境内社に岩本社、橋本社があります。

この梅の木は、御手洗祭りや葵祭斎王代の禊ぎに使われる御手洗川にかかる輪橋(そりはし)の側にあり「光琳の梅」と呼ばれます。
この梅は、尾形光琳が「紅白梅図屏風」(国宝)に描いた梅です。これは、ちょっと感動しました。

正面鳥居から見た楼門です。
その反対側が、糺の森です。こんな街中に森があることに驚きました。

糺の森・参道(ただすのもり・さんどう)」日頃はたくさんの参拝客でにぎわうそうです。

案内図です。

ご朱印帳に記帳してもらいました。
これで、バス、地下鉄に合わせて、6回以上、7回は乗りましたので、バス1区220円として、1400円は掛かっているので、一日千円あての乗車券はオーバーで、クリアしました。(笑)
夕飯はホテルとも直結している和風レストランにて、1200円ぐらいで、頂きました。

京都のおばんざいは、とても美味しかったです。