るりとうわた

日常をつづる

富山の桜


月〜火曜日と富山へ行ってきました。
初の北陸新幹線です。
昨年の秋に金沢へ行った時は、名古屋の友人と待ち合わせて行ったので、名古屋廻りで行きました。
金沢は我が家からなら、名古屋経由も、東京経由もほぼ時間も料金も同じぐらいという感じです。
富山となると、北陸新幹線はやはり便利です。
これまでは、新潟新幹線に乗って越後湯沢で乗り換えるのですが、これが少し遅れると、乗り継ぎの電車に乗るために、走らないといけなくなるので、この駅は常に走っているイメージがありました。
それで以前は良く飛行機で帰省しました。
その点乗り換えることがなく、時間も1時間近く早いのですから北陸新幹線は便利です。
私が一人で行くのなら、迷わず大宮で新幹線に乗るのですが、夫は東京へ出て乗ります。
いのしし年の私は前にしか進めません、私は「新宿から大宮は30分(もう少しかかるかも)で行ける」と言いますと、夫は「東京なら15分で行ける」と言います、でも後ろ向きです。
皆さんならどっちを取りますか??(笑)
夫は「普通ならかかる時間も、新幹線なら、大宮まですぐだ」と言いますが、私は前で乗りたい派です。(笑)

それに、朝の8時頃の小田急線は通勤で混むから、夫は前夜にロマンスカーの予約を取っていました。
ところが当日の朝、先に出た娘から携帯に、「人身事故で小田急線全面ストップ」と連絡が入りました。
これは大変です、早めに出て、どうやって東京へ向かうか検討しなくては・・・
夫はすぐに、小田原へ出て新幹線で行こうと、即決です。(笑)
私は新幹線でなくても、JRは快速も特急もあるわよ、と言ってもまあ、無理でしょう。
相模大野と相武台間ということが、分かったので、海老名へ出て、相鉄線で横浜へ行き、東京へという手もありますが、これは娘たちが大変だったそうです。
藤沢から来た人たちも海老名に押し寄せて、相鉄線のホームがあふれ、入場制限になって、改札口前で長い列が出来て相当待ったそうです。

小田原で、東京―富山往復を小田原―富山往復に換えて、新幹線代を払うと、ジパング会員で一人4200円程度のUPになりました。
でも、楽を取ったというか、買ったということですから後は快適に進みました。

上から連続して載せている写真は車窓の富山駅近くになった風景です。
独特の景色ですが、見慣れた景色でもあります。
でも結婚して40数年経ちますが、屏風のようにそそり立った、立山連峰日本海に挟まれた土地が富山の特徴です。この山並みを見たら、富山へ来たと実感します。

富山駅もまったく新しくなりました。
下のお姉さんご夫婦が迎えに来てくれ、先にお墓参りに行くことにしました。
大きな霊園で、途中のスーパーで、4束の花束とお線香とロウソクを買いました。
先ず両親のお墓からお参りし、そのすぐ近くに、義父の弟さんたちのお墓があり、そこも3軒参り、2軒はクリスチャンで、洗礼名が書かれていましたが、参ることができて便利でした。
そして、一番上のお姉さんのお墓参りを済ませ、夫は友人のお墓にも行きたいと言うので、そこへもお花を残して行きました。

お姉さんも同級生の弟にあたるそうで、よく一緒に通学したね、早く逝ってしまったね、と一緒にお参りしました。
写真の堤の側にもお墓が並びます、神通川だと聞きました。
その後、川沿いに上ると、疏水があり、その両側に桜が植えてあり、連れて行ってくれました。

水の量が多くて、怖いような流れで、落ちたら大人でも助からないぐらい速い流れでした。山の雪解け水を集めて流れるのでしょう。
それから、今回の帰省の本題のお兄さん宅へ訪問しました。
パジャマ姿の上に、セーターを着ておられたので、もうすでに外に出る気はないのだと、すぐに分かりました。
海馬と前頭葉の繋がりが悪いということで、お姉さんたちは夫に、「昔の話をして」「昔の話なら繋がるから」と・・・。
夫は困った様子で、「どう最近は?」と話し始めると、お兄さんは「花粉症がひどくて」と言い、鼻炎用の薬がテーブルの上に並べられていましたが、「どれも効かない」と仰っていました。
それより私が気になったのは、テレビが大きな音で付いていて、それを誰も消されないことでした。
そう言えば、お姉さんのクルマにも大きな音で、ラジオが掛かっていて、それを切らずに会話をするわけで、夫も最近耳が少し遠いので、大きな声で話をするし、皆でラジオの音に負けずに大声で話しあっていました。
何故なのか不思議で仕方ありません、我が家は、人が来たら、娘や孫たちですが来たら、私はテレビをすぐに切ります。
夫はいつの間にか付けるので、見つけ次第切ります。
だって会話に集中出来ないですよね。
鼻炎の話はされましたが、その後の会話には入ってこられませんでした、近々の出来事は記憶に残らないと義姉は言います。そのうちにトイレに行くと言われ、お義姉さんが前に立って、その肩に掴まってトイレまで行かれ、そんなに足が弱くなったということに驚きました。
自分宅なんだから壁伝いにでも、自分で歩かれるといいのにと思うと、夫も同じことを感じたらしく「義姉に甘えていないで、這ってでも自分で行け」と、出そうになったけど我慢したと言いました。
これでは家にこもるばかりで外歩きはもはや無理でしょう。
その後は、子供時代の話になって、いじめられて返ってくると、「親父が『羅城(生)門』に出てくる源頼光の流れをくむ家だから、負けるな」と行かされた記憶があると熱弁でした。
夫は「聞いたことがないな?何で親父は長男だけにそういう話をするのかな?」と言い、それはきっとお姉さんもお兄さんもいる次男と、お姉さん二人だけの長男とでは育て方が違ったからでしょうと、私は思いました。(笑)

それから、お義姉さんの厳しい追及に合います。「それで、五箇山へ行くがかや?」と・・・
それは、下のお姉さんと夫が決めた帰省の理由(言い訳)で、私は関係ないとは言えず、「五箇山富山県だということを知らず、岐阜県だと思っていて、娘にもそんなことも知らないんだと、言われた」と言い訳します。(笑)
お姉さんも夫も加勢してくれません、その時夫は「うまいこと言ってる」と思ったらしく、「それで連れて行く」と言いやすくなったそうです。
その岐阜県白川郷にさえ行っていないのは本当のことです。

その後2枚上の写真からそうですが、松川沿いの花見に、お兄さんを誘い出そうという計画は、パジャマ姿とあの足では無理ということになり、お姉さん夫婦と私たちで散策することにしました。
天気予報でもこの日しか晴れないという予報通りで、花見に最適でした。上の常夜燈の説明文です。

以前と言っても、既に30数年前、お義母さんが亡くなられた後、上二人のお姉さんもお元気で、嫁二人と合わせて女五人でこの松川の桜並木の下で撮った写真があります。
桜の花に負けないぐらい、皆当時は綺麗でした。(笑)
それがだんだん少なくなり、今は淋しい限りです。

本当に満開ですね。

後ろに見える建物は市役所だそうです。

時刻はもう6時過ぎの夕景です。川沿いにブルーシートが敷かれ、会社帰りの花見の宴が催されるのでしょう、この日は青空が見えましたから最適です。
私も今年は地元の桜を見ずに、他の花見を味わっている感じです。
夕飯をお姉さんたちにご馳走になり、ホテルに戻りました。(五箇山につづく)