るりとうわた

日常をつづる

そうだ、京都行こう。(2)


龍安寺の石庭
夫のたっての希望で、次は龍安寺の見学です。
仁和寺からバスに4つぐらい乗りました。
私は学生時代から、何度か行っているので、見慣れた景観ですが、夫がどんな反応をするのか楽しみです。(笑)
涼しげな緑の木陰を上ると、正面に庫裡があります。

そこを入ると、すぐ石庭が見えます。

龍安寺は、1450年に室町幕府管領で「応仁の乱」の東軍総帥として知られる細川勝元が、藤原北家の流れがある徳大寺家の別荘を譲り受けたことがはじまりとされています。

妙心寺の5世住持である義天和尚を開山とし、臨済宗妙心寺派のお寺とした開山をしました。

龍安寺は現在の大きさよりもずっと広大な敷地を誇っていたとされ、南よりの京福電鉄の線路のあたりまでその敷地はあったとされています。

創建後まもなく龍安寺は、細川勝元自身が応仁の乱で焼失してしまいますが、勝元の子の政元と、特芳禅傑により1499年に方丈が建立され、石庭もこの時に造られたと言われています。
龍安寺は1994年に「古都京都の文化財」として、世界文化遺産に登録されました。

夫が言いました。
「えっ〜、これだけ?」
そうなんです、白砂を大河に見立て、石を大岩に見立てても・・・、借景を見ても
これだけなんです。
望遠レンズの付いたカメラを持って、夫は下がったり、横に引いたり・・・
どういう構図に入れようか四苦八苦です。
でも世界三大がっかりマーライオン、しょん弁小僧、パトラッシュの像の実物を見た時よりかマシですよね。(3つとも見ました)
私は一層こういう写真の方が面白いんじゃない?と夫に提案です。


題名は「何してんの?」ではなくて、「我思う、故に我らあり」とか、いいんじゃないでしょうか?(笑)
1人で来て、この空間を感じれるなら、侘びもさびも感じるでしょうが・・・
ここにいる半分以上の方は外国人観光客でした。座っている人はほぼ外国人でした。
最近は外国人観光客の方が多いようで、それで、入り口にトイレが3か所もあり、1か所は洋風トイレと書いてありました。
後ろは方丈の間でした。

そしてその横側に据えてあるつくばいがあります。↓

その四角の口の周りに、それを囲むように「五・隹・疋・矢」の4字が刻まれています
それに口をへんやつくりにして読むと、「吾唯知足」(我ただ足るを知る)と読むことができます。
禅寺ですから、きっと石庭の石が「一度に14個(15個ある)しか見ることができない」ことを「不満に思わず満足する心を持ちなさい」という戒めの意味が込められているのだとか。
恐れ入りました。(笑)さすが禅寺です、さっきの言葉も撤回かな?
そして、その石庭の前に広がる、池のある庭園は随分広いです。

苔生し具合もいい感じです。↑

広い池があり、蓮の花が咲いています。
こちら龍安寺の山門です。

そして、バスは東西方向にしか来ないので、地図を見れば南の方向に進めば妙心寺に着きそうなので、歩いて行くことにしました。
嵐山電鉄を超えてほどなくすると門が見えてきました。
それでもここまで20〜30分ほどかかりました。

驚いたことは、この山門をタクシーが走り抜けて行ったことでした。
そのうち、向こうから車は来るし、法事か、黒服の方が車で往来する姿でした。
ここは一体、一般道なのかどうか?と不思議に感じ、案内の地図をみてまたびっくりです。
どんだけお寺があるの?と・・・寺町なんだ〜と納得するも、こんな大きな寺町は見たことがありません。

妙心寺は、京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派大本山の寺院。山号を正法山と称する。本尊は釈迦如来。開基は花園天皇。開山は関山慧玄。寺紋は花園紋。 日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺を妙心寺派で占める。 近世に再建された三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には多くの塔頭が建ち並び、一大寺院群を形成している。平安京範囲内で北西の12町を占め自然も多いため、京都市民からは西の御所と呼ばれ親しまれている。

現在の妙心寺は、塔頭46ヶ寺あり、どこかには敷地10万坪と書いてありました。
HPには、先の龍安寺のつくばいを取り上げ、「知足」足るを知るとして、原子力に頼らないで、私たちに出来る小さくて、大きな支援と書かれています。
妙心寺のHP=http://www.myoshinji.or.jp/
また、

戦後七十年に際して

 まもなく我が国は終戦から七十年の節目を迎えますが、歳月を経る中、次第に戦争の恐ろしさや悲惨さが薄らいで来た様に感じます。今一度、戦争は尊い生命を不条理に奪う最大の人権侵害であることを確認すると共に、先の大戦で宗門が戦争に協力した事実を思い起こし、二度と同じ轍を踏まぬよう、静かに自心を省みなければなりません。

と書いてあり、人の道を説く、禅の道としてはあるべき意思表示だと感心しました。
話を元に戻して、

↓こんな大きな寺院が道の両側にずらりと並びます。

壮観です。

中には、文化財の寺院もあります。↓

突き当りを曲がりさらに進むと、妙心寺の法堂が見えてきます。

そして、こちらは日本最古の梵鐘があります。↓

法堂と仏殿です。

そして三門が一直線に並んでいます。

その中の一つ退蔵院の庭園を見学しました。

緑でいっぱいでした。

そして最後にバスと、途中タクシーに乗り継いで京都御苑へ行きました。

一部閑院宮邸跡を開放していたので見学をしました。

下の写真はずっと続く御所の高い塀です。

そして夫の希望の、蛤御門を見ました。ちょうど大河ドラマでもあったばかりでしたから。

蛤御門は、元々「新在家御門」といい、開かずの扉であったが、1788年の天明の大火の際に初めて開門された。この為、「炎で貝が開く」ことの比喩で蛤御門と呼ばれるようになった。また、1864年(元治元年)に尊王攘夷派(長州藩)と徳川幕府会津藩)の戦いである禁門の変蛤御門の変)が勃発した。現在でもこの戦いの傷跡である銃弾の跡が門に残されている。

京都御苑は本当に広いです。
その広さは、東西700m南北1300mだそうで総面積92ヘクタール、御所は260m×450mで、62ヘクタールだそうです。
仁和寺が9万平方メートルでしたから、これは9ヘクタールということで10分の1以下、
妙心寺の12町とは??どこかで10万坪と言うのを見ましたから、33万平方メートル=33へクタールで、3分の1です。
やはり御苑や御所は広いですね。