るりとうわた

日常をつづる

帰省


この写真は、26日日曜日、もうすぐ富山駅に着くという車中から撮りました。
そびえ立つ立山連峰です。
濃い雲がかかっているところに、標高2,999 mの剱岳があります。
新田次郎の小説が映画化された、『劒岳 点の記』(つるぎだけ てんのき)の山です。
雲間から、雪の山が少し見えますが、上はもう厳しい冬でしょう。

今月は大阪の実家へ娘家族と大移動をして、1週間飛びで、今度は急遽、夫の郷里富山行きとなりました。
前回我が家に金目の物がないのは、観劇などしているからだと書きましたが、そうではありませんね。
我が家は交通費貧乏なんです。(笑)
良く考えてみれば、夫のお父さんは9人兄弟で、夫自身は5人兄弟で、この冠婚葬祭等で、帰省すること数限りなく!
うちは次男で、お義兄さんも横浜住まいだったので、夫が転職して帰省しようかとの案に、お義姉さんたち3人が「長男が親をみるべき」(子供のころから長男だけは尾頭付きで、その親の期待はすごかった)との大号令で、幸いにもお兄さんは転勤を願い出て、富山へ戻られました。
そのお義兄さんが、親の問題で、弟に声を掛ければ、我が家は無条件で帰省し、お義姉さんたちとの間の問題解決、並びに愚痴を聞きに行く。
それしか私たちの親孝行はないと思い、それも宿命と、お金がなくても交通費を出してきました。(笑)
交通費だけでなく宿泊費もいりますから、我が家は両方とも遠いので、本当に交通費貧乏です。

土曜日の朝早くに、夫のすぐ上のお義姉さんから、ご主人のお母さんが今朝亡くなられたと電話があり、夫はすぐ行くと返事をしました。
私はここ4年ほど、富山に帰省していません(ぎっくり腰になった時もあったりで)、その間叔父さんが亡くなられたりしたのですが、ほぼ面識もなく、夫も一人で良いからと、一人で帰省をしていました。
それで今度、北陸新幹線が開通したら、帰省してお墓参りをする予定にしていました。
すぐ上のお義姉さんには、いつも夫はお世話になっているし、昔子供たちが小さかった時に、家族4人で義姉宅に泊めて頂いた時に、ご主人のお母さんに挨拶して、子供も遊んでもらっています。
その後10年ほど老人施設で暮らし、その後10年は病院暮らしされ、91才で老衰で亡くなられたという大往生でした。
新幹線の開通で行って、お見送りに行かない道理はないと、私も行くことに決めました。
そうすれば、別に用もないのに、春の開通時期に、わざわざ帰省することもありませんから。

速攻でホテルをネット予約し、JRのチケットを取りに小田原駅まで行きました。
大宮まで行き、そこで上越新幹線に乗り、越後湯沢で北陸線に乗り換えます。

上越新幹線Macときは2階建て車両ですが、私たちが乗るのは、もちろん安い1階車両です。
半地下ですから、何も見えません、空は見えても地下鉄みたいなものです、最もトンネルも多いので、一向に構いません。(笑)

湯沢越後で、金沢行のはくたかに乗り換えます。
ここの山並みはもう綺麗に紅葉しています。

今が山の紅葉シーズンなんでしょうね。
北陸新幹線が出来ると、この乗り換えがなくなり、時間も1時間ほど短縮できるので便利です。

お義兄さんは体調が良くないということで、お嫁さんとその娘さんが車で迎えに来てくれました。
姪はうちの娘よりか2つ年上ですが、まだ独身で、うちの下の娘と同類項です、両家とも若い者がいると助かることも多いのですが、やはり心配です。
会場に着くと、お義姉さんの長男、長女、つまり姪っ子、甥っ子も横浜にいて、娘の結婚式以来です。
「何年になる?」と聞くので、「もう上の孫が8歳だから9年かな?」と言うと、「えっ〜〜、そんなになるんだ」で。あとは「変わらない、変わらない」とお互いの若さを讃えあいました。(笑)
甥、姪とでは年の取り方が違いますが、乗りは一緒です。(笑)

その長男が今年45歳で、嫁さんは妹さんと同じ43歳、その下が義兄の姪で、その下に弟と嫁さん、うちの上の娘夫婦と、皆で年を数えて行くと、昭和44年生まれから、昭和50年生まれの間に、彼ら従兄弟たちが、連れも入れると、9人がひしめき合っていることが分かりました。
そのうち夫のように従兄弟会ができるかも知れません。
彼らも、「集まると壮観だね」と言い、今は男性は家でも会社でも大黒柱です。
長女の旦那は私たちの到着前に、中近東へ出張で発ち、長男も火曜日には上海へ出張で前夜に奥さんの運転で帰るそうです。

その長男の二人の息子たちが、いつも年賀状の写真で拝見していたのですが、超イケメンで、その実物に会えました。(笑)
お義姉さんと、義兄も美形同士で、その長男夫婦も美形同士ということで、なせる業(技)でしょうか、高1と小5の二人の周りの空気が違います。
おじさんおばさんたちが集まっては、「ジャニーズだよ」「ジャニーズみたい」と言い合って、将来親戚から「スター誕生」があるか?と、二人を挟んでの記念撮影がおこっていました。(笑)
当人たちは、まったくその気はないらしく、そう言えば2日間会いましたが、二人ともいつも何かを食べていましたね。
色白で、頬から耳にかけほんのりピンク色に染めながら、ひたすらお握りだのホットドッグだの、最後の法事の時には、お寺さんが先に席を立たれたその食膳で、下の子が残りを食べていました。(笑)
おばあちゃんに怒られて、「おじいちゃんが、いいって言ったよ」と可愛い顔で言っていました、まだ色気より、食い気が止まらない成長期でしょうか。

そしてもう一家族は、お義姉さんの旦那さんの妹さんと何年振りかで、会いました。
そう言えば、彼女が短大卒業後に、夏休みに我が家に泊まり込み、玉川大学に2年間通い、幼稚園の先生の資格を取ったのです。
そして幼稚園の先生を続け、園長か副園長かになり、今年60才で定年になったというのです。
「えっ〜、同世代なの?」と言い合い、遥か昔を懐かしみ、ました。
私も当時はまだ20代で、いや30才になったばかりで、毎日どんな食事を出していたのか考えると、恥ずかしいです。
いまだに彼女は私を「お姉さん」と呼んでくれます、「母の葬儀に、遠いのによく来てくださいました」と言われ、この家族とは縁が深いのだわ、来てよかったと思いました。
そう言えば、2年目に学校の先生をしていた彼が追いかけて来て、我が家でデートをしていたのですが、結婚を応援することになり、その方が今の旦那様です。
その彼と息子さんにもお会いしました。
ホテルから2日目の天気、立山も見えません
2日目にはレンタカーで、またお義兄さんのお嫁さんに付き合ってもらい、お墓まりに出かけました。
前日の陽気とは打って変わって、大雨が降り気温が下がり、両親から、おじさんおばさんから夫の友人と花を持って、お墓を駆け巡りました。
夫は同窓会等で年に2度は帰省しお墓まりをしていますから、私が久々過ぎて、怒られたのでしょう、墓参り後は大雨は止みましたから。

詳しいことは知らないのですが、早くにご主人が亡くなられ、お義姉のご主人とこの妹さんを、女手一つで育て上げられ、ご自身も観音信仰が篤く、曹洞宗で、永平寺にも行かれ、総持寺では1週間も修行をされたということで、お坊さんも讃えておられました。
曹洞宗がそうなのか?よくわかりませんが、お坊さんの説教も長く、独特の世界観を感じることが出来ました。
釈迦牟尼仏これ即心是仏なり」と・・・、仏さまになられたことでしょう。

昨日は深夜に帰ったので、鱒寿司は今日頂きます。
何か袋に詰められたものを急ぎもらって来たのですが、盛り篭にあったお菓子類が入っていました。
裏にはリンゴがあり、その下にはお餅があったから、夫が重いと言い、もらってくるんじゃなかったと言うのが、ようやくわかりました。