るりとうわた

日常をつづる

メキシコ(1)


国立宮殿
メキシコシティに3連泊し、市内観光、近くの遺跡へ出かけますが、荷物の片づけをしなくて済むのは助かります、その間に時差ボケを治すようです。
それでも早朝出発5時というのがあります。
一日目(着いた次の日)は世界遺産メキシコシティ歴史地区の観光です。
メキシコシティは2000万人(周辺都市を含む)の大都市です。
まずソカロへ向かいます。メキシコでは町の中心となる広場をソカロと言います。
ここはアステカ帝国時代の中心地であり、1521年に征服され、街は破壊され、その上にスペイン人の街を作り、やはりここが中心地となりました。
一番上の写真が征服者コルテスが宮殿を建てた国立宮殿です。
ツアーには中の見学はなく、着いた日に4人で見学に出たのですが、清掃中ということで中に入れませんでしたが、ここにはディェゴ・リベラの最大の壁画「メキシコの歴史」があります。
また、毎年独立記念日の前夜には、ソカロに面したこの中央の宮殿バルコニー(旗が立っている下の2階)に大統領が現れて、「メキシコ万歳!」と叫び、ソカロ(手前の広場)に集まった数万の市民がこれに唱和するそうです。

こちらは王宮の前、ソカロの横に面して建つメカロポリタン・カテドラルです。
1525年に造られ、その後改築、現在のカテドラルは1573年から1813年に完成し、元のカテドラルの一部は、現在のカテドラルの中に組み込まれているそうです。
私たちは前日に宮殿の壁画の見学がならず、ここの鐘楼ツアーに参加しました。
15ぺソ(150円)でした。
2つある搭の上に狭い螺旋階段を登り、鐘のところに出ます。

そこから本堂の屋根の上に、登らせてくれます、これは貴重な経験でした。

これは向かいの搭です。
英語とスペイン語の解説者がつき、私たちはスペイン語はさっぱりわからないので、英語の方に加わりました、他の外国の方と同じ組合せです。

女の子の立つ位置がまさに本堂の真上ということです。


その本堂もまことに立派で、総本山ということですからメキシコ中の信者の方が来るそうです。

こちらはカテドラルの裏側で、遺跡の一部で、アステカ帝国の都テノチチィトランの中央神殿ということがわかったそうです。今も発掘中で、周りに観覧席が出来るということでした。

こちらはベジャス・アルテス宮殿で、現在はメキシコで、最も格式の高い大劇場の一つとなっています。この建物も地盤沈下し、修理修復されているようでした。

そして昼食後、メキシコ最大の古代都市遺跡世界遺産テオティワカン遺跡に登ります。
これが3階段に分かれていて、一番上まで登るのですが、下の階段の段差が高くて、足が短いのに片足づつ上げるのがそれは大変でした。
それでもここまで来て、登らないでは帰れませんから、勿論標高も高いので、息が切れますが頑張りました。
この日から後は、毎日ピラミッドを登るようになります。
ところが、一番登ってみたいという感じのピラミッドはかつて、観光客の方が、階段をおちて亡くなられたことで、登るのが禁止になっています。
そうならないように、階段落ちだけはしないように慎重に登ることにしました。

最高の眺めです。
今登ったのは、月のピラミッドと呼ばれ、42mで、左手がわに見えるのが太陽のピラミッドと呼ばれ64mあります。
手前が月の広場で。大通りは死者の道(4kmあります)、右手側に写っていませんが、ジャガーの宮殿があります。壮観です。
4世紀から5世紀ごろに隆盛を極めたテオティワカンは7世紀ごろに滅亡したとされている。
すこしの絵文字しか残されておらず、神の集う場所と考えられるが、定かではないそうです。

次はこちらの方が高いという太陽のピラミッドに登ります。
中段まで来ました。

見下ろすのは気持ちがいいですね、山がそこにあるから…の気持ちがわかります。
頂上からの眺めは・・・

さっき登った月のピラミッドが、なんと小さく見えることか!
そして今まで、その月のピラミッドで見えていなかった自然の山が、あんなに大きく見えます。
自然の力にはかないません。
記念撮影をしておりました。

サボテンにピラミッドとメキシコらしい光景です。

そして市内に戻り、メキシコ古代文明の集大成国立人類学博物館の見学です。
ここはフラッシュなしで撮影が可能でした。

何と言っても人気なのは、この太陽の石「アステカ・カレンダー」ではないでしょうか。

直径3.75メートル、
重量24トンという巨石。下の絵は、浮彫の絵柄と色を再現したもので、このカレンダーには、地球誕生から現在、さらに未来の出来事が記されているといいます。
「このカレンダーの計算は、9つのおもな輪に分け、まず、巨大な石の中央部には、地球の誕生から5つの太陽(時代)とその進化が表されている。
2012年人類滅亡説、や終末説が流されました。
Wikipediaには、
ニューエイジ関連の書物ではマヤの長期暦は2012年の冬至付近(12月21日〜23日)で終わるとされ、その日を終末論と絡めた形でホピ族の預言も成就する、(2012年人類滅亡説)。しかし、フォトンベルトの存在は皆無に等しく、フォトンベルト関係の予言は非常に信憑性に欠けた予言であり、さらにマヤの暦は現サイクルが終了しても新しいサイクルに入るだけで永遠に終わらないという見方もあり、多くのマヤ文明の研究家たちも終末説を否定している。

2010年から2011年にかけてグアテマラ北部の9世紀頃の遺跡を調査したアメリカの発掘チームは、月や惑星の周期を計算したマヤ最古のカレンダーを発見し、その結果、2012年の終末を窺うものは見つからなかったと2012年5月11日付の米科学誌サイエンスに発表した。
この他、カール・コールマンの計算によると「マヤ暦の最終日は2011年10月28日」との説もあった。」とされています。

またこういう説もある、http://www8.plala.or.jp/KgnosisAC/sub3-Jinrui-astec.html
マヤ暦で、2011年12月24日で地球は終わると・・・いうものですが。

要するに、第5期が終わったということですが、この当時に1年は365日と言い当てているもので、実際誤差が0,002しかなく、言い当てるどころか、とても正確なものだったということを証明するものでした。
この石は当時のコンピューターみたいなものということでしょうか。
4〜5世紀にということですから、ますます持ってマヤ文明とは?興味が沸きますね。