るりとうわた

日常をつづる

節分


今日は節分ですね。
節分とは「季節を分ける」ことを意味し、立春の前日をさすという事です。
確かに日が差せば、日差しはずっと明るくなり、日暮れも遅くなりましたが、カレンダー上の立春前日とは名のみですね。
この先週からの寒波は大きな被害をもたらしました、ようやく峠を越えたそうですが、3日も各地で路面凍結や雪崩に注意ということです。

同じ大気の影響で、2日にはソウルでマイナス17・1度を記録、2月としては1957年以来55年ぶりの寒さとなり、 ウクライナポーランドなどの東欧各国でも、最低気温がマイナス20度を下回るなどし、60人以上が死亡する事態となっているそうです。


上の写真はお習字の会の新年会の時のものです。
今頃新年会の話もなんですが、ちょうどパソコンが壊れていた日だったので、
昨年の8月から月2回のお習字に通っています。
これも踊り同様に、公民館活動で月謝も安いので気楽に行き始めました。
その新年会が1月のお稽古の日(後半日)の午前中にありました。
9人いるのですが、ベテランはもう10年近くで、私だけペン習字で後は全員書道で、いつも墨の良い匂いがしています。
私も長く続ける気になれば、そのうち書道に変えようと思っています。
最高齢の方が85歳で5年目、70代の方が3人、60代が3人(1人は先生です)、40代の方が2人です。
85歳の方はペン習字と書道の両方で、いつも提出日にきちんと両方の清書を沢山もって来られます。
ただ気の毒なのは、息子さん夫婦と同居で、一度うっかり鍵を掛けずに出かけたことがあり、それから鍵を渡してもらえなくなったそうです。
それで、お嫁さんが先に家を出られたら、もう出かけることが出来なくなり、お稽古の日は曜日が決まっているのですが、それで時々お休みになります。
この日もそれで参加されませんでした。
自分の家なら、うっかりそういうことがあっても、今度は気をつけようで済むのですが・・・

70代の方3人はつわもの揃いで、この日はこの先輩方を中心に大盛り上がりです。
1人はこの会のリーダーで、青森県出身で東北の厳しい気象条件下での暮らしぶりや、戦後親に仕事がなく、遠い灯台の仕事は単身赴任で、ほとんど父のいない家庭だったけれど5人の子供たちにその父の威厳は染み渡っていたこと等雄弁な語りで聞かせていただきました。
御主人の闘病生活を支え5年前に亡くなられたそうで、そのお世話がそれは大変だったそうですが、その方曰く「その分こうして主人は私に自由をくれた。そう思って今したいことをしている。」そうです。
今は自治会活動やボランティアに精を出し、近くに息子さん夫婦がいるけれど同居はせず、働くお嫁さんの変わりに保育所に孫を迎えに行き、届けに行くまでの孫との時間が最高の楽しみだそうです。
もう一人の方は、昭和7年生まれで、女学校時代に終戦を経験、それまでもそれなりに一生懸命の青春だったけれど比較するものがないから、体育の時間に竹やりの訓練をしたり、教科書に墨を塗ったり、戦争中の話を沢山していただきました。
戦後価値観が変わっていくのに驚いたけれど、それはそれで対応して行ったこととか。
今は点字タイプで、教科書や資料を制作するボランティア活動のリーダーで大変忙しく、こちらとの掛け持ちが大変だと言っておられました。
もう一人の方はボーリングが趣味で、13ポンドのボールを投げて好成績というので、まあ細い身体なのにどこにそんな力があるのかと驚かされました。
息子さん夫婦とは壁は繋がっていても入り口も中も別生活でお互い干渉せずで快適で、さらにカラオケのサークルに入りたいと下調べ中とか。

親子の結びつきが、近隣の結びつきが、先生と生徒の結びつきがどこから希薄になり始めたかで盛り上がり、ここにいる40代後半まではまだ大丈夫と確信をし合いました。(笑)
その後何故か学校唱歌の話になり、誰かが歌うと、それ知ってる、誰かが尋常唱歌を歌うと、それは知らないと1対多数になったり、ここで戦後だと線を引いたり、個室で大騒ぎです。
この学校唱歌は年代差だけでなく地域差が大きいことが分かりました。(笑)

3人の方が口を揃えて「70代は青春時代!」と仰ったのが印象的でした。
40代が「私たちはヒヨコだね」、というので「私たちは少年期よ」と胸を張りました。(笑)
青春時代がまた来るなんて感動です。
頼もしい先輩達です〜。
季節に節分はあっても、年代に節分はないかな〜。(笑)
2000円のランチメニュー、携帯で撮った写真でした。