るりとうわた

日常をつづる

ロシア旅行5(モスクワ)


バスの窓から撮った写真ですが、モスクワはとにかく道路が広いです。
横断歩道は白色と黄色の2色です。
以前は街路樹もあったそうですが、車が増えたので、それも潰して道路にしたらしく、5車線も6車線ほどあります。
そこで、今のモスクワ市長は、今度は道路に街路樹を植える工事を、市内全体に行っています。

こんな感じで、道路を塞いでもまだ広い道路です。
やはり、街に緑は大切だし、こんなに緑一色で来たロシアがモスクワに来て、緑がないと言うのは寂しいです。
ロシアの公園は村も町も都会も花が一杯で、本当に花好きなのが良くわかります、昔の宮殿も綺麗にしてありますが、道路わきや小さな公園まで花が一杯で、単に見せるためでなく、いつも手入れしているというのがあちこちで感じられました。

ロシアの人の生活ぶりはサンクトペテルブルグで5日間現地ガイドをしてくださった学者風の男性の方は、ロシアの歴史を詳しく教えて下さって、その時は良くわかりました。
エルミタージュ美術館で奥ゆかしい方でしたが、この方によるとロシアの9割の方が年金生活で、現金がなく、林も森にはキノコが一杯あるので、そのキノコを売って現金収入にしていると言われました。
森の脇にはしばしば車が停まり、キノコ狩りをしている人を見ましたし、道路わきにテーブルを置き、キノコを売っている方もいました。

モスクワで4日間現地ガイドして下さったマダム風女性の方は、こんな時期(暑いの意味らしい)に、美術館の前で並んでいるのは中国人かヨーロッパ人か日本人ぐらいです。
70%のロシア人ンはバカンスで、別荘にいる。とシャネルのバッグを肩にかけて言われました。
友人と顔を見合わせて、えらい話が違うね。と驚きました。
でも何年か前にトルコに行った時に黒海側か地中海側か忘れましたが、ずらりと並んだ別荘に、誰が来るのですか?と尋ねると、ロシアの公務員が3〜4か月の夏休みで来ると言われました。
モスクの70%という意味かもしれません。
少し調べてみると、「2011年にモスクワ市の予算規模が、ニューヨーク市に次いで第2位となった。ニューヨーク市の予算は、人口818万人に対し、659億9100万ドルで、モスクワ市の予算は、人口1151万人に対し、508億ドルとなっている。
2012年に億万長者の数が最も多い都市となった。」
日本よりはるかにお金持ちなんですね。
地方との格差がそれだけ凄いということでしょう。
トレチャコフ美術館を見てクレムリンに来ました。

こちらクレムリン(城壁)の入り口のボロヴィツカヤ搭です、そうです並んでいるのは、・・人と・・人と・・人です。そうモスクワへ来て日本人グループ3組に会いました。
8日目、9日目とクレムリンには中の予約の関係で来ていますので、一緒に紹介します。

元老院ロシア連邦大統領府)18世紀末に築かれた、ロシア・クラシック様式の典型であり、かつレーニンの居所でもあった場所です。現在はプーチンさんがおられるところです。
そう言えば、その学者風ガイドさんが、プーチンさんが力があると凄く尊敬している様子で、今後はプーチの王家の時代になっても良いと言うように言われ、また友人とハテナ?マークで、顔を見合わせ、「確かに今そう言ったよね?」と確認し合い、時代の逆行もいいところ、王様になるわけ?(プーチンさんもその気かも?)
アメリカのトランプ氏といい、英国のEU離脱といい、安倍さんの”総理は私”といい、世の中逆光気味と話していたのでした。

イワン大帝の命により、1484-1489年に名匠たちにより建てられたブラゴヴェンシチェンスキー聖堂です。

イワン大帝の鐘楼(イワン4世の頃は、これより高い建物はなかったそうです。
誰もこの建物より高い建物を建てる権利がなかったからということです。
ナポレオンがモスクワから敗退する際に爆破を命じたが、18個の鐘は残り、1992年復活祭を気に教会としての機能を再開しているそうです。
高さ81m。

クレムリンの中心に建つウスペンスキー大聖堂です。
かつてロシア帝国の国教大聖堂として、ロシア皇帝戴冠式に臨み、モスクワ教主教が葬儀に付された場所です。
最初の大聖堂が地震で崩れ、イタリアの名匠の設計で1479年に再建。
当時モスクワのライバルだったウラジミールのウスペンスキーを模範として建てられたそうです。

聖堂広場

聖堂広場から見える南口扉上のフレスコ画は17世紀に描かれています。

りザパラジェーニヤ教会とテレムノイ宮殿

アルハンゲルスキー聖堂、イワン大帝の命によりイタリア人の設計で建つ、ルネッサンス様式の面影がある。
14世紀末から皇帝の墓所で、ピョートル大帝がサントペテルブルグに移すまで、48の棺が所狭しと置かれている。

ブラゴヴェシチェンスキー聖堂の後ろにある建物は大クレムリン宮殿です。

花壇越し右側は大統領府

左側はイワン大帝の鐘楼他聖堂です。

大統領府前の広場を通り抜け、このスパスカヤ搭をくぐり抜けると、赤の広場に出ます。

目の前に見えるのがボクロフスキー(ワシリー寺院)です。念願の・・・写真が撮れました。

ワシリー寺院から広場を見ますが、搭が出ているので、先が見えません

搭を過ぎると、正面に国立歴史博物館、1883年アレクサンドル3世の戴冠式に合わせて開館。
450万点に及ぶ及ぶ収蔵品があるそうです。
右側の建物はグム百貨店です、

こちら右側がレーニン廟です、後ろのお墓にスターリンの遺体と並んで安置されているそうです、見物客が凄いですが、若い子は知らない人もいると言われました。時代が変わりましたからね。後ろは大統領府の建物です。

ワシリー寺院の方を振り返ります。


ここで40分の自由時間でしたが、レーニン廟へ入るのには時間がきついし、結局グム百貨店でお土産を見て回りました。

映画「オーケストラ」の様に誰もいない赤の広場と言うわけにはいきませんが、この目で見た赤の広場でした。

最後に訪れたところがコローメンスコエで、モスクワの南モスクワ川沿い、345ヘクタールにわたって広がる自然保護公園14〜17世紀の教会や木造建築があります。
綺麗な教会でした。

ヴォズネセニエ教会で、白亜の教会って感じですが、特に呼称はないようです。(笑)

ロシアの人たちにとっては太陽は貴重で、もう真夏の恰好で、薄着ですし、このように上半身裸で日光浴です。
こちらの写真8日目の夜のディナークルーズの夜景にならない夕焼けのモスクワ川の写真です。

終了。(詳しくは旅行記にて記したいと思います)