るりとうわた

日常をつづる

メキシコ(はじめに)


ウシュマル遺跡

昨日成田着、メキシコの旅より帰ってきました。
日本に着いて、ちょっと寒そうな空気と、春霞?花粉?スモッグ?かと迷うような曇り空に、現実世界へ帰って来たと自覚しました。
たしかに天気は人を変えるのかも・・・
青い空に、熱い太陽に、何かパカーンとした陽気なラテンの空の下に毎日いたのも、はるか彼方のことになってしまいました。(笑)

9つの世界遺産巡りをしてきました。
7日15時25分成田発の直行便で、約12時間45分の飛行時間で、20年ほど前にハワイへ行った以来、国際日付変更線を通過しました。
到着は現地時間14時10分ごろ、日本との時差は14時間です。
現地メキシコでは前日の晩にサマータイムに変更になったばかりで、1時間時計が早まりますが、まだ揃い切っていないし、慣れていないので戸惑っているという現地ガイドさんの話でした。
メキシコでは日本のように緯度がなく(赤道に近い)、季節そのものの変化がないそうですが、毎年4月の第1週目の日曜日から9月の4週目の日曜日を境に、1時間、変えるそうです。
これによって、13%の電力消費を抑えることが可能なんだそうです。
日本だって、原発に頼らずに電力需給を考えるのなら、方法はいろいろあると思います。

メキシコシティ国際空港はベニート・ファレス空港とも呼ばれ、首都のメキシコシティの中心部から約8キロの距離に位置し、メキシコシティ唯一の国際空港です。
羽田空港もそうですが、半分は海に面していましたが、こちらは廻りがすべて住宅街で、伊丹空港みたいな環境にあり、ちょっと怖かったです。
下降しているとこんなに近くに見えました。

中心部近郊にあるにも関わらず24時間運営している上に、中南米におけるハブ空港的存在で、着陸後移動中に後ろを見たら、もう2機も後について来ていて、その混雑ぶりに、びっくりでした。

メキシコシティは標高が2,000m級で、もちろん空港も約2,230メートルあり、いきなり着いたところから高度があり、階段を上るだけで、息切れがしたのはきっとそのせいだと思いました。(?)
また、酸素濃度が薄いことから、航空機のエンジンの燃焼効率が低下し、滑走路長が4,000メートル近くあるにもかかわらず離陸時に充分な速度が得られない上に揚力も弱くなると、書いてありました。
燃焼率の低下や、メキシコシティのクルマの量も多く、スモッグのように、街中は東京と同じか、それ以上にほこりぽかったです。(喉がイガイガしました)

また以前は汽車が走っていたこともあったそうですが、今は電車はなく、車やバス中心の移動手段で、道路は広々とし、また各道路は一方通行なので、スピードがあり、荒っぽい運転でも、特に正面衝突はなく、事故は少ないというお話でした。
交差点で、何故か日本と光景が違うと感じたのは、自動車の向きが同じということだからだったようで、まるで車がマラソンをしているような感じで、五列になったり三列になったりして進んでいるからだと分かりました。

トラックも妙に長い車体におどろきます、しかも2連結していて、凄い量の荷物を積んでいます。

またタクシーなどに、日産車が多く使われていました。
これは、 日産は1959年にメキシコに参入しているため、当時は輸入ではなく、現地工場のものしか使われず、歴史もあり、親しまれたそうです。今では、ホンダやマツダも大規模工場を作っているそうです。

歴史ある日産はメキシコ人の間で知名度も高く、品質面でも定評のあるブランドとなっているそうで、サニーの名前はTURU(これは良く見かけました)、またはHIKARI、シルビアがSAKURAだったかな?なにしろ、メキシコ人にとって、TURUとか日本名は日本車でカッコイイとなるそうです。
シルビアなどになると10人の女性に声を掛けると、7人は振り向くというぐらいありふれた名前だそうです。(笑)


メキシコの国旗は緑、白、赤の縦三色の中央に国章を配した旗。緑は独立・希望、白はカトリック・宗教的な純粋さ、赤は統一を表しているという。中央の国章は1325年のアステカの首都「テノチティトラン(現在のメキシコシティ)」の創設を示している。

なお、国章の「湖の中央の岩に生えるサボテンに蛇をくわえた鷲がとまっている」図は、アステカ神話にあった「そこに首都を創設せよ」という予言を示している。

それを表している像が市内にありました。

蛇をくわえた鷲がサボテンにとまり、そこに都を築いて発展したという図です。

その後ろに咲いているのはジャカランタで、以前スペインを訪れた時に、感動し、もう一度見たいと願っていたのが叶いました。
街の至る所に咲いていて、日本の桜とはまた違う風情があり、素敵でした。

こうしてメキシコシティは先住民のアステカの時代には湖上に浮かぶ大きな都市だった、それを植民地にしたスペイン人が、この湖を埋め立ててしまったので、今の盆地の様になってしまったそうです。スペイン人がこの国を支配した時、この首都を見て、「夢幻の世界とはこれか、と我々は口々に言った。高い塔、神殿、建物などが水中にそそり建ち、兵士の中には、夢を見ているのではないか、と我が目を疑う者もあった。」と当時の書物に記されていたそうです。

国立人類学博物館にあった想像図です。
支配したスペイン人は湖を埋め立て(水路を作って水を流してしまったという説もある)、アステカ帝国の中心地にあった神殿や宮殿を壊し、その石材でスペイン風の市街地を築き、未発掘の巨大な遺跡の上に今の首都があるということで、掘れば遺跡が出て来るそうです。

こちらそのスペインから独立した時に建てた、独立記念塔ですが、階段状の石組みの色が上の数段と違っていますが、埋め立てた沼地の上に建っているので、そこから下の分が地盤沈下して、積み直した部分だそうで、5mは地盤沈下したそうです。
搭の部分は鉄板等で固めた上に建てたそうで、沈まなかったという話です。
街全体が沈下し、ゆがんだ建物も多いそうです。

中々見学の話に進めませんが、2000枚以上の写真を16GBのSDカードに撮ってきました。(使用したのは約半分)
そうしたら、PCに取り込むのに時間がかかり、途中何度も容量がないのかと、すべての写真を出して、また入れ直したりしたのですが、単に時間がかかっていたようでした。(笑)
その上に、カメラが1から1000までの番号を振るのですが、そこで折り返し、同じ番号に0001の横に、0001(1)と交互に入り込み、日にちがバラバラになってしまいました。
それを4つのフォルダに時系列に入れ直しました。
最初の1000クリックをすれば残りはスクロールしながらフォルダに入れることができます。
(1)の付いたものを最初は縦にスクロールしようとしたら、一列に並んでなくて、そう言えばバスの移動時間に無駄な写真を削除したので数字が飛んでしまっていたのです。
やはり、諦めて、1000クリックして、ようやく4つにフォルダに分類することが出来ました。(笑)
古代人のマヤの人々は天文学や暦作りで、数字に強かったのに、私は原始的に1クリックからの移動をしました、途中で画面に息を吹きかければ、さっーとフォルダに振り込めないものかと何度も思いました。
ようやく分類が出来たので、明日から見学編に進みます。