るりとうわた

日常をつづる

松山散策2 (内子としまなみ海道)


ホテルは道後温泉よりも東の郊外にあり、暗くなってから着き、翌日ホテルの写真を撮ろうと思っていたのですが、朝からの雨で忘れました。
娘さん家族が松山市に在住で、訪れた日にはここをよく利用されている現代風な素敵なところでした。
部屋も広々としていました。
その上に、広いお風呂がついています、もちろん温泉です。
だから、良くお孫さんが一緒について来て泊まっていくそうです。
部屋の延長に内風呂があり、窓を開け放てば、露天風呂の様にも使えます。
もちろん温泉は流し放しです。

テラスもあります、家族連れで使うのにもよさそうです。

私たちはその日はシェフのお任せメニュー(1600円)を注文し、生ビールで乾杯です。
1年間無事に生きていた証です。
家族や親に病人を抱えていても参加できないし、中々全員が揃うことも出来ませんから、会えてラッキーとこの日を喜び合いました。

前菜の後のメニューで、刺身も肉厚で、海老のフライも身がみっちりと、すべてが満足でした。
テーブルも、満席なぐらい賑わって、若いカップルや、同性の集まりも多く、木曜日の夜なのに・・・と、思っていたら、食事とお風呂だけで帰る方も多いそうです。
そう言えば、ホテルの部屋も1階のみで、18室ぐらいと少なく、2か月前に予約解禁で、すぐに埋るそうで、取れたらラッキーだと言うお話でした。
その後、私達は大風呂に入りに行き、ここのお風呂は2階でしたが、大きな湯船や、壺のような個人のお風呂や、いろんなタイプがあり、5種類を楽しんできました。
やはり、お風呂だけの利用なのか、若い女性が大勢いました。お肌がつるつるになるので、人気があるのでしょう。

朝食は7時からで、私達だけでした。今日も見るところがあるので、8時出発です。
まず今日は少し内側に入り、内子と言うところに行くそうです。

松山より少し内陸に入ります。ここは古い街並みが残り、内子紀行と言う冊子を出したり、内子散歩を呼びかけたり、Netのホームページも充実していました。


まず写真の内子座からです。

この劇場は、木蠟や生糸等の生産で経済的にゆとりのある時代に、芸術・芸能を愛してやまない人々の熱意で生まれた木造の劇場です。農閑期には、歌舞伎、人形芝居、落語、映画等の出し物が内子座を彩り、人々の心の糧として大切にされました。創建されたのは、大正5年(1916)で大正天皇即位を祝い、木造2階建て瓦葺き入母屋造りの建築でした。映画館などへの改装後、老朽化のために取り壊されるところ、町民の熱意で復元され、昭和60年10月に、劇場として再出発しました。現在では年間4万余人が見学し、約1万人が劇場活用しています。


懐かしい〜ですね、芝居小屋へ行ったことはないと思いますが、私の初舞台観劇は小学生の時の、とにかく宝塚の大劇場だったので、記憶はないけれど、懐かしい思いがします。
客席は升席に4人入れて、2階と合わせて600席と言っていたような、この席で、花道も舞台も凄く近くに感じます、いいですね。
廻り舞台もセリ(迫り)もあります。もちろん人力で動かします。


奈落からの見学です。
5年に1回ぐらいは歌舞伎も来るそうです、この町の中学だったと思いますが、卒業式はここでするそうです。

町の産業として、木蝋生産で栄えたそうです、その街でも一番古いお店だそうです。

和ろうそくはすすが出ないそうです。

内子の家並みは、江戸時代から明治に町屋群が残っています。

その木蝋で財を成した豪商・本芳我家は重要文化財です。ただし公開されていません。
漆喰に鏝絵、腱魚や鬼瓦などの上質な意匠がみられるそうです。
その娘さんが嫁いで分家した上芳我家は見学ができます。
豪商の暮らしぶりを想像することが出来ます。

明治から大正にかけての内子の製蝋業者数は23軒あり、生産量は愛媛県の約4.5割を占めたと推定されます。木蝋産業が最も栄えた時期には、国内での木蝋生産量は日本一となり、海外にも多く輸出されました。 上芳我家は、木蝋産業とそれによって著しく栄えた内子の人々の暮らしの関係性を物語る、唯一の貴重な文化遺産です。平成2年、国の重要文化財に指定されました。


広大な敷地に、客室も整備され、中庭もあり、

その他に作業所もありました。

これが、ハゼの実と、蝋です。

その後どしゃ降りの雨の中、平山郁夫美術館へ行きました。

外観も中の展示室も素晴らしく綺麗でした。
そして、私たちが感動したのは、平山さんの幼少期の絵日記でした。
もうすでにただ者では無い表現力で、その才能を見ることが出来、それに対してすぐに母親は色鉛筆を買い与え、本人は描き続け、お腹が空いても、絵を描いていると我慢できたと書いてありました。
母親はその才能を伸ばし、立体感ある描き方はすでにすぐれたものでした。
学校では落ち着きがないとも評されていましたが、叔父さんに画家がいて、皆で、環境だけでなくすぐれた種も持っていたのだから、真似できないわね〜、と言い合いました。(笑)

10歳の絵日記の絵が凄くて、私もすぐに9歳の孫を思い浮かべました。
レゴやプラモデルの組み立てが好きで、凄い集中力ですが、絵はどうかな?漫画の絵を真似して、弟に良く描いてやりますが・・・、そう言う種はないからな〜(笑)
館内の撮影は出来ませんでした。
続くメインイベントの瀬戸内しまなみ海道のドライブのために、車を2台も用意してくれたのですが。

あいにくの天気で、走るにしたがって、土砂降りの雨となりました。

想像を逞しくして、昨日のあの瀬戸内海の小島の様子を思い浮かべてみました。
それに、また来いと言う意味かも知れません。(笑)
そこを、平山郁夫さんの作品の絵ハガキで、脳内再生します。

きっとこんな景色が見れたことでしょう。
松山の自然が、またこの海が、多くの偉人を生み育てたのでしょう。
正岡子規夏目漱石、秋山兄弟、そして平山郁夫、その足跡を訪れることが出来て、有意義な時間が持てました。
徳島から下見までして、ツアーコンダクター役と運転手役を引き受けてくれたお二人には感謝しています。
そして、帰りの車中、来年は金沢観光と決まり、無事な再会を誓い合いました。