るりとうわた

日常をつづる

50年ぶりの長崎旅行②


2日目午後からは軍艦島周遊観光です。
1時出発の船で出航します。
長崎港は、三菱造船のドッグばかりです、さぞかし戦争中も軍艦作りで賑わったことでしょう。
この日は空気が冷えていて、海の上は風が強くて、寒かったです。それでも写真を撮りたくて甲板にいました。
橋を2つ渡ると、軍艦島が見えてきました、本当に軍艦に見えます。

小さな海底炭坑の島は、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ているところから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。
最盛期の昭和35年(1960)年には約5300人もの人が住み、当時の東京都区部の9倍もの人口密度に達し、島内には小中学校や病院など生活は全て島内で賄えるようになり、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もそろっていました。
端島炭坑の石炭はとても良質で、隣接する高島炭坑とともに日本の近代化を支えましたが、主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより昭和49(1974)年に閉山、島は無人となりました。

平成21(2009)年4月には一般の方の上陸が可能となり、現在では多くの方が軍艦島上陸ツアーに参加して、軍艦島を訪れています。


私達は、先の台風で桟橋が壊れたとかで、上陸することが出来ませんでした。
ここまで来て、本当に残念でした。
島の周りを2周半ほどまわりましたが、やはり上陸して直に雰囲気を味わうのとは全く別物だと思います。

1時間半乗船して帰ってきました。
次は大浦天主堂やグラバー亭へ行きました。

大浦天主堂へのこの坂道を記憶していました。

幕末、諸外国からの開国圧力で幕府は、1858年に英米仏露蘭と通商条約を結んだ。長崎では大浦・山手地区を外国人居留地とし、外国人のために大浦天主堂が1865年2月に創設された。
南山手の丘に点在する洋風建築の一番高いところにあったのが、旧三菱第2ドッグハウスです。

そして庭先から見える景色は、長崎湾の一望と、三菱造船場ですから、財閥三菱は凄い力があったことがわかります。

こちらは旧グラバー住宅です。

木造平屋建、屋根は多角形の寄棟造、桟瓦葺き、建築面積510.8平方メートル。附属屋は木造平屋建、桟瓦葺き、建築面積129.2平方メートル。居住者のトーマス・ブレーク・グラバー(Thomas Blake Glover, 1838年 - 1911年)はイギリス人商人で、安政6年(1859年)の長崎開港直後に来日。グラバー商会を設立して茶や絹の輸出と船舶・武器の輸入に従事し、薩摩藩長州藩や後の明治政府の要人らとも関係が深かった。親日家であったグラバーは日本人女性ツルを妻とし、明治44年(1911年)に没するまで日本にとどまった。旧グラバー住宅は、南山手の丘上の見晴らしのよい地に建つ。グラバーが文久元年(1861年)にこの地(南山手3番地)を借地した記録があり、住宅は修理時に発見された墨書から文久3年(1863年)の建築と判明する。日本に現存する木造洋館としては最古のものである。


やはりこれは少し記憶があったのか、修学旅行で、来た時より古くなったな〜と感じました、50年の歳月、半世紀経ったのですものね、古くなりますよ。(笑)

下の入り口近くの公園に、蝶々夫人の像もありました。
その後坂を下りながら、お土産のカステラ店を数件入り、思い思いもカステラを購入しました。
それから、雲仙温泉に行く山道は暗闇の中、外灯が一本もなく、どこへ着くのかも分からないスリル満点のドライブでした。
上り詰めた頃、後続車3〜4台続いているのが分かり、道に迷った訳じゃないとほっとしました。
旅館の近くに来ると、硫黄の臭いがし湯けむりが上がり、こんなに人里離れた地に、雲仙温泉はあるのだと認識しました。
老舗の温泉宿で、美味しい料理を頂温泉に浸かり、日本人で良かったと定番のコメントをして寝ました。
翌日は、旅館の庭の上が地獄谷になっているので散策です。

山の紅葉と湯けむりが似合います。
かなりの吹き出しで、掘り出す必要がなく、また70度ほどあり、温泉を引いて、水で温度を下げるだけで良いそうです。

小一時間ほど散策し、旅館を出て、雲仙普賢岳へ向かいます。
火山活動からすっかり山は形を変えました。
主峰は普賢岳(ふげんだけ)だが、1990年(平成2年)から1995年(平成7年)にかけての火山活動で平成新山(へいせいしんざん)が出来、こちらの方が標高が高くなった。また平成新山長崎県の最高峰でもあるそうです。

テレビで、火砕流の恐ろしさを知ったのは、もう28年も前のことだったのですね。
その後も噴火が続き、山の上に新山が出来ました。
今も少し白い噴煙を上げています。
下が昔の山の形で、その上に噴火した溶岩が溜まり新しい山の形となった。

ケーブルカーで、妙見岳へ上りました。
この山の向こうが、火砕流の流れた東側のようです。ここに見える海側に火砕流は流れたのでしょうか?自然の脅威を感じます。



途中の紅葉が綺麗です。
地元のテレビ局か?が、撮影に来ていました。同じケーブルカーで下りました。

あとは山を下り、レンターカーを返し、空港へ行き昼ご飯を食べて、2時50分の飛行機で神戸空港へ向かいました。
所要時間は1時間でした。

今回カメラは持たず、スマホで撮影しましたが、やはりカメラのようにはいきませんね。
荷物は軽くて良かったですが・・・ちょっと残念です。