るりとうわた

日常をつづる

藤子・F・不二雄ミュージアム


昨日向ケ丘遊園にある「藤子・F・不二雄ミュージアム」に行ってきました。
http://fujiko-museum.com/pc.php
この連休中は、娘の仕事が土日は休みですが祭日は出勤日なので、孫たちを預かることになっていました。
子育てしながら働く女性は本当に大変ですから、暇なときは出来る限り手伝ってやろうと思っています。
それに合わせて下の娘が「藤子・F・不二雄ミュージアム」のチケットを大人3人、子供1人(幼児は無料)分用意してくれ、サプライズなお楽しみということでした。
ところが二日前になって急に娘から、「友人が預かってくれることになったから、いいわ」という連絡が、サプライズの話をすると「えー、取り消しにできないの?」と、もう引き換えてあるのでそれは無理です。
もっとも黙っていたから仕方ありません、言っちゃうとサプライズになりませんもの。
その友人の子は一人っ子で大人の世界で育つからと、よく遊びに来ている方で、子供の貸し出しを兼ねてみてくれるのですから、気兼ねしなくて助かるということです。
ちょっと寂しいですが、夫も疲れなくていいと言います。(笑)

でもそのままチケットが無駄になるのでは下の娘が可哀そうということで、2人で出かけました。
登戸駅に着くと、すでに上の写真のかわいいバスが待っていました。
2号車 オバケのQ太郎で、他にも1号車 ドラえもん、3号車 キテレツ大百科、4号車 パーマンがあり、すれ違ったり、会館前で遭遇しました。
 (3枚の写真は借り物です

娘たちにとって、向ケ丘遊園地というのは懐かしい場所で、毎年秋口に会社の運動会がここのグラウンドであり、お弁当券におやつ券、抽選券に数種類の遊園地の乗り物券がつき、夫の競技への出番が終わると観覧車に乗ったり、コースターに乗ったりとそれはそれは楽しい一日を過ごしました。
幼稚園の頃から、それは数年続きましたが、それがいつしかなくなり、まだバブル期だったと思いますが、やはりそこまで会社も家族用厚生費を掛けなくなったのでしょうね、それに日曜日まで会社の付き合いしなくても?という社会通念も変わってきたり、時代の移り変わりを感じます。

そのうち向ケ丘遊園地の名前もあまり聞かなくなり、上の娘が中学生の頃に、近所の親たちでよみうりランドへ連れて行ったことがありますが、向ケ丘遊園地よりも規模が大きかったです。
高校に入ると親の出番も終了し、子供たち同士でディズニーランドへ出かけたり、どんどん世界は広がっていきました。
そうこうしているうちに遊園地の名前も聞かなくなり、2000年モノレールの運行が休止、2002年廃園となったようです。

写真のどこでもドアで行ける昔の話でした。(笑)皆さんドアのところで撮影です。
その遊園地のあった丘陵地に「藤子・F・不二雄ミュージアム」があるのではなく、その丘の裾野にあり、当時の面影を感じることはできませんでした。
もちろん観覧車も取り壊されてありません。実に昭和は遠くなりにけり。(笑)

4時入場回ですが娘の案内よろしくまずレストランで予約し、3階の屋上の屋外の見学、それから展示室の見学、原稿が出来るまで、立体映像でドラえもんのび太君が登場して解説していくのはそこにいるように見えて不思議でした。
書斎も作ってあり、初期の作品から展示され、子供の頃に読んだ作品を懐かしく思い出すのに、これは青春時代から成人に達した人に適しているのかもです。
だから娘世代は親子で楽しめるという感じで、幼児にはもっと遊具があれば楽しめるという感じがしました。

藤子・F・不二雄氏は長年多摩区の生田に住まわれていたそうで、それで作品を展示・公開する文化施設として、川崎市と藤子プロが協力して整備し、川崎市の施設として、多摩区の生田緑地内に平成23(2011)年9月3日に開館したということです。
夫も来ればよかったのですが、藤子・F・不二雄氏も安孫子素雄藤子不二雄Ⓐ)氏と2人は同級生で、夫の郷里富山県出身ということです。
最近年と共に郷土愛が増してきた夫ですから、感じることも多々あったことでしょうに、残念ながら「いかない」の一言でした。(笑)


その後シアターでここだけの10分間の映画を見ました、キャラクター総出です。
それから2時間待ちと言われたレストランに行き、楽しい夕食にしました。

娘がジャイアンのカツどん、私は星のオムライスにしました。

もうすでに6時半頃で、他の会館は閉館し、シアター前のホールも先ほどまでの喧騒はどこへやら〜、静まり返っていました、写真に収めてきました。

しかししっかりしています、出口手前の売店は開いていました。(笑)

外に出ると、もう真っ暗でした、入る前に撮るべきでした、スタジアムの建物です。

帰りはブラブラと夕涼みがてらに、向ヶ丘遊園駅までモノレールの橋脚の跡地が川沿いに整備された道を歩きました。
するとそこに、モニュメントが次々とあったので撮影しながら帰りました。

道中娘が携帯を見て、「ここ夕方になると東電の電機使用量が90%を超えているみたい」というので、「日の暮れが早くなったので、雨戸を閉めるのが早くなって蒸すからクーラーを使うのでしょう(?どうかな?)」と言いましたが、外にいても蒸し暑い感じでした。
しかし今夏の電気、停電など一度もせずに持ちましたね、原発がなくても行けますよね。
もちろんそれを補うために石油を買ったり、別の費用は掛かっているでしょう、でも次の世代の子供たちに危険なものを残すのではなく、いいもの安全なものを伝え残すのが先人の務めです。
行先も方策も考えられていない危険な燃料棒をこれ以上増やしてどうするというのでしょう。
藤子・F・不二雄氏は子供たちが見るのだから嘘は描けないと、昆虫も恐竜も辞典を置いて正確に描かれたそうです。
もちろん宇宙も過去もすべて勉強して、だから良いものは残るのでしょう。
過去に、未来に悔いの残らない仕事をしたいものです。