るりとうわた

日常をつづる

原爆記念日

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庭のユリの花が咲き終わってから咲き出した、リコリス=夏水仙の花です。

五輪が開催されてから、延々と真夏日の暑い日が続きます。

1日だけですね、雨が降ったのは・・・台風の影響があった日です。

こんな暑い夏に普通スポーツはしません、夏休みがあるぐらいですから休みます。

やはりスポーツは秋にやりますよね、もう少し涼しくなってからです。

オリンピックと感染者数がどうなるだろうと思っていたら、最悪の方向へ進んでいます。

医療関係の方が、このまま進めば、8月の中旬には4500人の感染者数になると言われたのですが、遥かに早くに上回りました。東京は5000人越えで、神奈川も1800人を超えています。

やはり、オリンピックをやりながら、国民の人流を減らすというのは無理でしたね、爆発的に増える方に作用しました。デルタ株は怖いですよね、今までの距離や予防では無理なのかもしれません。

さらに政府の入院制限の話はもっと怖いかも?

増えるものを抑え込んでいくのは大変なことです、どれぐらい日数がかかるのか?ワクチンと競争になりそうです。

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そんな暑い日の今日は、76年前に広島に原爆が投下された日です。

朝テレビで、原爆記念日の広島での式典の様子を見ました。

6年生の、2人が「平和への誓い」を読み上げました

うちの孫と同じ年です。堂々としていて、男子の子はほとんど下を向くこともなく,暗記していたのでしょう、前を向いて読み上げました。

「平和への誓い」の全文は以下の通り。

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平和への誓い

原子爆弾が投下される前の広島には、美しい自然がありました。

大好きな人の優しい笑顔、温もりがありました。

一緒に創るはずだった未来がありました。

広島には、当たり前の日常があったのです。

昭和20年(1945年)、8月6日午前8時15分、広島の街は焼け野原となりました。

広島の町を失ったのです。

多くの命、多くの夢を、失ったのです。

当時、小学生だった語り部の方は、「亡くなった母と姉を見ても涙が出なかった」と語ります。感情までも奪われた人がいたのです。

大切なものを奪われ、心の中に深い傷を負った広島の人々。しかし今、広島は、人々の笑顔が自然にあふれる街になりました。草や木であふれ、緑いっぱいの街になりました。

平和都市として、世界中の人に感心を持たれる街となりました。

あのまま人々が諦めてしまっていたら、復興への強い思いや願いを捨てていたら、苦しい中、必死で生きてきた人々がいなければ、今の広島はありません。

平和を考える場所、広島。

平和を誓う場所、広島。

未来を考えるスタートの場所、広島。

未来の人に、戦争の体験は不要です。しかし、戦争の事実を正しく学ぶことは必要です。

一人ひとりの命の重みを知ること、互いを認めあうこと、まっすぐ世界の人々に届く言葉で、あきらめず、粘り強く伝えていきます。

広島の子供の私たちが勇気を出し、心と心をつなぐ架け橋を築いていきます。

平成29年(2017年)8月6日

こども代表

広島市大芝小学校6年 竹舛直柔

広島市立中筋小学校6年 福永希実

堂々として立派でした。

その後の総理の言葉の方が、不安で、もうやはり読み上げたほうが安心できるという感じでした。

孫たちの世代の子供たちに、どうか、「一人ひとりの命の重みを知ること、互いを認めあうこと、まっすぐ世界の人々に届く言葉で、あきらめず、粘り強く伝えていきます。」という大人になって欲しいと願います。自分の言葉を持って語って欲しいと思いました。日本人も変わらなければ・‥、自分の言葉で語らない、もう伝えられない菅総理は古い時代の人ですよね。