るりとうわた

日常をつづる

京都巡り(3)大原三千院と二条城


2日目は、今回一番行きたかった大原三千院です。
比叡山の麓、大原まで、ホテル前のバス停から乗っても50分近くかかります。
料金は580円ですから、往復するだけでも千円越えで、2日で2千円の乗車チケットは充分クリアです。(笑)
どんどん街を離れ、山里になっていきます。
街中は曇りでしたが、大原は霧雨です、道中の石垣も苔むして、だんだん風情が出て来ました。
バスが着いてから、さらに山坂を登ります。

参道をさらに上ると、白壁の石垣が見え、まるでお城のようです。
その正面門が、一番上の写真です。
パンフより

大原の地は千有余年前より魚山(ぎょざん)と呼ばれ、仏教 音楽(声明しょうみょう)の発祥の地であり、念仏聖による浄土信仰の聖地として今日に至ります。
創建は傳教大師最澄上人(767〜822)が比叡山延暦寺建立の際、草庵を結ばれたのに始まります。別名、梶井門跡、梨本門跡ともよばれる天台宗門跡五箇室門跡の一つで、当院は皇子、皇族が住職を勤めた宮門跡です。現在の名称は、明治四年法親王環俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇辰筆の勅額により、三千院と公称されるようになりました。

ここで初めて入館料1人700円を払いました。

こちらの正面から靴をもって入ります。
室内は撮影禁止です、その客殿の回廊からお庭、聚碧園(しゅうへきえん)を撮影します。

苔生し具合が凄いです、自然との調合でしょうか!市内は晴れていてもこの里は霧雨ですから、湿度が高いということです。

この景色は何時間でも見て居れると、すんなり受け入れるのは、やはり日本人だということでしょうか。

実際、そういうことはありませんから、どんどん前へ進みます。(笑)
後ろの建物が客殿と宸殿で、その前にもう一つの庭園、有清園があります。
この二つを、作家の井上靖氏が“東洋の宝石箱”と賞賛したほど見事な庭園ということです。

宸殿のまえに 有清園があり、その真緑の苔の庭園の中央にあるのが、“往生極楽院(おうじょうごくらくいん)”と呼ばれる本堂です。
往生極楽院には、金色に輝く阿弥陀三尊像(国宝)が鎮座しています、拝見してきました。
その往生極楽院を正面から撮った写真がこちらです。

庭に石楠花の木が沢山あり蕾が膨らんでいましたが、桜もまだですし、花の無いのが残念でした。
こちらは、椿です。

この庭園に、よくポスターに載っている写真、”わらべ地蔵”があるので、探して私たちも撮影しました。
周りの方も気が付きはじめて、みんなでわらべ探しです。(笑)

どうでしょう?ポスターには無理でしょうか?

まだまだあります。寝転んでいます。

そして二人仲良く

6体、全部見つけることが出来ました。

この有清園には、“金色水”と呼ばれる福寿延命の水があり、この水に手を濡らすと福が得られるとされています、その池の水と共に、素晴らしい光景です。

さらに上に行くと観音堂があります、その途中にあるのが、下の琵琶を持った弁財天です。

弁財天はインドの古代神話に登場する女神で、芸能の神さまということです。
あるところには、大原は、実はものすごいパワースポットの地で、大原の里は1000年以上も前から、中国にある山“魚山(ぎょざん)”と同じ名前で呼ばれてきました。と書いてありました。

そして、魚山は、世界の創造主・宇宙の根源とされる古代インドの守護神、梵天(ぼんてん)の声を聴いて、仏教音楽の「声明(しょうみょう)」を作ったとされる場所。だそうです。
それで、室内にもインド仏教の講演等のポスターがありました。
仏教はインドから伝来して、日本の中に溶け込みましたね。


これ、お坊さんに書いてもらいました。ご利益がありそうです。
下の売店でも、売り子のおばさんが書きますよ、と言われましたが、それは遠慮しときました。(笑)
いい字です、パワーがもらえそうです。芸事にいいのなら、踊りが上手く舞えますようにとお願いしてきました。(笑)

ご近所のお土産に、大原の青紫蘇のお漬物を買いました。

大満足で、寂光院他もあったのですが、市内に戻ることにしました。
そして二条城へ地下鉄で、行きました。

二条城は徳川家康京都御所の守護と上洛時の宿舎として造営しました。
1603年家康が造営した当時、現在の二の丸御殿と天守部分だけでした。その後、第三代徳川家光寛永の大改修で二条城の西側に本丸御殿と天守閣を整備し、ほぼ現在の形となりました。
家康が建てた二の丸御殿は桃山文化を代表する武家風書院作り、狩野探幽の襖絵や格天井が見事です。一方家光が増築した本丸部分には、元々本丸御殿や五層の天守閣がありましたが、度重なる火災で焼失し、現在は京都御所にあった旧桂宮御殿が移設されています。入館料は600円でした。


二条城の案内図です。
二条城は桜の名所でもありますが、残念ながら、まだ早いですね。
東大手門から入り、二の丸をめざします。

二の丸の入り口唐門の正面に来ると、思わず「おっーー!」と声が出てしまいます。
神社の格がどうのこうのの問題どころではありません、これが時の権力者の住まいということです。

贅を尽くして、最高の物をつくることが出来るのですから、そりゃ庶民とは違う。

二の丸 側から見た門です、煌びやかですね。
権力者ですから、最高の技術に最高の資材が揃うでしょうから、素晴らしいものができるのでしょう。

写真を撮りたかったので、二の丸の中には入りませんでしたが、二の丸御殿は白書院をのぞいてすべての建物に「狩野探幽」を主とする「狩野派」による障壁画が描かれているということでしたので、これは残念でした。

日本の木造建築の素晴らしを堪能することが出来ます。外国人観光客も多かったです。

二の丸庭園は、桃山時代を代表する池泉回遊式庭園で、小堀遠州によって二の丸御殿が建築される慶長年間に造営され、その後家光などによって改修されています。
凄いですね、独特の雰囲気があります。

中堀を超えると本丸です。

屋根のカーブがこれまでとは違って、膨らんでいます。

天守閣跡から、見た本丸の建物です。
本丸は二の丸御殿の西側に位置し、内堀に囲まれた約5,200坪を占めます。本丸は三代将軍の家光が寛永の大改修で拡張した部分で、当時は二の丸御殿に匹敵する規模があり、内部は狩野派の障壁画で飾られていた、そうです。

天守閣跡地の石垣です。
家光による本丸御殿増築時に本丸の南西隅に、五層の天守閣が伏見城天守から移築されました。天守閣は、寛延三年(1750年)落雷のため焼失し、その後再建されませんでした。
京都の素晴らしさは,庭の写真を撮っても、背景に高層ビルが写らないことです、これが東京なら、どこの庭園を写しても、大抵背景に高層ビルが写ります。
京都の市民の方々の大変な苦労があって、この景観が守られていることでしょう、だからまた訪れたくなるのでしょう。
2時過ぎにホテルに戻り、預けてあった荷物を取り、京都を離れました。
2日間2000円の乗車券は有効に使えたと思います。
今回は結構、遠いところを回ったので、次回は市内の近場を回りたいと思います。
紅葉の頃がいいのですが、今年か来年かはまだわかりません、どうなりますことか楽しみです。