るりとうわた

日常をつづる

そうだ、京都行こう。(1)


東寺・五重塔
題名の「そうだ、京都行こう。」は、JR東海が行っている、ポスターのキャンペーン用語です。
HPはこちらhttp://souda-kyoto.jp/campaign/archives.htmlです、各年のポスターが見れます。
このポスターは1993年からはじまり、主にたぶん関東が中心だと思います、以前関西の友人に聞いたらそういうCMはやってないと言っていました。
それらのCM画像が素晴らしく、「そうだ京都、行こう。」じゃありませんが、「京都、行きたい。」となります。(笑)
私は関東へ来て40年近くですが、鎌倉のお寺廻りをしても、東京の庭園巡りをしても、『あ〜、京都と違うな』『もっと近くに住んでいるうちに行っておくべきだった』『これが、故郷は遠きありて思うもの?(まあ大阪ですが)』・・・等々
その後、夫が退職して、カメラの趣味が加わると、夫も『京都、撮りたい〜。』と意見が合致して、毎年時間(1泊ですが)を取って出掛けるようにしています。
最近は四条烏丸に宿を決めました。(1泊6千から8千円ぐらい)
今年ははじめての夏です。
昨年までに比叡山とか、大原三千院や、伏見稲荷上賀茂神社と少し遠いところを回ったので、今年は近場から入りました。

東寺は平安京鎮護のための官寺として建立(796年)が始められた後、嵯峨天皇より空海弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。

京都駅から東寺まで歩きましたが、京都は一区画が大きいので、ずいぶん歩いた気がしました。

蓮池の花が咲いていて綺麗でした。
ひらくと八重咲のもあり、これは、はじめて見ました。

まことに豪華な雰囲気でした。
東寺金堂他の大きな木造建築に圧倒されました。
東寺からそのまま北に上ると西本願寺に着くはずと、また歩きました。

西本願寺・唐門

浄土真宗本願寺派の本山である。山号龍谷山(りゅうこくざん)。
西本願寺は通称であり、正式名称は「龍谷山 本願寺」、宗教法人としての名称は「本願寺」である。京都市民からは「お西さん」の愛称でも親しまれている。真宗大谷派の本山である「東本願寺」(正式名称「真宗本廟」・下京区)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。文永7年(1272)、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建されたがその後比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には天正19年(1591)、豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転した。

境内は国の史跡に指定され、「古都京都の文化財」として世界遺産にも登録されている。

国宝唐門ですが、日光東照宮のように煌びやかな彩色です

この唐門を見るにも門を入るのですが、その門から多くの学生(中学生や高校生)が出て来て、どこかへ迷い込んだ気がします。

この辺一帯にあるのが、龍谷大学で、その学舎が中にあります。

こちらは大学の本部で、重要文化財だそうです。
1639年(寛永16年)西本願寺が設立した「学寮」を起源とするそうで、1655年幕府の命により、学林となる。その後1875年に学校制度により学校となり、1922年に龍谷大学が出来たそうです。
西本願寺は中へ入らずに、外を回り、門ばかり撮ってきました。
と言うのは、時間が遅くなってしまい、6時ごろで門が締まってしまいました。

御影堂門です、その前に門前町が続いています。

そして、阿弥陀門です。↓

↓こちらは右が太鼓楼です。

本願寺の東北角にある重層の楼閣で、内部に今も残る大きな太鼓は、江戸時代には周囲に時刻を告げる合図となっていました。 幕末、本願寺を一時的に屯所としていた新撰組による刀傷が、今も残っていると伝えられえている」そうです。

そして2日目は仁和寺からです。

仁和寺中門より金堂を見る
ここは来たかったところで、仁和寺の御室桜が有名ですが、それには季節が違いましたね。

京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院。山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇(888年)。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。
御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名である。当寺はまた、宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもある。


立派な二王門があり、両側にちゃんと仁王像の 阿形・吽形2体が揃っていました。
まず拝観料500円を払って宸殿の見学です。
こちら写真はOKということで、良かったです。
まず入ってすぐ、世界遺産仁和寺を家元とする御室流の松の一種生けがありました。

室内の屏風絵が、豪華です。こういう部屋がいくつも繋がっています。

書院(御殿)の配置が素晴らしく、廊下だけでも、平安時代室町時代へさかのぼった気がします。

部屋から見える庭園の景色も素晴らしく、こちらは南庭、二王門の左下側に、勅使門が見えます。

そして中庭は苔生していて、

北庭には、池と 五重塔が見えます。

ただし、何でブルーのビニールシートなんでしょうか?残念ですね、本来の茅葺ならどんなに素晴らしかったことか、修理中でもブルーはないですよね。(笑)
一番高い場所にある霊明殿です。

逆にその霊明殿より下の書院を見ると、いい感じです。

どの方角にも現代の建物が見えず、タイムスリップしたような景観が広がります。
これは時代劇の撮影に良いでしょうね、「大奥」はここで撮影されたと載っていました。
宸殿を出て、庭から見えた勅使門があります、かつては天皇のみが出入りを許された門です。

透かし彫りが見事でした。次は五重塔に向かいます。

金堂に向かう道です、左の分かれ道は五重塔に向かいます、この辺一帯は桜の季節に御室桜(背が低い)や染井吉野で満開の景観になることでしょう。紅葉も素晴らしいそうです。

東寺の五重塔と同じく屋根の大きさに差がないのが特徴だそうです。
こちらが金堂です。

京都御所の宸殿を移築したもので国宝です、随所に金色の飾り金具があり、煌びやかです。

9万平方メートルと言う広さも凄いです。