るりとうわた

日常をつづる

徳島めぐり・2

2日目

残念ながら、翌日も曇り空に、雨がパラパラでした。
この日は前日に開店時間を確認しておいた、藍染めのお店に9時過ぎに行きました。
以前この辺には白い蔵に土塀の続く藍屋敷が沢山あったそうです。

出来た作品を干して乾かしています。
 
私たちはミニタオルで藍染に挑戦しました。上の釜に5度程漬け、上げてを繰り返し、右の作品が出来ました。

「青は藍より出でて藍より青し」ということわざがありますが、藍染めの青い色は、「JAPAN BLUE」として世界に知られるほど深く鮮やかな日本の色でです。
タデ科に属する1年生草本の葉に含まれる青藍を染料として生まれてくるもので、この染料をとるために阿波では古くから藍が栽培されてきました。阿波藍の歴史は平安時代にさかのぼるといわれ、やがて、吉野川流域は日本最大の藍作地帯として知られるようになります。
天正13年(1585年)、蜂須賀家政公が藩主となってからは、徳島藩では藍の生産を保護、奨励しましたので、いよいよ藍づくりは隆盛を極めたのでした。
明治以降も藍作は盛んに行われ、北海道から九州まで栽培されるようになり、全国的には明治36年に最高の生産規模になりました。特に徳島県は作付面積、生産量とも全国の過半数を占めていました。
しかし、その後、インドから良質で安価なインド藍が輸入され始め、明治後期からは化学合成された人造藍の輸入が急速に増大し、日本の藍づくりは衰退の一途をたどりました。(徳島観光HP参照)

藍の花

徳島県吉野川流域に藍づくりが広まったのには理由があります。徳島県の川沿いには広い平野が少なく、ちょうど稲の花から収穫の時期に洪水をくり返し、土砂の入れ替わりが激しく、稲作をするには条件が悪い土地柄でした。ところが、藍作にとっては、洪水で入れ替わる砂質の土が良く、藍の刈り取りは成長に合わせて7月から9月にかけて年に2・3回刈り取ることができるので、一回の洪水で収量が全滅することはなく、洪水地帯に藍はうってつけの作物でした。

吉野川
その吉野川では川のりの作業で沢山の小船が出ていました。
またこの吉野川の側には多くの酒屋敷もあったそうです。

今ではそれがレストランになっています。
右上の「蔵人」と名の付いたランチ980円を頂きました、美味しかったです。


隣の酒蔵は、音響が良くて演奏ホールになっています。
音響と言わずに、残響が良いと言うそうです。
ピアノ演奏、胡弓演奏等行われるそうで、落ち着いた雰囲気が素晴らしい空間でした。


酒屋の名残の樽やお釜です。

続いて、阿波の浄瑠璃見学です、
阿波十郎兵衛屋敷にて、30分の観劇、その後記念撮影しました。

 
お土産は徳島名物、和三盆に鳴門いも、スダチは友人に頂きました。
文化的にも、とても有意義な時間が共有できた2日間でした。