るりとうわた

日常をつづる

まだまだ暑い


今年もリコリスの花が咲きました。
春先に葉だけ茂り、その葉が枯れてしまい、地面には何もないこの夏に茎が伸びて、この大輪の百合の様な花が咲き、その存在を誇ります。
ユリ目ヒガンバナ科の一属で、ユリにもヒガンバナにも似ています。
60センチぐらいの高さがあり、沢山の見事な花を咲かせてくれました。

ところが台風の影響の風が強く吹き、雨戸開けてみれば、ざんねんなことに倒れてしまいました。
それで1週間以上は楽しめるのですが、三日ぐらいで倒れました。
で、その代わりといいますか、台風と共にやってきたのが孫たちでした。

嬉しいことにお兄ちゃん(中1年)も都合をつけて来てくれることになり、六日の日に新百合ヶ丘で会うことにしたのですが、電車の乗り換えの自信がまだないというので、多摩線はるひ野駅まで行き、そこで待ち合わせをすることにしました。
最寄駅と線が違うので、30分ぐらい家から歩いて来たようで、朝の9時半に落ち合いました。
二人ともサッカーをしていて、真っ黒です。
中でも弟は茶色で、お兄ちゃんは焦げ茶色という具合でした。
氷川丸の招待券があったので、横浜へ行く予定でしたが、月曜日は休館日だったので、火曜日にし、この日は映画を観ることにしました。
未来のミライ」の予定だったのですが、お兄ちゃんの要望で「僕のヒーローアカデミア THE MOVIE 〜2人の英雄〜」になりました。


解説

週刊少年ジャンプ」連載の堀越耕平による人気コミックを原作にしたテレビアニメの劇場版。総人口のおよそ8割が超常能力(個性)を持つ世界で、ヒーローを輩出する名門校に入学した何の力もない少年の成長を描く。本シリーズを担当してきた長崎健司が監督を務め、ボイスキャストには山下大輝三宅健太岡本信彦らアニメ版のキャストが結集。アニメ版第2期と第3期の間の空白期間の物語がつづられる。

ジャンプを読む世代のお兄さん、お姉さん達と小中高の学生で一杯でした。
私は「未来のミライ」が見たかったのですが、パパと行く予定と話していたので、それなら仕方がないと思いました。
ほんと、男の子はヒーローものというか戦う話が好きですね。
この物語は、片や「オール・フォー・ワン」と呼び、人から個性を奪い、圧倒的な力で勢力を広げていき、悪の支配者として君臨するようになり、その弟は「ワン・フォー・オール」と言い、オールフォーワンを倒すために受け継がれた個性で、オールフォーワンと戦う時がくるかもしれないことを知っている。
この英語の使い方がおかしかったので、お兄ちゃんに「意味を知っている?」と聞くと、ちゃんと知っていました。
こんなところで英語の勉強が出来るのですね、今一番好きな科目だと言っていました。(笑)

二日目は台風が近づいているという予報でしたが、朝は晴れていたので、横浜港の氷川丸まで決行しました。
みなとみらい線で終点です、山下公園・中華街駅です。
夫が中華街の方向へ進むので、まだまだ山下公園が先だからと呼び止めて氷川丸へ向かいます。
雨が風に乗ってきます、私は「天然のミストだわ」というと孫たちは「強めのミストだ」と言います。

お兄ちゃんの身長がまた伸びて、春休みにはママの背丈位だったのが、この夏には、夫の背丈に近づいてきました。

170cmの夫に追いつきそうです、でも足などは細くて、まだまだ子ども体型です。
前の晩の夕飯の支度をして、いつものように子供茶碗にご飯を入れてしまい、食べる時に、「おばあちゃん、これもう小さいよ」と言われ,見ると私よりもはるかに大きいし、手も大きいのに、小さな子供茶碗にみんなで大笑いしました。
昨年はお箸を子供用から、箱根細工のついた大人用に変えたのですが、茶碗は弟と同じ子供用のままでした。
朝も8枚切りですが、チーズを載せたパン5枚、弟は3枚食べました。

氷川丸

氷川丸(ひかわまる)は、日本郵船が1930年(昭和5年)に竣工させた日本の12,000t級貨客船。北太平洋航路で長らく運航された。2016年時点では、横浜市で博物館船として公開されている。国の重要文化財(歴史資料)に指定されている。

竣工時の一等客室は76名(貴賓用特別室を含む)、二等69名、3等138名、合計283名。翌年には三等客室を48人増やして計331名となった。船内各部の装飾は、諸外国・日本国内の建築家やインテリア・デザイナー間でコンペティションを行った結果、フランスのマーク・シモン社が担当することになった。

その後、氷川丸のサービスの良さが評判を呼び、著名人を含む多くの賓客で賑わった。1932年の11次航海ではチャールズ・チャップリンが乗船、1937年の47次航海ではイギリス国王ジョージ6世戴冠式から帰国の途にあった秩父宮夫妻が乗船、1939年の59次航海では宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)の訪米芸術使節団一行がアメリカ公演を終了した後の帰国時に乗船するなど、氷川丸は華々しい活躍を続けた。アメリカ側の発着地であるシアトル市民にとっても、1930年代、日本から定期的にやってくる「ハイカワマル」は馴染み深い存在になっていたという。

1941年(昭和16年)11月末、氷川丸日本海軍に徴用され、病院船として使用される。

敗戦後、「氷川丸」は帰国者の引き揚げ任務に従事した。続いて国内航路に就役し、輸送任務に従事。1953年(昭和28年)、11年ぶりにシアトル航路に復帰した。最終航海は、1960年(昭和35年)8月27日に横浜からシアトルへ出港。太平洋横断238回をもって航海を終えた。のべ25,000人余りの乗客を運んだという。


なんとか雨も降ったり止んだりで、見学を終えることが出来ました。
その後足を中華街へと向け、以前大阪へ出かけた際に、551をお土産に渡したのですが、それほど反応がなく、そう言えばこの子たちは本場横浜中華街の肉まんもまだ食べたことがなく、今度は連れて行くと約束したのでした。
子供たちに何が食べたいと聞くと、お兄ちゃんが「しょうろんぽーというものをまだ知らない」と言うのです。
で、お土産に凄い列が出来ている小龍包のお店(きっとおいしいだろうと予測)の2階へ上がりました。
そこでメニューから、チャーハンと小龍包のセットで、スープと杏仁豆腐のついたものを3人前と、私は小龍包のセットを頼みました。肝心の写真を撮り忘れたので、そのお店のHPの写真より。

翡翠小龍包は子供たちへ、下の子の残りチャーハンをもらったりと、
子供たちは小龍包に目を輝かせ、食べ方が書いてある手順に従い、舌鼓を打っていました、やはり、一番の関心事は”食い物”のようでした。
レシートを見て、上の子が「へー回転寿司より高いよ」とこれまた庶民的な感想を述べていました。
一人1680円のセットでした、お手頃値段です。その後100円の肉まんを食べ歩き、美味しかったそうです、

そんな夜は、次の日にしようと話したのですが、下の子がなんとしても今日がいいというので、夜は寿司屋行きです。

男の子の二人では、エンゲル係数が高くなりそうです。
下の子はまだふざけるのが一番の楽しみですが、上の子は落ち着いてきました。
ちょうど広島の原爆の日で、原爆の話もしました,、関心も持っていたので、日本だけ落とされた?と言うので、そうだだから被爆の経験者として、世界へ平和の大切さを訴えていかないと話しました。
英語と数学の教科が好きだと言っていました。

3日目にはそれこそ夕方に帰宅では台風で大荒れになるので、昼にカツ丼を作り、その後はやめに 送って行くことにしました。
駅から傘もないのに、30分も歩かせるわけにいかないので、タクシーで送り届け、家の中に入ったのを見届けて、そのタクシーで駅まで引換して、戻りました。
5時過ぎとまだ帰宅ラッシュには早い時間ですが、電車は混んでいました。
会社で台風を避けての早や帰りで、早目の帰宅ラッシュに遭遇しました。
外は台風で、我が家に吹き荒れた小型旋風の影響で、財布がやけに軽くなりました。(笑)