るりとうわた

日常をつづる

書き納め


使っている筆を並べてみました。
手前から、太筆、普通筆、中字用、細筆、極細筆です。

書き納めの筆は太筆で、書初め競書用で、丈幅の提出物です。
夫のゴルフが流れたり、このところまた富士山の写真を撮りに出掛けたりで、中々腰を落ち着ける時間が取れません。
そうは言っても、最後のお稽古は来るは、で前日の昨日に、やっと仕上げることが出来ました。

写真の様にテーブルの半分は使ってしまうし、今は台所と居間をワンルームにして、暖房を入れているので、こっそり静かにやる訳にもいかず、迷惑な話ですが、夫は年賀状作りを居間でやっていました。(笑)
お手本はなぞることが出来ないように小さいサイズになっています。

始めは嫌だったのですが、今は踊りより書道の方を楽しんでやっています。
それも最初は下手な字を書くのに抵抗があったのですが、今の私たちが書いている字で、お手本なくして書くことはまずありません。
つまり、それは整形図があると同じことで、その手本を見ながら、はねたり、とめたり、抜いたりすれば良いことなんだわ〜、と理解すると、とても気が楽になって、お手本も良く見えるようになりました。
物事って、そういうことなのかも知れません。
踊りは帰って来てやろうにも、覚えていなければ、家でやりようがありませんし、踊っている自分の姿を鏡で見る部屋もありません。
かろうじて、玄関の靴箱の扉が鏡になって、全面を写すことが出来るので、そこで着物を着たり、帯を結びますが、踊る広さはありません。
化粧台も、ベッドがあって後ろに下がることは出来ません。
それで、ついつい練習しないままになります。

その点、書道はお手本はあるし自分の書いたものを眺めることが出来るので、色々と気付くことがあります。
もちろん整形図はあっても、中々そのようには書くことは出来ませんし、個々人で、まったく違うものが出来上がります。
運筆の違いや、伸びの違い、筆の太さなども、皆個性が現れます。
せっかく書いても、一字の乱れで、やり直すこともあり、今度は違う字が収まらなかったり、四苦八苦します。
でもその結果が自分で見れるのはいいと思います。(冷蔵庫に磁石で貼り付ける)

ようやく提出して、今年のけ・じ・め・が付きました。(笑)
その後は、頚椎を手術して休んでいるお仲間も見えて、今日はお茶会と、これは秘密にしていた先生の昇段祝いをやりました。
この会は、8段が最高位で、秋に先生が合格されたということで、500円ずつお金を出し合って、若い二人にお願いすると、花束でなく、鉢植えのピンク(珍しい白っぽいピンク)のポインセチアを用意してくれ、皆で贈りました。
調べるとプリンセチアと言う名前がついていました。

その昇段のための12種類の提出物が凄いです、こんなに書かないといけないとは、さすがです。

先生と言うのは、私にとってはかつての踊り仲間で、彼女のほうが2つお姉さんなのですが、年が近いから気も合って、踊りの進み具合も似たり寄ったりで、二人で一人分という感じで覚えていないところを補い合うことが出来ました。
自宅でお習字を教えているということは知っていましたが、習いたいと思っても、自宅まで行くのもどうかな?と躊躇していたところ、市の要請で、辞められた先生の後釜になり、公民館でも教え始めたというのを聞き、2年前からそちらに参加しました。
その教室に元からいらした先輩方は、前の先生と比べて、「今度の先生は本当に上手い。お手本の字だけでなくて、普段の字もすべて素晴らしい」と言い、私を含めた3人が新しい生徒ですが、「あなたたちは本当に幸せだよ、良い先生で。」と言います。
私はかつての踊り仲間だし、その当時はどっこいどっこいだったし、踊りのことですが・・・(笑)
そんな風に見えませんでした。
それに真面目で、踊りの会でやる行事や、役を引受けて、忙しくしているので、「みんな引受けないで、いいのよ、自分の出来る範囲で」と、踊りは私のほうが1年先輩なので、そう言ったこともあるのですが。
彼女の答えは、「して欲しい、という立場がわかるから」と、時間の許す限り(彼女は独身だし)参加していました。
そうしたら、やはり続かなくなり、1年前に踊りを辞めてしまいました。
左肩が上がらなくなったから、と言うの理由でしたが、私は彼女の極める道は一つだったのだろうな、と、納得しました。
書道と、踊りの道の両立は、無理だったのだわ・・・と、思いました。

今日はつくづく、常日頃から上手い字を書いているし、住いの近所の公民館の看板の字も彼女の筆だし、本当にいい先生に教わっているのだと、先輩の言葉でなく、実感することが出来ました。