るりとうわた

日常をつづる

名古屋巡り(2)犬山市


2日目です。
今日は名古屋市を出て、犬山市にある明治村↑と犬山城の見学です。
名古屋は地下鉄が発達しているからでしょうか、近鉄の駅も名鉄の駅も地下にあり、ホームの幅が取れないからか、名鉄は2つしか線路がなく、いろんな行先の電車が同じホームに入ってきます。
だから2分おきぐらいに次々と同じ赤い色とステンレスの電車が入ってくるのですが、行き先が違うので、どの電車に乗るのか、上の掲示板と時計を見比べていないといけないのが大変です。
これ外国の方は大変だな〜、と感じました。
乗って30分近くで犬山に着き、そこからバスで30分ぐらい乗りさらに北に向かい、限りなく岐阜県に近づくという感じです。

そしてその博物館明治村に着くすぐ手前右側にある山が「なんじゃもんじゃ」の天然記念物の木の自生地であると説明を受けました。
今その木の花が満開で、白く雪が積もったように見えます。(写真は明治村の中で撮りました、落ちた花も雪のようです)

それを見た殿様が「あれはなにじゃ」と尋ねられ「なんじゃもんじゃの木」と答えたという話は聞いたことはあるのですが、初めて見る花で、ラッキーです。

絶滅危惧種だそうで、正式名称ハヒトツバダゴです。

ヒトツバタゴ (Chionanthus retusus) とはモクセイ科ヒトツバタゴ属の一種。 同じモクセイ科のトネリコ(別名「タゴ」)に似ており、トネリコが複葉を持つのに対し、本種は托葉を持たない単葉であることから「一つ葉タゴ」の和名がある。

なお、別名はナンジャモンジャノキであるが、「ナンジャモンジャ」と名付けられる植物の樹種には、ヒトツバタゴのほかにニレ(樟)、コレ(楡)、イヌザクラ(犬桜)、ボダイジュ(菩提樹)などがあり注意を要する。

日本において本種は希少種のひとつであり、絶滅危惧II類(VU)(環境省レッドリスト)に指定されている。天然での分布域も狭く、長野県、愛知県の木曽川流域、岐阜県および長崎県対馬市に自生している

博物館明治村に入って驚いたのは、館内が広く自然に溢れ、緑の木々が多く、山あり谷ありの地形に大きな池(入鹿池があり、その地形に建物が点在していることです。
日光江戸村ではありませんが、大通りに面して明治時代の建物が両脇にずらっと並んでいると予想していたら、まったく違い広大で驚きました。(笑)
http://www.meijimura.com/


明治建築を保存展示する野外博物館として、発足したのは昭和37年で、昭和40年3月18日に開村。現在100万㎡の敷地内に移築復原した建造物は67あり、その内、国が指定する重要文化財は10件だそうです。
村内にはSLや京都市電が動態展示されている、以前はSLが動いていたそうですが、現在は休止中で残念でした。ほか、明治時代に流行した日本初のカクテル「デンキブラン」の店や、明治時代の小説より再現したメニューなどもあり、五感で明治時代を体感できるそうです。

私たちは手短に1丁目より見学し始めました。
大井牛肉店、三重県尋常師範学校・蔵持小学校、高台に建つ聖ヨハネ教会堂(重要文化財)(京都市下京区)(上の写真です)

西郷従道邸 ↑(重要文化財)(東京都目黒区)、

森鴎外夏目漱石住宅 ↑(東京都文京区)
森鴎外は明治23年に1年間、夏目漱石は明治36年から3年間住み、「吾輩は猫である」を書いた部屋があり、座布団の上に猫の置物がありました。

札幌電話交換局 ↑(重要文化財)(札幌市大通)

東山梨郡役所(重要文化財)(山梨県山梨市)
明治村の村長室になっています、高台にあり、通りの眺めが良いです。

松屋住宅 ↑(重要文化財)(名古屋市中村区)
ここはガイドさんの案内で説明を聞きながら中を見学しました。
明治20年代後半までは油屋を生業とし、その後昭和の初めまで堀川貯蓄銀行を営んでいた。
江戸末期、平屋であったものを、明治28年後方へ曳家(ひきや)の上、2階の前半部を増築して現在の店構えを完成させ、明治34年3階以上を増築したらしい。
江戸時代には富裕でも士農工商身分制度があり、武士以外のものが三階建ての建物を造ることは許されず、1階の床の間も奥行きが30センチほどしかありません、それが慶応3年(1867)に なって京都、東京でこの禁令が解かれ、2階に半間ほどの奥行きのある床の間があります、露地にみたてた廊下、待合、原叟床風の床框や墨蹟窓などを備えた茶室が設けられています。
3階には景色を眺めながら、階下と滑車でお茶や茶菓子を上に運ぶ設備のある客室もあります。
大正8年市街地建築物法により木造高層住宅が禁止されたので、3階建以上の木造住宅はわずか50年ほどしかなかったので珍しい建物ということです。
そういう点でも、名古屋城から伊勢湾へと流れる運河堀川に面したこの商家は、随分と目立っていたそうです。



三重県県庁舎 ↑(重要文化財)(三重県津市)
間口が54mに及ぶ大きな建物で、玄関を軸に左右対称になっており、正面側には二層のベランダが廻らされている。この構成は当時の官庁建築の典型的なもので、明治9年東京大手町に建てられた内務省庁舎にならったものだそうです。
ここはNHKのドラマ「坂の上の雲」の撮影に使われました。

これで1丁目から3丁目を回りほぼこの村の地図↑の半分というところです、4丁目5丁目が東京の建物(帝国ホテルの中央玄関等)が多く、近代化を進める明治の建物がさらに展開するのですが、こちらはまたの機会に回すようです。(笑)
食道楽のカフェでランチをとり、犬山城のほうへ向かいます。

犬山城東名高速道路を使うと平野の川向こうに小高い山があり小さな(遠いから小さく見える)お城がぽつんとあるのをいつも見ていて、いつか行ってみたいと思っていました。

ようやく念願が叶い嬉しかったです。

やはり小さいですが、素朴な感じのきれいな天守閣です。↑
日本にお城はいくつかあっても、国宝の城は4つのみです。
それは姫路城(白鷺城)、松本城彦根城犬山城で(記憶にないのもありますが、これで4つとも訪れています)、明治になって体制が変わり、明治政府の「城郭存廃決定」(明治6年1月)により存廃が決まり、廃城と決まった城郭は民間払い下げとなり、維持できなくて倒壊したものもあります。
あとは対戦で、多くの城郭が米軍の爆撃対象になり焼失しました。

犬山城豊臣秀吉が生まれた天文6年(1537)、織田信長の叔父である織田信康によって創建された、現存する日本最古の木造天守閣です。

尾張(愛知県)と美濃(岐阜県)の国境に位置するため、戦国時代を通じて国盗りの要所となり、城主はめまぐるしく変わりました。小牧・長久手の合戦(1584)では、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が12万人の大軍を率いてこの城に入城し、小牧山城に陣取る徳川家康と生涯唯一の直接対決をしました。

江戸時代に入ると、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、幕末まで続きましたが、明治維新による廃藩置県のため、この城は愛知県所有となりました。しかし、明治24年の濃尾地震で半壊し、その修復を条件に城は再び成瀬家の所有となり、平成16年に財団法人に移管するまで日本で唯一、個人所有の城でした。


回廊を回ることが出来るのですが、この日は木曽川の風が強く、川側のみは行くことが出来ませんでした。

歴史に思いを馳せる素晴らしい眺めでした。

日本の国土が平和であるようにと、思わず祈ってしまいました。