桜島噴火と戦後68年
18日午後4時半ごろ、鹿児島市の桜島昭和火口で大規模な爆発的噴火が発生し、噴煙が火口から約5000メートルの高さまで上がった。鹿児島地方気象台によると、昭和火口での噴煙の高さとしては観測史上、最も高いという。噴煙は南東の風に乗って鹿児島市街地に流れ、大量の降灰で上空が暗くなり、街行く人は傘をさし、車はライトを点灯させるなどしていました。
驚きましたね。
あんな街の近くの山が高い噴煙を上げる光景は、地球は生きているというか活火山の威力を見せ付けられました。
しかも今年に入って500回目の爆発的噴火だそうで、すぐに大噴火につながる兆候はないという、ことだそうですが、降灰は大変でしょうね。
マスクが売り切れたりしているようですが、窓が開けられなかったり、洗濯物も大変でしょうね、お察しします。
我が家や近所での話題は、河口湖の水が今年は少なく、いつもは六角堂が水の中に浮くようにあるのですが、今年は、そこまでの水が干上がってしまい陸続きのように歩いていくことが出来るそうです。
富士山の噴火があるのではないか??と噂になっています。(ネットの噂でもある)
まあ、はっきりとした根拠はありませんので、自然がおかしい、これも単なる噂ですが・・・
猛暑のところは雨が降らず、取水制限を行い、片や大雨で被害が未だ出続けるという、異常な気象が続いています。気を付けたいですね。
今年は戦後68年ということで、もう戦争を知らない世代も68年分に増えて行っているわけです。
日本がどんな歴史を歩んできたのか、その上に立って未来を見つめなければいけないと思いますが、中々教わることがなくて、遠くなるばかりです。
16日の毎日新聞に載った記事ですが、こんな記事がありました。
終戦記念日:68回目 南方戦線で苦闘、自民党元千葉県連幹事長 戦友に誓う平和 「赤旗」で9条改正反対
毎日新聞 2013年08月16日 東京朝刊
68回目の終戦記念日を迎えた15日、自民党員で党千葉県連幹事長などを務めた金子和夫さん(87)は、南方戦線で共に過酷な体験をした戦友たちの鎮魂と平和を祈り、同県市川市の自宅で静かに黙とうした。安倍晋三政権が改憲への意欲をのぞかせる中、7月の参院選期間中に共産党機関紙「しんぶん赤旗」で憲法9条改正反対を訴えた。「9条は世界で一番良い。これだけは変えてはならない」−−。【田中裕之】
金子さんは同市の八百屋の家に生まれ「祖国にこの身をささげよう」と16歳で志願兵になった。街中に「戦い抜こう」のスローガンがあふれ、出征兵士の姿を見て「自分も」と勇み立った。
陸軍佐倉連隊に入隊。中国・上海から「ブラジル丸」という船で南へ向かう途中、敵の潜水艦に襲われ12隻のうち5隻が撃沈。爆撃機の機銃掃射を浴び、海に飛び込んだこともある。上陸したニューギニアに近いハルマヘラ島では「自給自足」の指示があり、ネズミなどを靴磨き用の油で丸焼きにして食べた。
マラリアの高熱に苦しみ「熱帯潰瘍」というできものにウジがわいた。次々病死していく戦友を火葬にする日々。終戦は敵の飛行機が空からまいた「あなたの国は負けた」というビラで知った。
終戦翌年の1946年6月に20歳で復員。家業を継ぎ、妻とは商売仲間の仲介で出会った。取引先の開拓に奔走し、事業は年商20億円にまで拡大。市商店連合会長など地域の要職を務め、自民党県議らとのつながりから79年、自ら県議に初当選した。
2007年に県議を引退後も、若手国会議員らに戦争体験を語り続けた。しかし、年々「今の政治家は真の戦争の怖さを知らない」との危惧が強まり、「赤旗」の取材に応じた。
「党の元幹部があんな主張をしていいのか」という非難も耳にしたが、68年前に生まれた信念を曲げるつもりはない。「他の条文はともかく、9条だけは変えるなと。これからも言い続ける」
16歳の少年兵を使って戦争をしていたのですから、すでに悲惨なものを感じます。
1946年に二十歳ですから、入隊は1942年ということになり、真珠湾攻撃が1941年の12月ですから、ボルネオ島、ジャワ島、スマトラ島と侵攻し、オーストラリアへの爆撃を繰り返していた時期です。
ところが1943年連合国軍が反抗作戦を展開し、「態勢を立て直したアメリカ軍に加え、イギリス軍やオーストラリア軍、ニュージーランド軍をはじめとするイギリス連邦軍、中華民国軍など数カ国からなる連合軍と、さしたる味方もなく1国で戦う上、戦線が予想しないほど伸びたために兵士の補給や兵器の生産、軍需物資の補給に困難が生じる日本軍との力関係は連合国有利へと傾いていき、日本軍は次第に後退を余儀なくされていく」(Wikipediaより)
その拡大した戦域がこの図です。
太平洋上の拠点を失う日本(1943年から1945年)
つまり青い部分まで戦火を拡大し、侵攻したわけです
圧倒的な火力かつ大戦力で押し寄せるアメリカ軍に対し、日本軍は敗走した。
そして、1945年2月から3月にかけて硫黄島は陥落、前年末から、アメリカ陸軍航空隊のボーイング B-29爆撃機による日本本土空襲の本格化。
「4月1日、アメリカ軍とイギリス軍を中心とした連合軍は沖縄本島へ上陸して沖縄戦が勃発。沖縄支援のため出撃した世界最強の戦艦・大和も、アメリカ軍400機以上の集中攻撃を受け、4月7日に撃沈。残るはわずかな空母、戦艦のみとなり、さらに空母艦載機の燃料や搭乗員にも事欠く状況となったため、ここに日本海軍連合艦隊は事実上その戦闘能力を喪失した。連合軍の艦艇に対する神風特別攻撃隊による攻撃が毎日のように行われ」た。(Wikipediaより)
5月7日、唯一の同盟国ドイツが連合国に降伏。ついに日本は一国で連合国と戦う事になり、鈴木内閣は一億総玉砕を唱え、7月にポツダム宣言が発表されるが無視し、戦争を続け、原爆の投下となる。投下直後に死亡した十数万人にあわせ、その後の放射能汚染などで20万人以上の死亡となる。
もうひとつ、東京新聞のコラムから
筆洗 2013年8月17日
靖国神社にある遊就館の片隅に奇妙な像がある。潜水服姿で頭には大きなかぶと。両手で長い棒を持ち、身構えている。先端に付けられているのは機雷である▼八月十五日の遊就館は見学者であふれていたが、この像をあまり気に留める人はいない。それはそうだろう。本土決戦を水際で食い止める「人間機雷」の存在はほとんど知られていないのだから▼敗戦直前に横須賀や呉などで部隊が編成され、三千人近くの若者が潜水訓練を受けた。上陸する米軍の舟艇を水中で待ち構え、竹ざおの先の機雷を突き上げて自爆する。「伏龍」と名付けられた水際特攻隊である▼空を飛ぶ夢を失った予科練の少年兵たちは、ひたすら死に向かう訓練に明け暮れた。本土決戦が回避されたために実戦には至らなかったが、潜水具には構造的な欠陥があり、多くの若者が訓練中の事故で命を失った▼当時の戦争指導者の愚劣さが凝縮されている人間機雷を考えたのは、参謀として真珠湾攻撃の作戦を立案した人物だ。自らを犠牲にして祖国を守ろうとした少年たちの命をここまで軽く扱うのか。以前、取材した時に心底、怒りがわいた▼戦争が長引けば伏龍の要員になるはずだった人物に城山三郎さんがいる。特攻を命じた側に常に厳しい視線を向けた作家の原点だろう。「日本が戦争で得たのは憲法だけだ」。城山さんの言葉が重く響く。
戦争の愚かさを語っています。
資源のない日本は、南方の資源を必要としたのでしょうが、侵略で奪えるものではありません。
沢山の尊い命を無駄にした戦争、二度と同じ過ちを起こしてはならないでしょう。
安倍政権が「美しい日本」「強い日本」と唱えるたびに、軍靴の音が聞こえないか?元来た道を戻りはしないかと気になります。
それに繋がる憲法の改悪は反対です。