ワルシャワ(1)ショパンめぐり
ヘルシンキ経由でワルシャワに到着した翌日、ショパンの生家が郊外にあるので、そこまでバスで1時間と少し掛かりました。
ポーランドのポーとは平らと言う意味で、平らな台地がどこまでも続く地形で、牧草地が広がり、道路の脇は白樺と赤松の林でした。
ワルシャワの西にあるジェラゾヴァ・ヴォーラ村でショパンは生まれました。
お父さんはフランス人で、お母さんがポーランド人で、ショパンはお母さんにピアノを習ったそうです。
生家の内部はショパン博物館になっていて、ショパンの生まれた部屋や、使ったピアノなどが展示されているそうですが、なんとこのショパン生誕200年祭に際して、リニューアルされ、この春以降内部が全部新しくなってしまいました。
家族の肖像画や楽譜、手紙は展示されていましたが、生まれた部屋もピアノを練習した部屋も、真っさらな床や真っ白な壁となってしまっていて残念です。
家の周りはそのままの景色が残され、美しい公園として整備され、ショパンが幼少時代に触れたであろう小川や、庭木の枝が風に揺れる様子に、特に大きな柳の木の下が好きだったそうで、ショパンの音楽が生まれ育った背景を感じ取ることが出来ました。
もとはスカルヴォ伯爵の領地で、お父さんはその伯爵家でフランス語を教えていたと言うことで、その広大な土地のなかに家があります。
最もここもドイツ軍の攻撃を受けたのですが、その後整備されたということです・
家の外にはベンチがあり、そこに座って、家から流れるショパンのピアノ曲を聴くことができます。
また土日には窓を開けてピアノコンサートが行われるそうです。
ワルシャワに戻り、ショパンの像のあるワジェンキ公園に寄りました。
その後コペルニクスの像を見ながら、聖十字架教会に来ました。
この教会の中に、お姉さんがスカートの中に隠して持ち出したと言うショパンの心臓が納められています。
ショパンは二十歳でポーランドを出てからロシアとの戦争が起こりポーランドはロシア領となり、二度とこの地に帰ることはありませんでした。
ポーランドを愛したショパンは、「革命」という曲に心情をこめたり、ポーランドの民族音楽の影響を受けた、マズルカやノクターン・ポロネーズなどの作曲を多く手がけました。
(つづく)