るりとうわた

日常をつづる

学習発表会と多摩センター


昨日孫の学習発表会があり、大阪へ行った時に、誘われ、パパは午前中仕事で行けないということで、代わりに参観することになりました。
朝7時半の電車に乗り、9時に娘と待ち合わせて、学校に行くと、紅葉のはじまった木々の通路に並んで出演を待つ孫たちの学年がいました。
先生が、「これが最後ですから、今までの成果を出して、力いっぱい頑張るように」と叱咤激励の呼びかけがありました。
孫は木こりの役とかで、紙で作った斧を抱えて、地面を見ています、しっかり聞いているのかしら?(笑)
父兄も学年ごとに入れ替え制です。

体育館の中に入ると、右側は最後まで見る席で、左半分が入れ替え用の席になっていました。
体育館のベランダに各学年のプログラムが下げてありました。
3年生は「泣いた赤おに」の劇です。

正面の舞台と舞台下に5段に並び、舞台の両端にも100人が並びます。
赤い服は赤鬼役、青い服は青鬼役、白い服はナレーター、一番下の段の黒い服にタオルを掛けた木こり役、舞台の手前横に浴衣を着た役が、村の子供達です。
100人全員に一行当て位のセリフがあります。

セリフを言う時はこのように立っているので、誰が言っているのかよくわかります。
そのセリフに合わせて身振り手振りは自分たちで考えたそうです。
後は全員や、各担当の役でセリフを述べ、ピアノ伴奏で歌を唄いと、朗読&音楽劇という感じです。
1人1人のセリフが、勿論マイクなしですが、鮮明に聞こえるので感心しました、これは随分練習しないとこんなに上手く揃えるのは大変なことだと思いました。

そして、赤鬼と青鬼の力関係や、村が平和な状態をマスゲームのようにカラーの紙を全員が持って表現し動かすので、目にも鮮やかです。

木こり役の孫の声も聞こえました。
30分の長丁場でしたが、娘によると、9月からずっと国語の時間はこれに当てていたそうで、お陰様で楽しむことが出来ました。弟も真剣に見入っていました。
何でも前日の日には「まだ3年生だけ、出来ていない」と随分先生に叱られたらしく、親仲間の娘さんは落ち込んでいたらしいという話を聞きました。
ただ孫も、その男の友達も、「そんなに先生は叱ってなかったよ」ということで、怒られた自覚さえなく、えらい違いだと、娘は話していました。


私たちは孫の劇だけ参加して、弟の5歳の誕生プレゼントの靴を買いに近くの多摩センターに行くことにしました。
多摩ニュータウン第1次入居が始まったのは1971年、まさに団塊の世代結婚適齢期に差し掛かった時期です。
そして、南多摩郡多摩村大字落合と言うところに出来た、1974年に京王線、翌年に小田急線が多摩センター駅に繋がります。
まさに娘の年齢と同じです。
話には聞いていましたが、夫と私は訪れるのははじめてです。

写真は多摩中央公園です。
緑の芝生が、素晴らしく広いです。

かもがいる浅い池で、帆掛け船がボートを引いて動いています。
孫が見ていると、ラジコン操作をしているおじさんが近づいてきて、「船には水夫がいるんだよ、何で出来ているかわかる?」「レゴだよ」と詳しく説明してくれました。

船も手作りだそうです、きっと私たちと同世代だと思います、良い遊び場ですね。(笑)
きっと多摩ニュータウンの古い方は私たちの仲間やその上世代で、高齢化が進んでいることでしょう。
もちろん最近の住宅も増え、ニューニュータウンも出来ています。

そしてこれが噂のセンター通り?です。
正面が多摩センター駅で、パルテノン大通りと言うそうです。

階段の両脇にあるパルテノン劇場。

丘の上プラザです、この近くで靴を買いました、もち孫の好みの「駿足」と言う靴です。(笑)

こちらは三越前で、こちらにも銀座の三越同様のライオン像がありました。(笑)
このデパ地下で、ランチ用のお惣菜を数点求めてお支払をし、お兄ちゃんが帰る前に家に戻りました。
家に着いてからは、娘がまもなく帰宅した婿さんと家の購入の手続きに行くと言うので、私たちは子供と留守番をしました。
お兄ちゃんの友人が来ていて、弟も交じっての楽しそうな会話が微笑ましかったです。
お兄ちゃんたちが出かけた後は、弟とトランプゲームを色々としました。
新居を車の中から、どういう場所にあるかだけわかるように通ってくれたのですが、確かに都会の中の田舎という感じで、自然が残っているところでした。
今度はゆっくり案内してくれるというので楽しみにしています。
急ぎ、駅近くで夕飯をご馳走になって帰ってきましたが、朝が早かっただけに長く、有意義な一日でした。