るりとうわた

日常をつづる

自然


これは昨日、夫が御殿場のアウトレットに行きたいと言うので、2階のベランダから富士山が見えることを確認して家を出ました。
今年初の富士山の撮影を兼ねました。
ここは小山(おやま)の畑?、田圃かな、夫が看板に御殿場のコシヒカリと書いてあったというので、田圃ですね。
家が沢山あると、電信柱が邪魔ですが、この辺は両側のすそ野まできれいに見えます。
左側に出っ張った山があるのが、宝永山で、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の大噴火で出来た山です。
年明けから晴天の日が続き、富士山の雪も多くはありませんでした、毎日晴れて山頂が見える天気では雪は降りません。
やはり雪雲に覆われなくては、それが15日の雨の日が、山では雪だったのでしょう、太平洋側の裾野まで雪が積もりました。
名前が判りませんが、右側の小さい山まで雪が積もっています。

こちらの写真が実寸です。
江戸時代の人も見た同じ光景でしょうか・・・
こうして田圃として開墾できていればそうですが、雑木林だったら富士山は、こうは見えなかったでしょうね。
1707年の宝永地震と噴火について、

噴火の始まる49日前の10月4日(10月28日)に推定マグニチュード8.6〜9クラスと推定される宝永地震が起こった。この地震は定期的に巨大地震を起している南海トラフであり、日本最大級のものであった。遠州沖を震源とする東海地震紀伊半島沖を震源とする南海地震が同時に発生したとの見方もあった。地震の被害は東海道紀伊半島、四国におよび、死者2万人以上、倒壊家屋6万戸、津波による流失家屋2万戸に達した。

宝永地震の余震と宝永火口付近直下の浅い地震活動が続く中、11月22日(12月15日)の夜から富士山の山麓一帯ではマグニチュード 4から5程度の比較的強めの地震が数十回起こった[7]。23日(16日)の10時頃、富士山の南東斜面から白い雲のようなものが湧き上がり急速に大きくなっていった。噴火の始まりである。富士山の東斜面には高温の軽石が大量に降下し家屋を焼き田畑を埋め尽くした。夕暮れには噴煙の中に火柱が見え、火山雷による稲妻が空を飛び交うのが目撃された。

この噴火により江戸でも大量の火山灰が降った。当時江戸に居住していた新井白石はその著書折たく柴の記に降灰の様子を記している。
「よべ地震ひ、この日の午時雷の声す、家を出るに及びて、雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。西南の方を望むに、黒き雲起こりて、雷の光しきりにす。」

これ以降、富士山の噴火は現在までありません。
一時は休火山とも言われましたが、今は活火山に訂正され、最近はいつ起こっても不思議はないそうです。
そう言えば、関東はそれに加え、関東大震災が、1923年に、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生したマグニチュード7.9の地震で、その70年後ぐらいが危ないと言われていました。
それが先日17日の20年前、1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒(日本時間=UTC+9)、淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、Mj7.3の兵庫県南部地震でした。

関西人の私が、ようやく関東で度々おこる地震の揺れに慣れた頃でしたが、その地震がまさか関西で起こるとは思いもしませんでした。
TVに映る映像に、ただただ自然の脅威を感じるばかりでした。
それからたった16年しか経っていないのに、今度は2011年(平成23年)3月11日(金)に東日本大震災が起こりました。
この地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震でありました。
そして、この地震によって福島第一原子力発電所事故が起こりました。

これでは、もう日本中、いつどこで地震が起こっても不思議はないという事です。
そして原発安全神話は崩れたのですから、日本に原子力発電所はない方が一番安全という事が明白になりましたね。

こんな綺麗な富士山を見ながら、自然は美しいけれど、ひとたび牙をむけば、自然の脅威は残酷である、自然を侮ってはいけない、と思いました。

この日は日曜日で、アウトレットも大混雑で駐車場に入れず、東名高速道路手前の立体駐車場に車を停め、シャトルバスで送ってもらいました。

アウトレット会場は人でいっぱいでしたが、見事な富士山が見えました。
この会場から、こんなに富士山が良く見えたのも初めてでした。(笑)
夫はゴルフクラブを見て回り、お気に入りのデカヘッドを一本、買いました。
「いくら?」と聞くと「2万3千円」というので、「一本で?高〜い」と言うと
「そんなことはない、ネットでも3万5千で、去年まではここでも3万台で、年明けして一昨年ものになり値下がりした、元値は6万5千円」と言うので、びっくりです。
クラブの値段なんて知らなかったと気付き、「じゃ安く買えて良かったね」と言いました。(笑)
年を取って来ると、今までのクラブは重たくなって来るらしい、デカヘッドなのに驚くほど軽かったです。

ここも国際色豊かで、色んな言語が飛び交っていました。
確かにこれだけ富士山が見えれば観光地に違いないですね。(笑)

これだけくっきり雲一つない富士山が一日中見れる日も中々ありません。
自然は美しいけれど厳しいという事を肝に銘じて、生きて行かなければ・・・
原発が無くなるように、していかなくては、と思う日でもありました。