るりとうわた

日常をつづる

メキシコ(3)


第二神殿
ラクルム遺跡はユカタン半島南部に位置する有数の巨大遺跡です
ホテルを早朝5時発で、片道6時間半掛けて行きました、グァテマラの国境50km程の地で、ジャングルの中にありました。
バス(4時間半)の通らない道では、トヨタハイエースに乗り換えて1時間です、その道中野生のクジャクやいのしし、鹿に遭遇しながら進みます。

道の真ん中にいるクジャクです、首のあたりが紫色がかった金色に輝いています。

第一神殿
ここのジャングルの中には天然のチューインガムの木が茂り、その木を探しに来た現地の人が、平原なのに、小高い山があると、探し当てたのがカラクムルの遺跡だそうです。
ラクムルは蛇を意味するカーンという王朝首都で、西暦599年代のことです。

45mの高さを誇る第二神殿や均整の取れたピラミッド神殿のある第一神殿など神秘性に満ちた建物群が残されています。

その石の階段状になった第一神殿跡に登ると、頂上は見事な展望です。

さっき登った二号神殿が見えます。


こちら、見えているのは七号神殿です。
辺り一面ジャングルに覆われまさに樹海です、四方八方見渡せば、その樹海が円形になり、地球は丸いと実感することができます。

階段の途中に人がいるので大きさが分かります、外国人カップルですが、ずっと座って喋っています、文字通り、大自然の中です。
キツツキのカーンカーンという来をつつく高い音と、頭の赤い毛を見ることができました。

バスで日没を見ることができましたが、この日は行ってホテルに戻るだけで、朝の5時から夜の9時過ぎまでかかりました、でもその値打ちがありました。


翌日は世界遺産のカンペチェ歴史要塞を訪ねました。
カンペチェは植民地であったメキシコと、スペイン本国を結ぶ重要な貿易港でした。
私たちは日本を中心に置いた世界地図を見ていますが、世界ではこう見ています。
スペインからアメリカ大陸は近いですね。

新大陸から集められる、香料や毛皮、銀などの富が海賊の標的になり、町はしばしば襲撃を受け、カンペチェの町には強固な要塞が建設されました。
また当時の海賊は、軍隊並みで、巨万の富を手に入れたスペインに対して、後れを取ったヨーロッパ諸国の後押しがあったと言います。
列強は勝手なもので、メキシコにしては迷惑ですが、イギリスの海賊、フランスの海賊がスペインの植民地を襲うということです。

1686年から建設され、18世紀初頭に完成。

町は碁盤の目状になり、パステルカラーに塗られた漆喰壁の家が建ち並んでいます。
その町の中心ソカロで、鳩に餌をやる子供です、切り口を下に持っているので、えさはこぼれたままです。

カンペチェの町の市場を通りました。

名産唐辛子も売っています。

こちらもです。

フルーツもあります、食事にもスイカ、パイナップル、マンゴウは良く出て来ます。

お芋みたいなのは名前を忘れました。
いずれも町の木として、たわわに実っています。

こちらはトルティーヤ(トウモロコシで作る)で、3食食べられています、自宅で作る家、こうして買って、肉や野菜を巻いて食べる家と、色々だそうです。

そしてウシュマロ遺跡の見学です。

魔法使いのピラミッドと呼ばれています。
世紀初頭のマヤ古典期に栄えた遺跡はプウク様式( マヤの言葉でユカタン半島の丘陵地帯)と
呼ばれるマヤ文化のオリジナル色建造物です。
プウク様式とは、建築物の壁一面に彫刻を施した石を組み合わせ、複雑なモザイクや蛇などの、数々のモチーフで華麗に、過剰に装飾をしていることです。
これは登りたかったのですが、この裏の階段で以前は登れたのですが、80代の女性が階段から落ち亡くなったことで、この遺跡は禁止になりました。
63度ほどの傾斜だそうですから、落ちたら下まで行きますから、確かに危ないですね。
そのうち、観光客も増えて、他のピラミッドも登ればなくなるかも知れません、今のうちです。

内部の天井は全てプウクの特徴のマヤ・アーチで造られている、そのマヤ・アーチからピラミッドを覗いてみました。

イグアナと遺跡はセットか?というぐらいよく見かけますが、ここが一番沢山いました。

広大な中庭を4つの矩形の建物が取り囲む構成になり、沢山の小部屋を持つことから尼僧院と呼ばれている。

凝った彫が表面にされ 、蛇神ククルカン、雨神チャック などのレリーフなどが施されている。


総督の宮殿
前には双頭のジャガーを彫刻した石造玉座があります。
建物は187m、縦170m、高さ8〜12mのテラスを基盤とし、さらに3層のテラスが重なる、中は沢山の大部屋が造られている。

長い鉤鼻を持った怪物と多数の線が交差する格子模様があります。

マヤ文字の解読によれば895年から907年に相当するそうです。