るりとうわた

日常をつづる

カスバ街道から世界遺産アイト・ベン・ハッドウへ


ラクダに乗ったは初めてですが、本当に”らくだ〜”とは言い難いです。
こちらのラクダはヒトコブラクダで、背中が広く、足を大きく広げて、持ち手が離れていて、姿勢が前かがみになるので、楽ではありません。
先頭の大き目のラクダでしたので、なお背中も広い気がしました。

砂漠の日の出です。5時40分ぐらいです。

帰りは友人と交代して、歩く組みですが、これがまた砂に足を取られて大変です。
ラクダはあんなに体が大きいのに細い足でも沈み込まないのが不思議です。
おとなしい動物のようで、黙々と歩き、時々溜息のよう息を吐くと、その音が身体を伝わって振動するのが感じられました。

昨日アトラス山脈を越えて南側に来てからは、見事に景色は一変し砂漠、砂漠の連続です。
これはまたオートアトラスを超えるまで続きそうです。

途中、先住民のベルベル人の家を訪れました。

ベルベル人は遊牧生活を長い間してきました、6か月はアトラス山脈近郊で、残りの半年をサハラ砂漠で暮らしているそうです。
ヤギの毛を編んで作ったテントは意外に日よけが出来て、中は涼しいことが分かりました。

中は布団を積み重ねて端においてあり、がらんと何もないと広く感じます。
日干し煉瓦の家も拝見しました。(上の写真の右側三間、真ん中は物置兼小屋)

台所です。ここも意外に中は涼しいです。子供たちが針金と古着で作ったラクダを売っていました。家計の足しでしょうか。

エルフードで9時45分、気温25℃を超えました。
このエルフードからワルザザードまではカスバとオアシスが続き、カスバ街道と呼ばれています。

カナード・ハッタラ(地下水路)現在はほとんど流れていないそうですが、11世紀頃より使われていたそうです。水源より点々と縦穴を掘り、トンネルで横穴を掘ったものです。

中央アジアやイラン等ではカレーズと呼ばれています。

ティネリールオアシス。こういうオアシスが大小、あります。

かと思えば、大渓谷が眼前に広がります。
カスバ街道の中間点にある、断崖絶壁のトドラ渓谷にあるホテルでランチです。
ロッククライマーも沢山来るそうです。

この辺りから、ダディス川に沿って、オアシスが点在します。

エル・ケラ・ムグナ
薔薇の村とも言われ、毎年5月になると薔薇の収穫期に、モロッコでも有名な薔薇祭りが開催され、世界中から観光客が来るそうです。
ここで薔薇オイルを買いました。

村に降りて、10分ほど歩くと回りの畑などオアシスの中を見学して歩きました。ヤシの木が割られ、材木になるそうです。

川向こうに、アマディールカスバが見えます、今はホテルとなっているようです。川に水はありませんが、雪解け水が流れると、水が増し向こう岸に行けない時もあるそうです。橋はありません。

ワルザザードはフランス軍によって、サハラ砂漠の最前線基地として建設された街です。現在はモロッコ軍が駐屯しています。
この地ではモロッコのハリウッドと呼ばれ、数々の有名映画のロケが行われました、古くは「アラビアのロレンス」や近年の「ナイルの宝石」「バベル」「グラディエータ^」「ハムナプトラ2」「インディジョーンズ」とあるそうです。

この街で1泊し、そのホテルの前にタウリルトのカスバがあります。
フランスの保護領下、フランスは押していたそうですが、モロッコ南部で絶大な力を誇っていたグラウイ所有のカスバです。このころ前国王は亡命していました。
有名な映画「シュリタリングスカイ」はこのカスバをロケに使ったそうです。

そして先にあげた欧米、ハリウッドでよく撮影された場所が、
世界遺産アイト・ベン・ハッドウです。

中世にキャラバンがラクダを連れて旅をしていた時、サハラとアトラス山脈の中間に位置していたこの村は、サハラの玄関口として栄えていたのだそうです。

かつては千人程度の人が暮らしていたそうですが、今は5家族が暮らすのみということです。