るりとうわた

日常をつづる

50年振りの長崎旅行①


高校生の時の修学旅行先が長崎でした。
それから50年経ち、いや正確には+もう少しですが、今回同期会の仲間6人と、行くことになりました。
修学旅行の時は、「長崎は今日も雨だった」の歌詞通り、雨降りで、坂の町から海は見えず、石畳を素早く流れる水しか記憶にないという具合で、今回を楽しみにしていました。

神戸空港に集合し、1時発の便で長崎に向かい、レンターカーでハウステンポスに着いた時は、もう4時過ぎでした。
夕暮れ迫る時刻でしたが、日航ハウステンポスが宿泊ホテルでしたから、夜の観光が楽しめます。
これ、現在の高校生(中学生)の修学旅行コースと同じでした。(笑)
イルミネーションが点きはじめました。

夕方の見難い景色より、綺麗に見えるのは灯りマジックです。
夕飯も千円で、ハヤシライスセットでサラダも飲み物も付いた、修学旅行生メニューに私たちも乗っかりました。(笑)
修学旅行生の方が、このセットと別にテーブルに一つのデザート(ケーキ)を注文して、SNSの写真撮りで、湧いていました。
仲間が「どこから来たの?」と聞くと「久留米から」と返事が・・・[佐賀県?]「そうです」ということで、何と中学生の修学旅行生でした。

なるほど、今の子は身長がありますね、高校生かと思いました。明るいところではまだ幼さがある顔だとわかりました。
13分で運河をを1周できる船に乗り、ハウステンポス内を1周しました。
その運河が、賑やかなイルミネーションから離れるところに来ると、そこは運河に面した別荘地で、分譲され、灯りのともるところは住んでおられ、個人の船着き場も付いている豪華版です。

運河は大村湾に繋がっていて、海水だそうです。
ハウステンポス内にあるようなものですから、手入れが行き届いていていいですね。

イルミネーションが豪華で広いです。
東京の街のイルミネーション、つまり無料のは見たことがありますが、例えば読売ランドとかの有料のイルミネーションは見たことがなかったので嬉しかったです。
運河は私たちが乗った6時半で一般客は中断して、7時からはパレードがあり、幾艘もの船がライトアップして、後ろに楽団や、オペラ、ミュージカル、ポップス、ロックなどの歌手をそれぞれに乗せて、歌いながら流がれ、川べりから観覧します。

それぞれのパフォーマンスがあり、皆さんサービス満点で、手を振っています。
最後に一番高いタワーに上り、園内の夜景を楽しみました。
下りてくると、「ヤバイ!」「8時過ぎた」と男子生徒が駆け抜けていきました。
きっと集合時間に遅れたのでしょう。それも想い出になることでしょう。
私たちも家庭から解放されて、「もう8600歩も歩いた」とか言いながら、ホテルへ戻りました。
翌日は長崎市内観光です。

長崎の平和公園へ行きました。
御影石の石柱が、原爆落下中心地を示し、周囲はこの上空約500mで炸裂したことを表す同心円の広場となっています。
その前(左側)にあるのは、原爆の炸裂により破壊された、浦上天主堂の遺壁。この側壁は聖堂の南側の一部で、壁上の石像はザベリオと使徒です。浦上天主堂は爆心地の東北東約500mの場所にあり、1958年(昭和33年)にこの場所に移設されたものです。
この後は原爆資料館内を見てまわりました。

その後公園の平和の像の前に行くと、大勢の人がいました。
中国からの観光客で、賑やかに記念撮影をしていました。
台湾、韓国からの観光客もいます、人類最初の原爆投下が広島で、最後の投下が長崎と、日本は二度も人類史上初の原爆投下の経験をしています。
同じアジア人として、多くの方がお参りに寄る様を見て、日本は、核兵器廃絶の先頭に立つて訴え、行動する使命があると思いました。

そして眼鏡橋を見て、出島へ行きました。

出島と言っても、もう海に出た島ではなく、すでに出島の周りは埋立られた街中にありました。
雰囲気だけは、橋を渡り、出島に入り、古い当時の町並みが作られていました。

当時の建物に入ったり、町並みを見て歩きました。

お昼は時間がなかったので、急いで長崎皿うどん(ミニサイズ=スナックサイズ)を頂きました、美味しかったです。