るりとうわた

日常をつづる

マテーラからアマルフィへ、そしてポンペイとナポリ

7日目の午後になり、ようやくマテーラの見学途中に雨はやみました。


地中海地域にみられる、谷の岩場の斜面を掘った洞窟住居サッシ群が広範囲にわたり完全な形で現存している貴重な遺跡です。

洞窟に作られた教会内部マテーラの洞窟に人々が住むようになったのは旧石器時代に遡るともいわれていますが、その後時代とともに家としての形が整えられ、通路や教会も築かれて人々が生活を営む街が形成されていきました。


小さな洞窟住居が谷の斜面の崖にへばりつくように上下左右に並んでいる様は圧巻です。

1993年にユネスコ世界文化遺産に指定された。

大聖堂もあります。
岩窟教会に入りましたが、撮影禁止で、フレスコ画が描かれていましたが、黒カビも多くありました。

その後にイタリア西側の海岸線をミニバスで、アマルフィに向かいます。
急峻なアマルフィ海岸に面して築かれた都市であり、中世にはアマルフィ公国アマルフィ共和国)として自立し、強盛を誇った海洋国家であった。1997年ユネスコ世界遺産文化遺産)に登録されているアマルフィ海岸の中心都市であり、観光の拠点である
右側
真ん中
左側
この3枚を繋ぐと、パノラマで、アマルフィの街並みになります、突堤から撮っています。
家並みの間の傾斜には檸檬畑があります。
まるで伊豆の入り口の熱海に似ていると思ったのは私だけではないでしょう?(笑)
日本で有名になったのは織田裕二主演の映画「アマルフィ 女神の報酬」でしょうか、アマルフィ海岸に注目が集まりました。フジテレビ開局50周年記念作品として、日本映画初のオールイタリアロケが敢行されたことも話題になりました。

朝6時半ごろに町の散策に出たのですが、公務員の方々が仕事をしていて、ゴミの収集や道路の清掃をしていて、観光客が動きだす8時ごろには、町の清掃がすでに終わっているという連携ぶりでした。

また、町の中心にある大聖堂が趣があり良かったです。

987年に建てられた当時は三廊式の二つの教会があったといいます。それが13世紀始めに一つの教会へと改築され、珍しい五廊式の教会となりました。本大聖堂は町の守護聖人アンドレアが祀られていて、地下クリプタには聖人の遺骸も納められ、ドゥオモ広場の噴水も聖アンドレアの像となっています。

横の鐘楼を入れて写すと。
金色に輝くファザードは新ゴシック様式で、隣の鐘楼との調和を考慮しながら、19世紀にEnrico Alvinoによって作り直されました。夕暮れ時になるとファザードが、まさに金色に輝くため、別名「黄金のドゥオモ」とも呼ばれています。

中央のブロンズの扉はコンスタンティノープルで鋳造され、1065年に取り付けられたと言われています。当時の海運共和国アマルフィの財力と力の象徴でしょう。


見事な回廊が巡る中庭はまさに「天国の回廊」と呼ばれるのに適しています。アラブ様式の墓地だった。
ここから見た鐘楼の絵がポスターになっているので、真似て写してみました。

大聖堂の内部は、18世紀のバロック様式で豪華絢爛です。

 
昼食後、ポンペイへ向かいますが、アマルフィ海岸は入り組んだ険しい道が続いていて、場所によっては一方通行になっているほど細い道となっています。そんな道をF1レースのような勢いでバスが飛ばしていきます。バスの窓のすぐ外は断崖絶壁です
その道中の景色が素晴らしく、ソレントの辺の景観が特に素晴らしかったです

バスの中で、添乗要員さんが「帰れソレントへ」の曲を、現地版と、日本版(ダークダックス=歌)を掛けてくれましたが、やはり青い空、太陽の下で聞くのは現地版で、情熱的で、切実感が迫ります。これでしょうね。(笑)

午後はポンペイの見学です。

西暦79年8月24日の午後、風光明媚なローマ都市ポンペイを火山噴火が襲う。火山から噴出したガスと火山灰は街を覆い尽くし、18世紀に発掘されるまでの約1,700年間、土中に埋もれることになる。

イタリア旅行は2度目で、その中で重なるのはこのポンペイだけで、それも15年前の話です。
何時みてもヴェすビオス火山はあんな遠いのに、街が埋もれるほどの灰を撒き散らすとはと自然の驚異を感じます。
その間に、こんなことがあったようです。
「2010年末には、観光名所の一つである「剣闘士たちの家」が突然倒壊し、発掘済みの遺跡内で観光客が入場できる範囲はわずか13%に限定されてしまった。一般公開される建物は1956年には64棟あったが、10棟まで減った」
その後、 事態の深刻さに、ようやく政府は重い腰を上げた。2012年には、欧州連合が7500万ユーロの緊急資金を、イタリア政府もさらに3000万ユーロを遺跡修復のために拠出した。 」

「オサンナ氏のチームは、考古学史上まれに見る野心的なポンペイ修復事業の陣頭指揮を任された。「グレート・ポンペイ・プロジェクト」と銘打たれ、 現場では、200人以上の専門家や技術者が働いている。建築家12人、考古学者12人に加えて、れんが職人、電気工、配管工、塗装工、大工、写真家、歯科医師放射線技師、生物学者、地質学者、地図製作技術者、コンピューター科学者、美術品復元の専門家、さらに、先端診断機器に詳しい医療エンジニアや、洪水を防止する水工学者といった顔触れがそろっている。 」そうです。

辻にある水くみ場で、だれでもただで水道が使えたそうです。

パン屋のパン窯とうすです。
そして、「山のようなデータから浮かび上がってきたのは、現代の私たちの生活に驚くほどよく似た社会だった。紀元1世紀のポンペイには、多様な文化が混在し、さまざまな言語が飛び交い、人々はファストフード店でランチをとり、高級輸入食材を自宅で楽しんでいた。 」たそうです。

これはお店のカンウンターだそうです。
今回初めて行ったのですが、この遺跡跡を通り抜けるとそこに貴族の館がありました、新しく発掘されたそうで、広大な屋敷です。赤いレンガの家がそうです。

ディオメデス荘です。
「秘儀荘」と名付けられた部屋です、

下の壁画が「ポンペイの赤」と言われ、侵攻の秘密の儀式のこの絵から、付いた名前が[秘儀荘」ということらしいです。


ポンペイの遺跡に戻り、見学を続けます。同じく「ポンペイの赤」で描かれている、浴槽の壁画です。

ポンペイ遺跡を後にナポリに向かいます。


9日目は、「青の洞窟」へ行くためにジェットフォイルに乗りカプリ島へ行きました。

ラッキーなことに快晴です、昨日の「青の洞窟」は海が荒れて一日中止になったという情報がありました。今日は大丈夫そうです。
と思ったのですが、港に着いたら、今日もダメみたいだ!と言う情報が、駆け巡っていました。

船頭さんたちの話では、これでも波が高いそうです、こんなに晴れているのにです。
130分ごとに、ナポリから船で観光客を運んでくるので、そのたびに船頭さんたちが海の様子を見て、結論を出すようなので、私たちはカプリ島見学のタイムリミットの、昼食の予約をレストランに入れてあるので、そのギリギリの10時半まで待つことにしました。

踊りのお仲間の方で、行かれた方があり、その方に「この世のものとは思えない色合いで、堪能して来て」と送り出されたのですが・・・
ここへきて、3回来たが、全部だめだった、とか、この島に泊まって様子を見ないと行けないとか、確率の低いことが分かりました。
5月から8月までは80%の確率で行けると言うのを見てきたのですが、難しいのがわかりました。
約束の時間になりましたが、船頭さんたちの意見は、午後からどうなるか分からないが、現時点では無理と言うことで、私たちは諦めて、次の予定に入ることにしました。
まず、ボートに乗り、行く予定の「青の洞窟」まで、見学に行きました。

カプリ島めぐりです。

あちらに見えるのはヴォスヴィオス火山です。

カプリ島石灰岩出来ているというのが良く解ります。それにいくつも洞窟があります。

ここが「青の洞窟」の入り口です。波が荒れて高いのではなく、潮の水位が高いと言うことのようで、見た目50cmのぐらいしか開いていません。
いつもは1mぐらいの開きで、それでも波があると、ボート(4人乗りぐらい)に寝転ぶようにして入ると言われているのですから、これはもう無理と言うのが分かります。
でも、横の階段ではそれでも順番待ちをしている人がいます。
午後からは水位はどうなるか分からないからでしょうか?
その時、洞窟内でチラチラと灯りが見えます。ダイバーが入っているようです。

本来は禁止だそうですが、小舟の船頭さんたちがいないので、警備の人もいないから入ったようです。とのことでした。
入り口が狭く、中はまだ広いのですが、これは直射日光が入らないため、光が屈折して、得も言われぬ美しい世界がひろがるのだそうです。
観たことがないから、何とも言えませんが、そう言うことらしいです。(笑)それで、入り口を大きくすることは出来ないのでしょう。

まだ順番を待っている方はこの島に宿泊されている方でしょうね、成功するといいですね。

ボートの帰り道、どちらだったかしら?

フェラーリーの社長さんの別荘だったのですが、もう売られて、別のところにあるというお話でした。
古代ローマ時代のティベリウス帝をはじめ歴代皇帝も好んで滞在したと言われます。19世紀以降には芸術家や著名人が多数来訪するようになり、国際的なリゾート地です。

その後バスでカプリ地区へ行き、そこからの見晴らしがまた、素晴らしいです。

ブーゲンビリアも花盛りです。

青い海と空ですね。「青の洞窟」は残念でしたが。

レストランのまえの檸檬の木がたわわに実を付けていました、まさに地中海ですね。
ナポリに戻り、ナポリ観光です。

残念ながら、ここでナポリの、サンタキアラ教会&回廊、「考古学博物館」の観光でしたが、カメラの電池がなくなってしまいました。
いつもは、電池二つを持って歩いているのですが、この日は予備の電池がなく、昨夜充電した後に、その容器ごと電池を取り出さずに仕舞ってしまい、ホテルに置いたままです。
最後の最後に気が緩みました。
その分携帯で撮りましたが、まだ確認が出来ていません。
旅行記にはそれらも加えたいと思っています。
最後にナポリに着いた時に写した、夕暮れのヴォスヴィオス火山です。


また、表紙だけですが。作りました。
http://litstar5.fc2web.com/italy0/itaria0.html
そのうちに出来上がりましたら、ぜひご覧くださいませ、
その他の旅日記ははこちらです。
http://litstar5.fc2web.com/tabinituki/iriguti.html