るりとうわた

日常をつづる

今何が出来るのか

テレビで大地震の被災地の映像を見ると言葉がありません。
一刻も早く皆さんが救助されますことを祈るばかりです。
その上に原発の事故と不安なことが続きます。

昨夜も10時半ごろ、富士宮近辺を震源とする地震がありました。
ちょうど11日の東日本大地震の時と似た揺れ方でしたが、ただ時間はずっと短く、3分の1から5分の1ぐらいという感じでした。

10日の日からトイレ工事に入りトイレが使えないというので、この日は以前のポイントのある熱海のホテルに一泊しました。
翌日は4時以降に帰ってくださいということで、時間つぶしをし、主人が柿田湧水群を見たいというので、沼津に寄りその帰路足柄サービスエリアでトイレタイムにしました。

車に戻る前にホットのお茶を買おうと歩いていたら、「いやだ目眩がするわ〜」と思い立ち止まると、サービスエリアが停電になり、中からどっと人が出てきたと同時に、ゆっさゆっさと揺れるので、驚いてベンチに掴まりました。長かったです。
富士山の地震震源地が近い?(昨夜の地震のように)何て思いましたが、若い方がすぐに携帯情報で、震源地が東北と広がりました。
東北でこのひどい揺れなら東京はもっとひどいだろうし、現地はどんなに大変だろうと、知らない人たちと話しました。
この日はトイレ工事だけでなく足場を組んで塗装工事もしていたので、誰か落ちていないだろうか?と心配になり大急ぎで帰りました。
東名高速も速度制限はありましたがまだ規制はされていませんでした。
作業の方たちも家も大丈夫でした、新宿に勤めている娘にもメールを出しましたが、こちらは中々通じませんでした。
娘たちは新宿御苑に避難しようと向かったら門が閉ざされていて(有料)、道路に会社員が溢れていたそうです、もちろんその後開放されて入ったそうです。
帰宅困難者となり、同じ会社の方と1時間半歩いて、3人で泊めてもらい、翌日の昼過ぎに帰ってきました。

電車が止まり、月曜日から娘は出社困難者となりました。
小田急線とJR線が止まってしまっては神奈川県中部と西部の者に通勤の足はありません。
会社からは何度も電話が入り、「明日は来れるか?」「電車が動けば」を繰り返すばかりで、年度末を控え娘しか出来ない仕事を抱えているようで、そのうち「迎えに行こうか?」「じゃお泊まりセットを持って行きます」。
私達も何とか新宿へ行く手立てはないものかと方法をネット検索しました。
東名の高速バスを見つけ、電話で確認し、翌日は5時起きで、主人が車で東名の高速バス乗り場まで送りました。
すでに予約は不可能となっていたので並び、静岡から新宿行きのバスに乗ることが出来、同じ思いの方がいたのでしょう、次の駅で満席となり後の駅は積み残しとなりました。
道路に車は溢れ、娘は車窓から、俄か自転車族を沢山見かけたそうで、まだ自転車で行ける距離なら私もそうしたと思ったそうです。
金曜日に地震で会社を飛び出したままだから事後処理も含め、多くのサラリーマンは電車がほぼ全面的に不通で大変だったことでしょう。
でも被災地の方に比べたら、すべてが我慢できます。

娘を出してほっとしたら、今度は大工さんから、ガソリンがなくて、「行けない」と電話がありました。
ガソリンスタンドに1キロ並んで、順番が来ると、もうないという状態だそうです。
主人もガソリンスタンドに並んでも2千円分しか入れてもらえないと言っていました。
リフォーム会社からも資材が入らず、工期が遅れると連絡がありましたが、「これから入るところをストップして、すでに工事に入っているところから急ぎます」というので、こういうときなので延長は仕方ないと思っています。

暖房の灯油が切れたので、主人が買いに行くと、朝はあったのに品切れで入荷待ちだそうです。
お店の棚にトイレットペーパーや電池も売り切れだそうで、驚きました。
被災地の方たちこそ、必要でしょう。

今私たちに出来ることは、何があるのでしょうか・・・

(まず停電になる前に送信です)