るりとうわた

日常をつづる

皇居乾通り一般公開&千鳥ヶ淵


私達が行ったのは3月31日で、本来はこの日が一般公開の最終日でしたが、乾通り沿いの桜の開花が予定より遅れたことから2016年4月3日(日)まで3日間延長されることが急遽発表されました。
それで、30日は8万人以上の人出でしたが、この日は6万人台となり幾分ましだったようです。
夫と現地に着いたのは12時過ぎでした。
上の写真の桜田門を見ながら、大勢の人が並んでいる列につきました。
望遠で撮った写真ですが、その前の人物は皆外国人です。
観光バスが着いて、どっと人数が増えることもあり、外国人観光客の方も多かったです。
日差しが強くなった中で待ちましたが、ほどなく流れ、待ち時間30分ぐらいで、荷物検査と身体検査のテントにつきました。
空港のようなシステムではなく、荷物は目視で、身体検査は、金属探知機を当てるものでした。
それで、ようやく中に入ることが出来ました。

これが坂下門でした。
「皇居乾(いぬい)通り一般公開」は、2014年に天皇陛下が80歳の傘寿を迎えられたことを記念して行われ、好評であったことから、毎年春の桜の時期と、秋の紅葉の時期におこなわれているそうです。

前方の人混みも凄いですね、流れとともに進むようです。

上の地図の赤色の点線のところを歩くことが出来ます。
「皇居・坂下門から乾門の間の「乾通り」並木道の両側には、ソメイヨシノ52本、サトザクラ5本、シダレザクラ3本、ヤマザクラ系12本、ヒガンザクラ4本の合計76本の桜が植えられていて、皇居桜並木の通り抜けを楽しむことができます。」

「皇居乾通り一般公開のコースは、皇居南側の「坂下門」から入り、宮内庁庁舎前を通って北側の「乾門」までの約750メートルを一方通行で通り抜けます。
途中の西桔橋(にしはねばし)を渡って皇居東御苑に抜けることも可能。
ただし、一度皇居東御苑に抜けてしまうと、乾通りに戻ることはできません。」

入ってすぐ左手がわに見える建物が、宮殿です。(1969年4月から使用され、松の間とか各間があって、新年祝賀の儀、信任状捧呈式、とか、外国国家元首・外国政府要人と会見したりするところです。)

こちら、時々TVでも見かける宮内庁です。

その建物の横の桜は8分咲きでした。

しばらく進むと、左側に山下通りというわかれみちがあります、なかへは入れませんが
山下通りは、春はさくら、秋はもみじの紅葉でとてもきれいな通りだそうです
またその奥には、「紅葉山」があり、江戸時代からほとんど人の手が加わっていない場所で、天皇陛下が蚕を飼育されているところだそうです。
その通りの正面に蓮池があります。

蓮池のお堀の長さが約400m、深さが約80cmで、毎年7月8月の夏には、蓮の花がみれます。
蓮池の石垣は堅牢で高く、その上には「富士見多聞」があります。
今まさに、徳川政権300年の栄華を示す江戸城の中にいると思うと、感激でした。(笑)
そしてすぐ左手側に

局門が見えます。
その先に見えるのは

長屋門です。
道中桜ももちろん咲いているのですが、桜を撮ろうとすると、大勢の人が写るので、中々良い写真が撮れません。

長屋門の先にある桜の木と、道灌濠の手前の景観です。

↑こちらが道灌濠です。
この太田道灌が築いた道灌濠で囲まれた曲輪が、西の丸で現在、宮殿や宮内庁などの建物があるところです。
扇谷上杉氏の上杉持朝の家臣である太田道灌が、享徳の乱に際して康正3年(1457年)に江戸城を築城しました。
道灌が上杉定正に殺害された後、江戸城は上杉氏の所有するところとなり、その後大永4年(1524年)、扇谷上杉氏を破った北条氏の支配下に入る。
そして、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻め(小田原征伐)の際に開城。秀吉によって後北条氏旧領の関八州を与えられて、駿府(静岡)から転居した権大納言である徳川家康が、同年8月朔日(1590年8月30日)江戸に入った。
家康が入城した当初、江戸城は道灌の築城した小規模な城でありかつ築城から時を経ており荒廃が進んでいたため、それまでの本丸・二ノ丸に加え、西ノ丸・三ノ丸・吹上・北ノ丸を増築し、西の丸下半分以上を埋め立て、街造りも行いました。


嘉永2年(1849年)配置図
1)本丸大奥 2) 中奥 3)表 4)二ノ丸御殿 5)二ノ丸 6)紅葉山 7)西ノ丸 8)吹上 9) 北ノ丸 10)11)三ノ丸 12)西ノ丸下 13)大手前 14)大名小路

慶長8年(1603年) 家康が江戸開府して以降は天下普請による江戸城の拡張に着手し、巨城となる。

今まで歩いて来た蓮濠を振り返りました。
ここで、まっすぐ乾通りを行くか橋を渡り天守の方へ行くか、道が分かれます。後戻りはできません。
私達は見通せない方の橋を渡ることにしました。

乾門へまっすぐ進む人波が見えます。こちらは乾濠が見えます。
橋を渡ると坂があり、石垣が組まれています。

そして天守台に出ました。

ここは皇居東御苑にあり、この場所は一般に開放されているので、いつでも見ることが出来る場所です。
こちらの桜は満開でした。

本当に外国の方が多かったです。

北拮橋門から出ました、門から天守台が見えます。

北拮橋から見た乾濠です。
お城の石垣の曲線が綺麗です、日本独特です。

あちらは乾通りです。桜並木と人の波です。


さてここまで来たら、坂下門が西の丸ですから、本丸、東御苑少しと二の丸まで攻めたのですから、北の丸には行くでしょう。(笑)ずっと歩き続けています。

途中、上の国立近代美術館の建物を見て進みます。

北の丸公園から見た千鳥ヶ淵です、ボートが見えていますが、桜はまだ7分か8分咲です。
そして武道館を見て、

そして、田安門をくぐり、

清水門を出ます。(唐門です)

そして千鳥ヶ淵に目をやります。

上手く撮れませんでしたが、やはり木も老木になりますね。
20年ほど前に訪れた時は、もう夢の世界の様に綺麗でした。
「植えてから60年ほど経ったソメイヨシノに関しては、樹勢が衰える木が多い。」そうで、日本中の戦後植えられたソメイヨシノの桜の木が衰えているそうです。
中には樹齢120年、130年のソメイヨシノもあるようですが、珍しいそうです。
3時間歩きっぱなしで、平日にもかかわらず、九段下も凄い人出でした。
私達がおのぼりさんをするぐらいですから、そりゃ都内は混雑するのも仕方がありませんね。(笑)