るりとうわた

日常をつづる

NODA・MAP 第17回公演「エッグ」

20世紀が残した最後の殻を破る、野田秀樹作・演出の最新作「エッグ」。
前世紀、大衆の欲望と熱狂は、スポーツと音楽のかたちをして現れた!
フル回転の言葉と身体で割れた卵から、新しい演劇の歴史が生まれる!
“エッグ=卵”とは何か。世界か、歴史か、人間か、演劇か、それとも…。
作り手すらも想像がつかない、変幻自在、驚きのコラボレーションを目の当たりにする。

作・演出 野田秀樹

音楽、椎名林檎

出演

妻夫木 聡 深津絵里 仲村トオル 秋山菜津子 大倉孝二 藤井 隆 野田秀樹 橋爪 功

1990年開館の東京芸術劇場が、、「集いやすい場所にするべき」という野田氏の意見を取り入れ、昨年4月から約84億円をかけて改修されました。

これまで、劇場への正面エスカレータが壁のようにそそり立っていたのですが、吹き抜けのエントランスとなり2階のプレイハウス、地下のシアターイースト・ウエスト(小ホール1・2)が一望でき、色調も煉瓦色というかモカ茶色で温かみがあり、以前とは大きく印象がかわりました。

そのこけら落としての舞台がこの作品「エッグ」です。
834席でちょうどいい大きさです、生声でした。

中年女性(野田秀樹)が修学旅行の女子高生らを劇場案内するシーンからはじまります。そこはまだ劇場改装中でその一人が隅っこで見つけた寺山修司の遺作原稿を、案内の女性が所望します、それは愛人の芸術監督(野田)に貢ぐためです。それが『エッグ』と題する未完脚本の生原稿で、それに筆を加えて完成させるという劇中劇で進みます。

場面は「エッグ」という競技で、 東京五輪代表を決める対中国戦のロッカールームです。日本チームの牽引車、粒来(つぶらい)幸吉(仲村トオル)、新入りの阿倍比羅夫妻夫木聡)、君が代を歌う人気歌手・苺(イチゴ)イチエ(深津絵里)らが登場します。

全日本代表監督を演じるのは橋爪功、謎のチームオーナーは秋山菜津子、歌手の付き人は藤井隆
舞台中を出演者が動き回るというのは野田演出でよくあるのですが、今回はこの一人用のロッカーを持って、またはその中に入って動き回ります。
病院の病室にあるような釣りカーテンが、その動きに合わせて出入りする人の姿を隠したりと、うまい使い方でした。

仲村トオルさんの低音ボイスに胸の筋肉は凄かったです、深津さんは相変わらず可憐でした、歌は椎名さん風で、綺麗な声で雰囲気はありましたが印象は余り強くはなかったです。
妻夫木さんは一生懸命ですが、お人よしな役でした。
粒来幸吉の名は東京オリンピックのマラソンで最後に抜かれ銅メダル、四年後の五輪開催直前に「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」との遺書を残し亡くなった円谷幸吉を連想させますが、若い方にはわからないでしょう。
しかもここでは粒来選手の代わりに補欠で出て、英雄のようにされる阿部なんですが、それは逆に言うと負けて、自分の所為と言われないようにと、ずる賢い粒来です。最後も負けて遺書を書くのですが、その背番号を阿部と入れ替えて、自分ではないと去っていきます。
また阿倍比羅夫とは白村江の戦い阿倍比羅夫でしょうか。

ロンドンオリンピックも終わったばかりですが、ここでも国の威信をかけての出場争い、国民の意気高揚、そして競技の盛り上がり、興奮、必死の戦いが、ナショナリズムの危うさでしょうか。
それがいつしか、タイムスリップして、1940年の幻のオリンピックの話になり、そして戦争へ、満州へ、開拓団、731部隊、人体実験の話へとつながります。
エッグは細菌培養の卵であり、選手は人体実験の道具とされます。
そして、敗戦が確定すると、オーナーは「さあこれからみんなで逃げるのよ。そのお祝いにシャンパンを開けましょう。過去から逃げましょう。」
監督は「笛が吹かれたらノーサイド、今までのことは全て忘れる。それがスポーツだ」
そのロッカーは今度は貨車に見立てられて、逃げて行きます。

そしてそこに残されるのは、いつも一番下っ端ということになります。

2時間10分の舞台が一気に進みます、もちろん途中で休憩など入ろうものなら、話が分からなくなります。(笑)
常に頭はめまぐるしく考えます、どういう意味だろう、何にたとえているのかと・・・
でも裏のロッカールームは出てくるけれど、試合光景は出てきませんから、エッグがどういう競技かどういうものかわからないのがもどかしいです。
結局、未完成の原稿は加筆され、歴史は塗り替えられるということでしょうか・・・、嫌な過去は忘れたいとは、福島や原発も・・・?。
もっとエンタメでもいい気もしますが。

野田秀樹談「上にいる人間は制度や仕組みをいかに使って自分が生き延びるかを考える。人間のずるさ、巧妙さを書きたい」(読売新聞)