翌日は郊外にあるメキシコ国立自治大学へバスで向かいました、こちらも世界遺産になっています。
現在メキシコには32の世界遺産があります、この絵は2007年当時のもので、27個でしたが、そのうち今回はピンクで〇を付けた9つの世界遺産を見てきました。
1968年のオリンピック会場
この自治大学は、東京オリンピックの4年後(1968年)のオリンピック会場となった競技場の目の前にあります。
この壁画は
正面入り口の上にはディエゴ・リベラ(1886〜1957)の壁画があります。
リベラの国立王宮での壁画は見れませんでした。
そして、メキシコシティを南北に走る大通りであるインスルヘンテス通りを挟んで両側に大学都市が広がっています。
その大学の敷地の広いこと広いこと、羨ましい限りです。
そこにある自治大学の図書館の世界最大の壁画、ぐるりと4面にテーマごとに描かれています
フアン・オゴルマン(1905〜1982)によるメキシコの自然石を使ったモザイク画です。
自然の石の色なので、禿げることもなく一定の色合いを保っているそうです。凄いです。
この面は太陽と月、宇宙、科学政治が描かれています。
そう言われれば、この太陽の画、メキシコにはこういう描かれ方が多いのですが、岡本太郎さんの太陽の塔の太陽を彷彿とさせるものがありますが、そう言えば国立人類学博物館のこの建物が、下地になったとか、メキシコの方は、真似されたと言ったようです。
一本の柱が屋根を支えているのですが、太陽の塔は突き抜けていましたね。
岡本太郎さんは、メキシコに来てホテルの壁画を描いたりされていたので、接点はありますね。
大学の話に戻り、他にも立体的な壁画が数点ありました。
郵便局が少ないというので、絵葉書の切手をここで買おうとしましたが、日本までの切手を使う方はなく3枚しかありませんでした。皆でほしい数は30〜40枚近かったです。
メキシコシティは標高が高く朝は涼しく、昼間もそれほど暑くはありません、
次は、5000m級のポポカトペトルの活火山で、その山の麓にメキシコを支配したスペインのキリスト教各会派の修道士が布教で、メキシコを訪れ、修道院を建設しました、そこを観光です。
16世紀には300にものぼったそうで、その一つです
屋外開放型礼拝堂という、先住民にうけいれられやすいようにした特異な構造をもつ、16世紀の修道院のうち、ポポカテペトル山麓の14の修道院が世界遺産に登録されました。
この教会に、秀吉の命で処刑された宣教師、日本人のカトリック教徒の壁画がありました。
ベトナムの人が描いたとかで、画風は日本風ではありませんが、その時代に、こんな遠いメキシコと日本との関係があったのですね。
ここで、先生たちのデモ隊に出くわし通行止めとなり、バスを降りて徒歩で見学です、なんでもソカロの前にある市庁舎へ要求で、その応援に子供たちがバスで駆けつけるということでした。
子供がバスを出せないから親が応援するということでしょうか?所変わればです。
そして銀ラッシュに沸いた町タスコへ向かいました。↑二つ見える搭の境界まで歩きます。
1743年に大鉱脈が発見されてから”シルバーラッシュ”で栄えた町です。
コロニアル指定の町なので、白壁 と赤い瓦の屋根に窓辺に咲き乱れる花、まるでスペインのトレドみたいな感じです
道が曲がりくねり、バスは通れないので、歩いてソカロや教会の見学です。
その道中、ビートルやカブトムシと呼ばれた白いフォルクスワーゲンの車がタクシーとして使われています、小さいからちょうどいいですね。
1759年に建設されたサンタプリスカ教会で、銀山王のボルダが巨額を寄進して建造されました。
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その次の日は、早朝4時半出発です。
朝食用のサンドイッチをホテルで作ってもらい、バスの中で頂き、日の出もバスの中でした、6時半発の飛行機に乗りタバスコ州へ
ラベンタ遺跡公園で巨石人類像を見ました。
オルメカ文明と言われ、1200−400BCの先古典期と言われます。
そしてパレンケ遺跡です。パレンケは古典期(西暦300年〜900年)に栄えたマヤ文化圏西部に位置する古代都市です
人類学博物館で見たヒスイの仮面が出た碑文の神殿を見ました。
こちらは宮殿です↓(わたしです、遠くて年がわからないでしょう?)
最初に作られたのは7世紀で、120年ほどかけて増築され、水洗トイレやスチームバスもある
マヤ建設では珍しいとされる高い塔は、壁面が東西南北を指していて、天体観測所と言われています。冬至には太陽はちょうど碑文の神殿に沈みます
周りはジャングルです、土に石灰岩が混ざり、大きな木は生えないとかで、低中木のジャングルです。
5人の兵士の像
その上の 北の建物群の中で、一番大きなjの十字架の神殿です。↓
一番大きな神殿で、十字架の神殿といい、登ることができます、神殿内部の石板に描かれている生命の樹を象徴する模様が十字架に見えることから名づけられました
太陽の神殿で 、神殿内部に太陽のシンボルとされていた戦いの神様が描かれていた
太陽の神殿と、葉の十字架の神殿は向かい合っていて、声や音が反響するようにつくられています
ことらは太陽の神殿の前に位置する葉の十字架の神殿、葉の十字は萌え生じるトウモロコシを様式化したものです
ここまで奥地へ来ると、観光客は少ないです、バス2台に、乗用車数台です。
ゆっくり観光もできます。団体さんではウクライナの人々と同じでしたが、今ウクライナも大変な時期ですよね、すべての人に関係があるわけではないからでしょうかね・・・
まだ観光地化が進んでいなくて、今はいいですが、そのうちにすぐに混雑するのでしょうね。