るりとうわた

日常をつづる

ケーキの季節

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山茶花の花が満開です。

さざんか さざんか さいたみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
しもやけ おててが もうかゆい

やはり、このたき火の歌詞がすぐに浮かびますね、寒くなった季節の歌であり、さんざんかは冬の到来の象徴の花です。

だから、灯油の配達はこの曲を流しているのが、今ごろ気が付きました。

急に冷え込んだ野ですが、このところは穏やかな天気が続きます。

 

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またこの季節は我が家ではケーキを焼く季節になります。

娘が12月夫が1月、お嫁に出た娘が2月、私が3月の誕生日で、クリスマスにお正月、バレンタインに、ホワイトデーと行事が続きます。

その第一号が出来ました。

生クリームを2パック使ったので、生クリームを余り気味に塗りたくった、苺ケーキです。

なんとなくキジから、すべて様子見のケーキとなりがちです。

それでも、この年になって親にケーキを焼いて祝ってもらうなんてありえないことだからね。と言います。

だって、祝ってもらうより、同世代はケーキを焼いて、子供たちの誕生日を祝う方が普通ですから。(笑)

まだ家に居るので、こちらも仕方なく焼いています。

娘に言わせれば、行くところがないので、仕方なく親と一緒に居ます、なんでしょうが・・・

親の顔が見たいというか、育て方を間違えたのでしょう。

この娘は先日から大騒ぎのゴーン氏の日産社長就任で、首を切られた2万人の中の一人です。

大学出て就職試験に合格し、通い出したのは、日産系の子会社のIT産業でしたが、1年経って2年目にゴーン氏が就任し、日本流の血も涙もなく、さっさと子会社を整理され、それでも、ワンクッションはあり、会社ごとIBMに売ったのです。

IBMだって、そんなに沢山の社員が必要なわけもなく、次回のTOFELの英語の試験で悪い方から首を切ると通達があり、一難去ってまた一難。

自分の弱点は英語と自覚していただけあり、残念ながら選ばれてしまい、半年もIBM社員とは名乗れず、首になりました。

それまで横浜へ通っていたのが、ハローワーク後事務の仕事で新宿に勤めることになりました。

でもこの時がチャンスだったのですが、今となっては、一度家から出しておくのだったと後悔しています。

娘は3年間ほど「ゴーンめ!、ゴーンめ」と、人生が狂ったと何かと口にしていましたが、この逮捕の話をすると、「まだゴーンさん、日産にいたの?」「よくあの日産を立て直したのに」「長くい過ぎだ」と、大人しめでした。

娘も諦めたのかな?それとも成長したのかも知れませんが、あの時の怒りは収まっていました。

ついでにもう一つ娘の付いていない話を、

横浜へ通っていた時、就職一年のその年明けに、我が家は下の娘も就職し、ほっとした年だったのでしょうね。

いずれ女の子はお嫁に行くから、と家族で正月にハワイ旅行を計画したのです。(我が家のバブル期)

ところが、途中で下の娘が、職場の新婚さんの祝賀会の幹事に選ばれ、就職1年目の人が幹事になるの?と家族は驚いたのですが、学校でもサークルでも、その気があるというか賑やかな面があるので、そこを見られたのか?本人も責任感が強いから、ハワイ行きを取りやめて、会社へ行くことにしたのです。

その祝賀会を横浜で開いた時に、横浜牡蠣食中毒事件(事故)がニュースになりました。

これは後で、わかったことですが、そのパーティで出た生牡蠣にあたり、娘も会社で悪い風邪が流行り、数人が休んでいると話していました。

その日は私たちも帰国した次の日で、夫と上の娘は出社し、私はトランクを開けて荷物の整理や洗濯をしていました。

下の娘は、会社で流行っている悪い風邪に掛かったみたい、で病院へ行くからと前日から休んでいました。

バタバタしているうちに、自転車で娘は病院へ行きました。

しばらくして、その病院から電話があり、病院前でふらつき、自転車ごと倒れて、足を骨折して、今救急車で市民病院へ行かれました。と。

旅行気分もいっぺんに吹っ飛びました。

そう言えば、今救急車が通ったのは、うちの子が・・・・

あ~タクシーを呼んでやるのだったと後悔しても、もう遅いです。

それこそ、私がタクシーで病院へ行き、足首が逆向きになり、即手術となりました。

3か月松葉杖で、特別時間(ラッシュを避けて)に組んでもらい、1か月は休み、2か月後から通いました。

松葉杖が取れて出勤した頃に、ゴーンさんが来たということです。

すでに戦力にはなっていなかったことでしょう。(娘曰く、英語の差がこの時ついた)

ついていない話でした。

その分私は頑張りました、その時親だと思いましたが、その横浜の地下街のビルの担当者や飲食店のオーナーが挨拶に来た時のことです。

何の挨拶かと言うと、「お気の毒ですが、足の事故と、うちとはまったく関係がないですから」と、それが言いたくて来られたのです。

私はそれはないでしょう、牡蠣の中毒がなければ、病院へ行く必要がありませんから事故はなかったはず、と、娘の愛社精神から、仲間思いから、ハワイへ行かない責任感まで、喋りました。

後日電話があり、「ほかの方はすでに何でもないのに、お宅だけ大変でした。それで補償させて頂きます。」と、病院の費用から、通勤費用を頂きました。

そこはやはりお客さん仕事ですから、当然だと思いました。悪い評判が立ってもいけませんしね。

とんだ新入社員の話しでした。