るりとうわた

日常をつづる

二人忘年会と観劇

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最近、投稿しようとして、3度文章が消えてしまい、しばしショックで、放置しておりました。

このページが重いのか?私のパソコンが重いのか、文章を書き込んでいる途中で、固まり動かなくなります、えい~とばかりに、「公開する」をクリックして、押し逃げみたいに、再度開いた時には、公開されていたとなるのでは・・・、と期待をこめるのですが・・・、何も文章はUPされずに、元の状態で開くのみです。

別に、再起動を掛ける必要もなく、このページだけが、書く前の状態に戻るだけです。

夜にするからかも?で、今日は午前から入れてみます。

もうお題も変わっているので、話を変えて、妹と平塚で久しぶりに会い、今年最後となりそうなので、忘年会としました。

上の写真は同じモンブランなのですが、手前が生絞りモンブランで、後ろがフレンチモンブランで、栗の色が若干違います。

フレンチの方が、赤く、他の席のお客の話しではフランスの栗だと言う話でした。

お昼を食べ、積もる話をして、手頃な冬物衣服を買い、ケーキで忘年会でした。

話しは変わり、その前の週に、行ったのが、新国立劇場の「カリギュラ」でした。

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STORY

ストーリー
 

ローマ帝国の若き皇帝カリギュラ菅田将暉)は、愛し合った妹が急死した日に宮殿から姿を消し、その3日後に戻ってきた。その日を境にそれまで非の打ち所のなかった皇帝は豹変し、貴族平民問わず、何らかの財産を持つものを区別なく殺しその財産を没収する、という驚くべき宣言を出す。

しかし、それはほんの序章でしかなかった。

それから3年後、カリギュラは、彼を深く愛している年上の女性セゾニア(秋山菜津子)、忠臣のエリコン(谷田 歩)を従い、残虐非道な行為の数々を繰り広げていた。やがて貴族たちの怒りと怖れはカリギュラを殺害することへと向かっていき、カリギュラに父を殺された若き詩人シピオン(高杉真宙)も、彼を殺したいほど憎んでいる。だが、カリギュラの思想の危険さをいち早く感じていたケレア(橋本 淳)だけは、今は時期尚早だと“その時”が来るのを待つように貴族たちを諌めるのだった。

カリギュラは自らの命の危険を知ってもなお、止まることなく、さらに暴走を続ける。
 彼は革命をもたらす王か、それともただの殺人者か。カリギュラが探し求めた「不可能なもの」とは・・・?


CAST STAFF

キャスト・スタッフ
 
キャスト菅田将暉 高杉真宙 谷田 歩 橋本 淳 秋山菜津子

 原 康義 石田圭祐 世古陽丸 櫻井章喜 俵 和也 野坂 弘 坂川慶成
 石井 淳 石井英明 稲葉俊一 川澄透子 小谷真一 小比類巻諒介 西原やすあき 髙草量平 原 一登 平野 亙  峰﨑亮介 吉澤恒多

スタッフ作:アルベール・カミュ
翻訳:岩切正一郎
 演出:栗山民也

 美術:二村周作  照明:勝柴次朗  音楽:金子飛鳥
 音響:山本浩一  衣裳:前田文子  ヘアメイク:鎌田直樹
アクション:渥美 博  振付:八子真寿美   演出助手:坪井彰宏
 舞台監督:加藤 高

 主役は菅田将暉さんです。
大河は見ましたが、ドラマは見ていませんが、バラエティ番組や紹介番組での、この人の適応力の高さ、年齢幅を超えて打ち解ける能力に感心していました。
今年、WOWOWを一時視聴していた時に、偶然「あゝ荒野」の映画を見て、本能的演技と言うか、演技でなくてルポみたいな感じで俳優として、気になりました。


それで「カリギュラ」に出ると言うので、チケットをとりました。
いつもの新国立劇場の時とは違い、激戦でした。私は外れ、娘も見たいと言うので、娘の取ったチケットの方が当たりました。
まるで年齢を見られた見たいでプンプンだったのですが・・・。(笑)

フランス文学界を代表する作家・アルベール・カミュ自身が、『異邦人』および『シーシュポスの神話』とともに“不条理三部作”と位置づけた傑作戯曲のひとつです。

内容は難しい、まさに不条理ですから・・・

2007年に蜷川幸雄さんの演出で、小栗旬さんの「カリギュラ」を観ました。
全面ガラス張りの宮殿で、蜷川さんらしい舞台構成に驚き、また小栗旬さんは2004年に同じく蜷川幸雄さんで「お気に召すまま」を観た時は後方席まで声が届かなかったのですが、それがこの数年で見違えるように成長した姿に満足してはいたのですが、その時も内容は分かりませんでした。
その時も今回も、衣装は原作通りローマ帝国時代を思わせる衣装で良かったです。

これで現代版にされたら、それこそ私は悩んでしまって舞台に入って行けませんから、これは良かったです。

菅田さんは長いセリフばかりなのですが、自分のものにしていたと思いました。言ってることは良く解りました。
ただ内容が聞き取れても、理解できないのですから、これは仕方がありません。
暴君過ぎて、自分の満足しか考えていないようで・・・

それで観劇後家に着いたらNEWS ZEROで、ちょうど菅田将暉の密着取材をしていて、この舞台のリハーサル風景が流れ、セリフを言いながら泣いていました・・・
その前の様子が分かりませんが、見た目の明るさよりか繊細な気がします。
栗山民也氏のダメ出しがかなり厳しい・・・それであれだけ台詞が自分のものになっているというのは、確かな演技力だと思いました。

いつもよりぐんと若々しい客層で、通常の新国立とは雰囲気が違います。

舞台はじめてという方も多かったみたいですが、カーテンコールの時、スタンディングオーベーションとなりました。ファンの方々も頑張っているのだな、と感じました。

菅田将暉といい、小栗旬といい、伸び盛りの俳優が演じる役なのか、「カリギュラ」とは、暴君ゆえの運命を辿るのですが。

 

そして、なぜ今この時に「カリギュラ」なのか?と考えると・・・暴君ね・・・
そう言えば暴君がいっぱいいるかも?世界には。
日本の首相だって、「桜を見る会」で、やりいたい放題で、官僚始め、国民を振り回していますよね。
森友からずっと暴露されているのに、居座り続けていますものね。
ある意味、今日的問題なのかも知れないですね・・・