るりとうわた

日常をつづる

アイルランド(その1)


クロンマクノイズ
しばし余韻に浸りたいところですが、現実に追われてしまっています。(笑)
昨日は庭木の消毒が来ると言うので、朝から芝生の中の草取りをしたり、その後習字に出掛けたり、ラジオ体操もしました。
今日は、東京の孫の運動会で、朝早くから、出かけ、200人以上いる4年生から、孫を見つけ出したり・・・
これが意外と分かるものですね。
そりゃボケるには、まだ早いですが、ただ心配した天気も持ち、暑くて、午前中で退散して来ました。

さてアイルランドですが、今の気候は日本の3月ごろの気温で、雨が降ると手がかじかむぐらい寒かったですが、季節は春で、10時近くまで日が明るいです。
かと言って、北海道より緯度は高いですが、冬は雪もなく、暖かいメキシコ湾流と大西洋の偏西風で寒くはないそうで、年間を通じて安定しているそうです。
夏は涼しく、冬は寒くなく、四季がなく、洋服ダンスには年中革ジャンと半袖が同居しているそうです。
その代り強風が吹き、大きな木は育たない、世界で5番以内に入る天気の分からない国だそうです、そして空気はとても綺麗ということです。
6分の1がビート層に覆われ、深さ2m〜6mの深さを掘り起し、乾燥させて、泥炭として暖房に使用するそうです。
至る所で、掘り起し、乾燥させてありました。
192kmで、英国があり、大陸棚の浅瀬で繋がっているそうです。
これがよくなかったのでしょうね、ケルト文明がありながら、英国に植民地化されてしまいます。
メキシコへ行った時にも感じたことですが、国が支配されるということは、メキシコシティはこれまでの教会遺跡を壊して、その石材で町を作り変え、言語を奪われました。それでマヤ文明は終焉します。
こちら、アイルランドでも、言語を奪われます。(これはもっと後のことですが)
ケルト民族97%、公用語アイルランド語(ゲール語)&英語
ただ、アイルランドには432年ごろに聖パトリキウス(パトリック)は『シャムロックの葉が3つに分かれているのは「三位一体」を表しているのだ』と説明し布教に成功したと伝わっています。
いまもアイルランドの国花は三つ葉のクローバーで、それをシャムロットと言います。
元々あった宗教を壊していくのではなく、そこに新しい宗教を入れて行ったそうです。
上の写真は初期のキリスト教の教会跡です。

ハイクロスと言って、高くて、丸いものが付いた、融合した十字架が見えます(ケルト十字架)。
円形はケルト系の文化圏で、太陽信仰、輪廻の思想を表し、渦巻き文様や聖書の物語が彫刻されています。

一番高いものは模造で、本物は室内に展示されていました。↑本物、外が模造品

地図上で寄った町を青い線でつなぐと、アイルランドの南には行っていませんので、上半周を回ったという感じです。
ダブリンから大西洋側に渡り、モハーの断崖に行きました。
まさに断崖絶壁で、またその崖際に立てるというのが凄いです。
とにかく日本なら、ずっと手前で立ち入り禁止のロープが張られてしまうでしょう。
とにかくメキシコのピラミッド登りもそうでしたが、自己責任ということです。
事故があれば、そのうち傍に寄るのは禁止されるでしょう。寝転がって崖下を覗きます、今のうちですが、怖いですね。

搭のある崖を写しました。こちらは反対側です。

一番崖に近い道です、向こう側に歩く人々が見えます。
この後、クルーズ船で、崖下からモハーの崖を見上げる予定でしたが、風が強く出港が中止になりました。よくあることだそうです。

その後一面の石灰岩のバレン高原へ来ました。
「巨人のテーブル」と呼ばれる、墓石だそうです。

石の間に花が咲いています。


この辺の台地や山がすべてこういうカルスト地形でヨーロッパで一番大きく、特別保護区だそうです、この中に鍾乳洞の洞窟があり、その見学がクルーズ船の代わりになりました。

3日目はさらに海に出て、アランセーターの発祥地アラン諸島の中のイニシュモア島へ渡りました。

桟橋の向こうに見えている右端の船で1時間ぐらい乗りました。

目指す方向に3つの島があり、ゲール語で、イニシュモアとは「大きな島」と言う意味で、イニシュマーンは「中の島」と言う意味、イニシィアは「東の島」と言う意味です。
私達はその大きな島のイニシュモア島に着きました。

手作りアランセーターのお出迎えです。

この山を登り、見えていますサークルは半円で、南岸の丘に眠る古代遺跡ドン・エンガス城塞の見学に向かいます。

道中も岩の連続です。

その険しい岩肌の間に、針エニシダの花が咲き、色を添えています。
この植物は強い植物で、増えすぎる時か?に燃やすそうです、それでも芽を出し花を咲かせるそうです。


春です、小さな花が咲いています。

三層になって石が積み上げられているのが分かります。でも、本当にこんな上に住んだのでしょうか?
司馬遼太郎さんがこの島を訪れて、「不毛の地」と言われた(書いた)ら、島の人たちが、もっと下の方ですが、海藻を土に入れて、肥料にした肥沃な地と反論したそうです。
まあ島ですから、海藻には事欠かないでしょうが、この上の城塞で、水をどうしたのか疑問です。
雨は良く降りますが。

一番上の城塞です。

サイドとバックには石積みの半円あるのに、前にはありません。しかも舞台まであります。
行事か儀式用?それとも宇宙人との交信用?などと思いたくなります。
ここには立ち入り禁止の細いロープがあります。
左側は、断崖が見えます。

肥沃な海岸線とはこの辺のことでしょうか?


昼食後なだらかな丘の上にあるべナム教会跡へハイキングです。
これが道なき道で、茨の中の道で、中々厳しかったのですが、お天気が良くて良かったです。
この後は、ほぼ毎日雨に見舞われることになるので、この日の空の青さ、海の青さは格別でした。


小さいけれど厚みのある石で出来た教会でした。

この島ではゲール語を残していて、島民は日常的にゲール語を話すそうです。
それで、夏休みには多くの学生が夏季学習に来て、ゲール語のみの生活を送り、習得して行くそうです。凄い努力をしているようです。

観光用の馬車やサイクリング用自転車も完備していますし、B&B(日本の民宿のようなもの)もあります。