るりとうわた

日常をつづる

日本とトルコ


トルコに行く前は金木犀につぼみがつきほんのりと香るぐらいでした、帰ってみれば散りぬるを、我が世たれぞ 常ならむ でした、残念。(笑)
木の根の周りが散った花で黄金色でした。

日本とトルコは気候がほぼ同じぐらいということで、秋の格好を持って行ったのですが、前半は30℃超えで、もう脱ぎようがないと、汗だくでした。
その前の週は20℃から24℃と普通だったそうですから、異常気象だと現地でも言っていました。
やはり地球規模でおかしいようです。
まず2年越しの思いが叶って、12時間飛行の末にイスタンブールに到着です。
日本との時差はジャスト6時間と分かりやすいです。
現地ガイドさんに、日本人はイスタンブールと言うけれど、イスタンブルですからと何度も指摘を受けました。
そういえば街にある表示もすべて「Isutanbul」と書いてあるので、イスタンブルとしか読めませんが、旅行本もすべて伸ばして読むのは日本流です。
ウキィペディアはイスタンブル表記ですが地図はブールです。(笑)

上のトルコの地図でも分かるように、イスタンブルボスポラス海峡を隔ててヨーロッパ大陸とアジア大陸に分かれます、その比率は3対97だそうです。
それ故にヨーロッパとアジアの懸け橋と呼ばれ、二つの文化が交錯する国とも言われるのでしょう。
ヨーロッパを19か国ぐらい訪れているのですが、もっとも北欧4か国とか中央3か国とまとめて行っているので、9回ぐらいですが、初の脱ヨーロッパとしては最適の国ということです。

イスタンブル空港は新市街地でアジア側にあり、そこからヨーロッパ側にバスは走り、ボスボラス海峡にかかるファティフ・メフメット大橋を渡り、旧市街地も抜け、マルマラ海に面する、リゾートホテルが1泊目のホテルでした。
全長1510mのこの大橋に、日本の高い技術が注ぎ込まれ、1988年に完成した日本とトルコの親密な交流の結晶と言われているそうです。

外務省のページで参照するとトルコとは、

国名:トルコ共和国
面積:780,576平方キロメートル(日本の約2倍)
人口:74,724,269人(2011年12月、国家統計庁推定)
首都:アンカラ、民族:トルコ人(南東部を中心にクルド人、その他アルメニア人、ギリシャ人、ユダヤ人等)
言語:トルコ語公用語
宗教:イスラム教(スンニ派、アレヴィー派)が大部分を占める。その他ギリシャ正教徒、アルメニア正教徒、ユダヤ教徒等。

経済(特記ない限り、トルコ国家統計庁発表の2011年度数値による)
産業割合:サービス業(75.6%)、工業(16.3%)、農業(8.1%)
GDP:7,773億ドル
人当たりGDP:10,444ドル
経済成長率:8.5%
物価上昇率:10.45%
失業率:9.8%
総貿易額:(1)輸出 1,349.7億ドル(2)輸入 2,408.3億ドル
主要貿易品目:(1)輸出 自動車(11.7%)、機械類(8.6%)、鉄鋼(8.3%)
       (2)輸入 石油・天然ガス(22.5%)、機械類(11.3%)、 鉄鋼(8.5%)
主要貿易相手国(トルコ経済省)
(1)輸入 露(9.9%)、独(9.5%)、中(9.0%)…日本(1.8%、第15位)

 (2)独(10.3%)、イラク(6.2%)、英(6.0%)…日本(0.2%、第63位)
経済概況
(1)トルコはリーマンショック以降も、内需に牽引され力強い経済成長を続けている。拡大する経常赤字や高い失業率などの問題はあるものの、トルコ経済は2011年も欧州の信用不安問題や「アラブの春」にもかかわらず比較的優良な実績を達成した。

(2)中央アジアから欧州へのエネルギー輸送の要衝としても注目を集めている。

二国間関係

1.政治関係

(1)日本・トルコ関係は、1890年のエルトゥールル号事件(1887年に小松宮彰仁親王同妃両殿下が欧州訪問の帰途にオスマン帝国を公式訪問したことに対する答礼として、アブデュル・ハミト2世が特使としてオスマン提督を日本に派遣した際、エルトゥールル号が帰路、紀州・串本沖で沈没。乗組員581名が死亡したが、日本側官民あげての手厚い救護により69名が救助され、日本の巡洋艦によりトルコに送還された事件)以降、歴史的に友好関係にある。
 また、1985年3月、イラク・イラン戦争の中、テヘランで孤立した邦人を救出するためにトルコ政府がトルコ航空の特別機を派遣した出来事も、両国の友好関係の象徴的出来事となった。更に、2011年3月の東日本大震災及び2011年10・11月のトルコ東部大震災において、両国は相互に支援の手を差し伸べ、両国民間の関係は一層強化している。

(2)両国間には大きな政治的懸案はない。

紀州・串本沖で沈没しトルコ船の乗組員を助け、町とそれ以降交流があるという話はニュースで見ていました。

2日目は上の地図のヨーロッパ側をさらにエーゲ海側に進み、ダータネルス海峡を渡りトロイへ向かいました。
その道中多くの風車を見ることが出来、エーゲ海からの強い風を利用しているようです。
そこでエネルギーの話が出たのですが、「火力、風力発電所天然ガス、地熱を利用しています。ただ今、一か所だけ原子力発電所を建設中です。」「日本の方なら分かっていただけると思いますが、嫌ですね、反対運動もあるのですが」と、ごくごく自然に市民感情を述べられました。
そうなんです、日本人は今直面している原発事故により国土は汚染され、住めなくなって避難している方が何万人もいるのですから、当然脱原発が、市民、国民感情のはずです。
しかも、そのトルコの原発に日本が関わっている可能性もあるのですよね。
なんかとても恥ずかしい気がしました。

「政府は14日策定した革新的エネルギー・環境戦略の中で、「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指す過程で安全性が確認された原発を「重要電源として活用する」と同時に、「諸外国が希望する場合には、世界最高水準の安全性を有する技術を提供していく」と明記し、原発輸出を継続する方針を示した。

そんな高い安全性があったのなら、何故事故は起きたのですか?そしてなぜまだ解決しないのでしょうか?
さらに、こんなニュースも拾ってきました。

≪2012年8月5日・今日のニュース速報/今日の経済ニュース≫
〜トルコ原発計画【脱原発で後手にまわる日本】〜
トルコの原子力発電所の建設計画をめぐる国際的な競争が激化。
日本国内に原発メーカー3社がある技術力を武器に日本はリードしてきた。
(3社:東芝日立製作所三菱重工業

しかし、昨年の東日本大震災による東京電力の福島第1原発事故の間に、
中国・韓国などの国が国全体でバックアップ。
日本は1基5000億円ともいわれる巨大ビジネスを取り逃す恐れが出てきている。

トルコは2011年に8%台の成長を実現。
イスタンブールは最大の経済都市です。
急成長を遂げるトルコではインフラ整備が注目の産業です。
そのなかで、日本が期待を寄せるのが原発事業です。
トルコ政府は2020年までの電力需要の伸びを年率最大7.5%と予想。
日本は高い技術力を背景に他国をリードしてきましたが、
原発事故での混乱が、中韓の巻き返しを許してしまいました。
韓国は今年2月に李明博(イ・ミョンバク)大統領がトルコを訪問。
トルコのエルドアン首相との直接会談で一度は破談になった交渉を再開することが決定。
日本の優先交渉権が事実上消滅しました。
更に中国の温家宝首相が今年の4月にエルドアン首相と原子力協定に調印。
シノップ原発受注競争に正式に参戦しました。
そしてカナダとも交渉を行っており、日本は厳しい状況に追い込まれています

どっちを向いて政治をしているのか?と言いたくなります。
お金、お金・・・、お金か倫理かという問題はこれからもついて回りそうですね。

現地ガイドさんから、トルコはガソリン代が高いという話が出ました、自国では14%止まりで、原油を輸入しているという話です、それも2023年までという話でした。
と、いうのも、高校で世界史を取れなかった私は世界史に疎いのですが、単にトルコ平和条約と思っていたローザンヌ条約には密約があって、100年間自国の石油を開発できないという条約になっているそうです。
さらにそれに関して、このように語っている方もいます。

 トルコの石油公社(TPAO)の、メフメト・ウイサル総裁が、イランのプレステレビの特派員メフデイ・ゴルザデイ氏に語ったところによれば、トルコは2023年までには、完全に石油ガスを自給する、体制に入るということだ。

 トルコが黒海で、石油・ガスの開発を進め、2002年の段階から生産を始めてきていたことは、以前から知られている事実だった。

 しかし、ここにきてその黒海の石油・ガスの埋蔵量が、石油は100億バレル、ガスは1兆5千億立方メートルと莫大な量であることが、同総裁によって明かされた。

 トルコはこれだけの埋蔵量で、2023年から40年間にわたって、国内消費分を賄うことができるようになる。したがって、エネルギー資源を外国から輸入する必要が、なくなるということだ。

 黒海沿岸の海底油田やガス油田以外に、イランとの国境に近い、トルコ北東部、イラクとの国境に近いトルコ南東部でも、石油やガスの埋蔵が確認され始めている。したがって、この夢のような話は、まんざら嘘でもなさそうだ、ということになる。

 そもそも、トルコは第一次世界大戦後、欧州諸国との間で、地下資源の開発をしないという、ローザンヌ条約(1923年)の中に記載されない、秘密条項を交わしていたため、地下資源の開発が、進んでいなかったということだ。

しかし、その協定期間も過ぎ、現在では自由に探鉱できる状況にある、ということだ。(条約の期限はたしか80年間だったと思われる)実際にトルコが発表したように、トルコが自身でエネルギー資源を、自給できるようになれば、この地域の政治バランスは、大幅に変わるものと思われる。(東京財団HPより抜粋)佐々木良昭

条約の期限は100年と現地の方が言っていましたが、その後トルコは大きく変わるでしょうね。
シリアの避難民もすでに10万人だそうで、地理的にも重要な位置にありますしね。

経済優先の日本人が多いのはわかりますが、政治がどっちを見ているかが問題です。
そして、国民市民の私たちも政治をこちらに向かせないといけませんね、自分の国なんですから。

話がそれてしまいましたが、トロイからカッパドキア、首都のアンカラからサフランボルと西トルコをぐるっと一周する形で、イスタンブルに戻りました。
この行程は、窓の景色もすべて違い、ガイドさんにも同じ景色は二度と出てこないと言われ、バスの窓からも写真を撮っていたら1200枚を超えていてビックリしました。(笑)
自分の目で見たトルコをざっーとですが、紹介していこうと思います。