やっと終わったと、招待された沖縄の少女
20日に公民館祭りで踊りを披露し、やっと終わりました。
2週間前に練習で踊った時に、先生に6割と言われ、それを見せる訳にはいかないと、特訓を申し出ました。個人レッスンのことです。
まあ一斉の合同授業と個人レッスンの2本立てで、もちろん個人だとレッスン料金が発生します。
だからほぼ個人レッスンは受けませんが、今回は人に見せるのでそういう訳には行かないので、受けることにしました。
自治会館を借りて、3時からですが、少し早めに行っています。と連絡すると、2時半に先生から、「着いたわよ」と連絡が入り、飛んで自治会館へ行きました。
私は、少し前にと言ったのは、15分前位のことで、自治会館の窓でも開けて、3時からすぐできるように準備をしようと思っていたのですが、先生は「貴女が少し早く行くと連絡が来たから、来たのよ」と30分早く来た、とのことです。
この30分と15分の違いはやはり大きいですね。決意の違いです。
先生の少しの時間でも面倒みやろうという気と、生徒は先生より少し早くという”のんびり”した気分との違いと、自覚すると嫌でも真剣にならざる得ませんでした。
それから2週間、踊り終わると、先生から「よく練習したわね」と言われましたが、「今度は何割の出来でしたか?」とは聞けませんでした。
だって、もう終わってしまったのですもの、ほっとしました。
でも、踊り納めの日に、また踊るようですね、聞いておけば良かったかしら?・・・・これだから、上手くならないのですね。(笑)
今日は即位礼の日でした。
海外からの国賓を招いての国事行事でした。
その招待客の一人に、高校一年生の沖縄の少女が居ます。
それは、2018年6月23日の沖縄慰安の日に当時中学生だった相良倫子さんが沖縄全戦没者追悼式で平和の詩「生きる」を朗読しました。
安倍政権には決してない!!
それで全文を引っ張り出してきました。
私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。私は今、生きている。
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ私の生きる、この今よ。
七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
スウェーデンだけでなく、日本にもいましたね。
「戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。」
安倍政権の沖縄政策とは、明らかに違います。
上皇や天皇は国民と苦楽を共にする、つまり国民に寄り添って来られました、世界平和の思いも。
自分ファーストの安倍政権とは違います。
こういう少女がいることそして招待されたことに、少し期待したいですね。